自分の音楽を売り込む
音楽家は見た目が重要?
チラシ・フライヤーでの宣伝活動
過去の音楽家としての反省点
企画の段階で演奏会は変わる
音楽サークルビジネスについて

過去の音楽家としての反省点

私は13歳の頃から親にピアノを習わされて最終的に25歳まで本気でプロのピアニストになろうとしていました。このページではそんな私の音楽人生の過程での失敗談と後悔を綴ろうと思います。音楽大学に入ると大抵、音楽の演奏や作曲などを学びます。当たり前のことですが、音楽家として最も大切だと思うことは自分の売り込み方なのですが、大学ではほとんどそんなことは触れるだけで掘り下げて教えるところは非常に少ないです。私自身含め音楽大学の友人達は、いつか叶うであろう音楽で食べていくという儚い夢を抱きながら学校に通っていました。しかし、音楽大学を出たからと言って、音楽の仕事に携われるひとは本当に一握りです。就職活動の辺りで急に夢から覚めさせられるのです。人によっては就職活動がうまく行って、ちゃんとしたところに就職した人もいましたが、一番ひどい人で音楽大学を卒業して、居酒屋のバイトしか仕事がない人もいました。私自身も目標であったオーケストラへの所属の夢が絶たれ諦めがつかずにバイトをしながら音楽活動を続けた1人でした。そこから自分で売り込みながら音楽活動をするという日常が始まりました。大学では知り合えなかった音楽活動家の方にも何人にも会いました。そこでいつも先輩方が口を揃えていっていたのが「音楽は技術や才能よりも、自分を上手に売れるかどうかが問題だ」ということでした。そこで私は音楽で最も大事な売り方について今までの人生を振り返りました。そこで気付いたのが大学では夢だけ見せて現実の音楽での仕事の仕方などは教えてもらえなかったということです。正直この時期、音楽大学を恨んでいたものです。今思えばただ言われるがままに淡々と演奏の練習ばかりして情報収集が出来て居なかった自分が悪いのですが、その時は苦しむばかりでした。そこから何年か演奏と売り込みの仕方を学びながらの生活が続き、ふと演奏よりも売り込みが自分に合っていると思い、演奏を中断し、音楽事業を行うことに決めました。今思えば音大よりも経営学とかが自分に向いていたような気がします。初めは後輩の演奏家のコンサートの集客の手伝いから始めました。後輩も私の事を信頼してくれて、広報全般を自由にやらせてもらいました。その経験は今でも役に立っています。やはり自分自身のコンサートと考えると出来るだけ体裁よく恥ずかしくないように行いたい気持ちが強くなってしまいますが。私は音楽も商売と同じという考えが当時根付いていたので徹底的にプロデュースしながら曲目や会場などを選択しました。初めは後輩も抵抗があったようですが、ビジネスとしての音楽というものを教え込み、納得してもらいました。ここではどのように成功させたかは省きますが、結果的に100名入るコンサートホールを80人以上収容することに成功しました。そのうち知り合いの方は10名程だったので、70人以上が演奏者の事を知らない方々です。2000円の入場料を取っていたので結果的に黒字に転じ、その後何回かの演奏会も同様に動員することが出来ました。これからノウハウについてのコンテンツを追加していきますが、あくまで労力が掛かる事に変わりはありません。出口の見えない活動になる場合もたくさんあります。結局は音楽で食べていきたいという気持ちと根気が最後には不可欠になってきます。安易に足を踏み入れると後悔に繋がる場合もあります。それだけ音楽は魅力的であり、恐ろしいものなのです。