DRAチャリティー音楽コンクール
自分の音楽を売り込む
音楽家は見た目が重要?
チラシ・フライヤーでの宣伝活動
過去の音楽家としての反省点
企画の段階で演奏会は変わる
音楽サークルビジネスについて

サイト運営者について

13歳からピアノを始めて音大に入り卒業。その後音楽活動家を志しましたが限界を感じて進路変更することに。以後音楽家をプロデュースする仕事に就くことにな りました。コンサートや演奏家の広報活動などに力を入れています。所属するアーティストの定期的なコンサートの企画なども行っています。また現在では音楽サ ークルを始め、様々な角度から音楽に携わるビジネスを進めています。このサイトでは自分が今までに経験した音楽活動についての失敗談や成功談など様々な角度 から音楽業界事情をさらけ出していければと考えています。定期的にニュースとしてコンテンツを追加していく予定です。音楽家にとって目を伏せたくなるような 話題も取り上げていきますので、きっと音楽を志す方なら参考になるのではないかと思います。これから音大に進学する方、音楽でご飯を食べて行きたいと考えて る方の手助けや軌道修正が出来ればと考えております。音楽だけで暮らしていくのは非常に難しい事かも知れませんが、音楽活動も商売の仕組みと何ら変わらない 事も事実です。上手な戦略さえあれば音楽で名を馳せる事も不可能なことではないのです。地道な努力や金銭的な体力も必要となって来るでしょう。徐々にコンテ ンツをまとめていきますので、宜しければ定期的にチェックしてみてください。

音楽家向け衣装専門店のドレスルームアミ

新宿の演奏会ドレス専門店・ドレスルームアミ


音楽家としてステージに立つ際に衣装はとても重要です。音楽は聴くエンターテイメントですが、見た目的な印象も音楽に影響してきます。 このドレスルームアミでは、演奏家の方々に向けたステージ衣装を数多くラインナップしていますので、様々なコンサートの印象に合った 衣装をこちらのお店で見つけることが出来ます。店舗も新宿にあるので、試着もしやすく多くの演奏家の方々に利用されています。

演奏家発掘!クラシックオーディション




音楽家としてのキャリアを積みたいならオーディションはいかが?この「演奏家発掘!クラシックオーディション」は東京演奏会企画というコンサート企画を行う団体です。この東京演奏会企画が運営を行うこのオーディションは、最優秀賞に輝いたミュージシャンに対して音楽活動のバックアップを行います。これからの音楽活動にさらに磨きをかけたいアーティストは、是非挑戦されてみては如何でしょうか?

アマチュアコンサートに行く人がどれだけいるのか

まず前置きとして演奏会として勘違いしてはいけないポイントについて触れます。演奏会を開くときにどれだけのお客さんが来てくれるのかということを考えなくてはいけません。 どんな上手な演奏をする人でもその人が有名でなくてはお客さんは足を運んではくれません。 アマチュアの場合、大抵は認知度の低い片が多いと思います。長期的に演奏会を開いていく場合、 まずは認知度を高める為の「掴み」が重要です。どんな演奏家でもいきなり有名になるわけではありません。 始めの内は誰でも知っている音楽を演奏することに努めて、出来るだけ多くの人が来易いコンサートにすることを心がけるべきです。 よくありがちなのが、とてもマニアックでレベルの高い万人受けするとは言えない曲を自己満足で演奏する音楽家が非常に多いということです。 クラシック音楽の場合、ただでさえ聞く人が少ないのにその中でマニアックな曲を演奏されてはたまたま演奏を聴きに来た方もぽかんとしてしまうでしょう。 大概クラシック音楽で地道な下積みから這い上がる人は万人受けする曲を演奏する方が多い気がします。 またクラシック音楽の特徴として何も言わずにお辞儀だけして演奏を始めて、何も言わずに演奏を終えてお辞儀して退場する方を多く見かけます。 折角の演奏会でお客様と直接対面する機会があるというのにコミュニケーションを取らないというのは非常に勿体無いことです。 折角演奏会を開くのだか、出来るだけその機会を最大限に生かさなければいけません。 例えば演奏する前にこれから演奏する曲のイメージや選曲した理由などを伝えたりすると良いかもしれません。 音楽を聴きに来た人は皆がタイトルを聞いただけで、どの作曲家が作った曲かと知っているとは限りませんし、 ましてや曲の時代背景や表現しようとしている事柄など知らない人が大概でしょう。 相手が大人の観客であったとしても、丁寧に自分の演奏する曲を説明することは音楽の知識がある人でも、自然と奏者の誠実さや音楽に取り組む姿勢を評価してく れるはずです。まずはより多くのお客様が入れる入り口を広くして(クラシック初心者でも楽しめる曲を選曲したりする)、更に演奏会の際にお客様に気に入っても らう。これらの事が演奏家として大事な事であり、基本なのだと思います。現在では音楽CDが売れなくなり、大物ミュージシャンもライブやコンサートをして 食べていかなくてはいけない時代になったと言われています。逆に言えば現代は音楽のあるべき姿に回帰した時期だとも言えるかもしれません。 言ってみればこれからの音楽家にはよりフェアにチャンスが広がって来たのかも知れません。

音楽空間・ウォーターバグズラウンジ

ウォーターバグズラウンジ 音楽活動を行っている同業主の方が音楽サークル活動の一環として、活動の拠点である、専用の会場をを設けました。この活動は今までは音楽スタジオで開催を行っていたのですが、 今回一念発起して、清水の舞台から飛び降りる思いで、オープンに至りました。今後は音楽を軸にした様々なイベントを用意して、色々な社会人同士の交流の場として、 活動を行われていくそうです。このサークルでは、音楽初心者の方々も多くいらっしゃるようですが、中には編曲家、作曲家など、本格的に音楽で生計を立てている方々も集まり、 縛りのない自由な演奏をすることで、人との交流を広げて、今まで知り合ったことの無いかたがたと、音楽的な情報交換や、交流を行うことが出来ます。 今まで一人で演奏を行っていて、音楽が仕事になってしまっている悲しい音楽家たちの心のよりどころとして、重宝されています。 私自身も、音楽を仕事ととらえることが苦痛になるときもあります。そんなときはここの活動に参加して、音楽というものは本来愛すべき存在なのだと思い出そうとしたりもします。

演奏会宣伝の演奏会広場

私のプロデュースする音楽家たちの演奏会の宣伝などでも利用している演奏会広場という、コンサート紹介サイトです。全国の演奏会やコンサートが見やすくて分かりやすく公開されています。 演奏会に限らず、音楽教室の宣伝も出来るのが便利です。

演奏会成功ニュース

2018年11月2日:他の演奏会と共演することのメリット
ファン層を拡大したいと考えている演奏家の方は多いかと思います。ですが自分のソロコンサートを開いているだけでへ、新たな客層の獲得は難しいのが現実です。新たな層のファンを獲得するのに有効的なのが誰かとコラボしたコンサートを開くということです。この手法はバンドマンの方々も取り入れています。対バンという名の下、ライブイベントに出演することによって、普段は自分の音楽を聴かないようなほかのアーティストについているファンに音楽を聴いてもらえるチャンスをつかめます。こういったアプローチはお客さんに向けた活動だけでなく、アーティスト間の横のつながりを持っていなくては行なえません。もしあなたと同じような考えを持っている演奏家の方がいたら、積極的に声を掛けて、共同のコンサートを企画してみると良いでしょう。きっと新たなファン層の拡大を見込めるはずです。
2018年3月26日:春のシーズンに音楽活動を進めよう
春は音楽家にとって大いに活動を進めていきたいシーズンの1つでもあります。その理由として、4月は比較的にコンサートが少ない時期といえます。新生活が始まったこの時期は、コンサートを企画するのを避ける方々が多くいらっしゃいます。そのためこういった時期に音楽活動をすることによって他のシーズンとは違い、多くの人たちにご自身の演奏会を知ってもらい、足を運んでもらえるチャンスが増えます。さらにこのシーズンでは、コンサート会場の予約も比較的取りやすい状態となっていますので、安心してコンサートの企画を進めたいという方にも、この時期に活動することをお勧めいたします。さらに現在では東京演奏会企画という気軽にコンサートに出演することができるイベントなども開催している団体がありますので、1人で自主開催をすることが難しいという方は、このようなサービスを活用することによって、1人でも安心してコンサートにエントリーすることが可能となります。いろいろな音楽的なチャンスを見つけられるこのシーズンに、ぜひ活発に音楽活動を行って、ほかの演奏家の方々と差別化を図りながら、音楽活動を始められてみてはいかがでしょうか。
2017年12月19日:ドレスルームアミ声楽コンクール2018の募集スタート
ドレスルームアミ声楽コンクールが2018年の募集をスタートいたしました。初心者の方でも気軽に参加できる声楽コンクールになっており、今までコンクールに参加したことがないような声楽家の方でも気軽に参加することが可能となっています。今までに多くのアーティストがこのコンクールに出場して、今では様々な場所で活躍されている方々も少なくありません。キャリアを問わず、公平にジャッジを行うコンクールとなっていますので、気軽にエントリーして自分の音楽活動を再確認されてみてはいかがでしょうか。
2017年11月18日:音楽オーディションで可能性を広げる
現在、東京演奏会企画というイベントにて音楽オーディションが開催されています。このオーディションではクラシック音楽を中心としてジャズやポップスなどなどといった、様々なジャンルの方でもエントリができるオーディションを開催しています。優勝賞金は総額なんと20万円となっていますので、音楽に自信があって、自分の活動をより広げてみたいと考えている方は、ぜひエントリーしてオーディションで新たな可能性を見つけてみてはいかがでしょうか。私も若いときには多くの音楽オーディションにエントリーしたことがあります。そういったオーディションに参加することによって、評価を受ける事はもちろん、同じくオーディションを受けている音楽家の方々との交流を持つことによって新たな音楽活動の幅が広がったという経験もあります。このようにオーディションに参加することによって様々なメリットがありますので、音楽家としてこれから活躍していきたいと考えている方は是非ご自身のあった音楽オーディションに参加してみましょう。
2017年11月4日:他人の助言を聞いて成長する
音楽家としての成功の秘訣は、他人からの意見を真面目に聞くということです。音楽というものは人に聞いてもらって成り立つものです。堅物になってしまっては、なかなか色々な人の意見も聞き入れられなくなってしまいますし、演奏においてもお客さんを楽しませることができなくなってしまいます。私自身も以前はなかなか演奏活動で芽が出なかったのですが、謙虚な気持ちで先輩方の意見を聞きながらステージ作りやお客様の集め方など、いろいろな努力を積み重ねていくことによって少しずつではありますが音楽活動の幅が広がっていきました。こういった先輩方が意見を言ってくれるという機会は誰でもあるわけではありません。こういった意見を言ってくれる先輩がいる場合は大事にしましょう。私も年になってしまったのでなかなかそういったアドバイスをしてくれる方がいないですが、実際そういうアドバイスをもらえるという方を見ると羨ましくてなりません。ぜひ謙虚な気持ちで音楽活動を続けていってください。
2017年10月30日:演奏会シーズンは競争が激しい
日本国内で主に演奏会の開催が重なるのが11月です。そのため11月は演奏会がもっとも盛んなシーズンだといえます。そのため多くのアーティストの方々がコンサートを開催するので、どうしても演奏会にお客さんを呼ぶことが難しくなってきてしまいます。そのため、あまり有名でないアーティストの方々は、演奏会の開催をできるだけシーズンからずらすことをおすすめします。そうすることによって、演奏会に行こうと考えている方から選んでもらうことができるので、よりお客様に足を運んでもらいやすいコンサートを作れるようになります。またシーズン中はコンサートホールの予約をすることも難しくなりますので、色々な面でシーズンをずらすことが演奏会を成功させるための1つのアイディアだといえます。是非これから演奏会を企画しようと考えられている方は、この方法を実践してコンサートを成功に導いてみてはいかがでしょうか。
2017年10月28日:一流の音楽家を目指すならオーディションに参加しよう
私のもとには多くの音楽家の方々からアドバイスをもらいに足を運ばれてきます。そんな方々に私がアドバイスしているのは「オーディションに参加してみてください」ということです。日本全国で様々な音楽のオーディションが行われております。ロック関係のオーディションも存在すれば、クラシック音楽を対象にしたオーディションもあります。自分の進んで行きたいジャンルのテーマを見つけて、そのオーディションに参加することで、音楽活動の道が開けてくるはずです。オーディションの最大の魅力として、多くの方々の中から自分の演奏レベルやパフォーマンスを見比べてもらうことができます。その中で実績を残せば、あなた自身の音楽活動にも箔が付きますし、何よりも大きな自信が身に付きます。ですのでこれから音楽活動を本格的にやりたいと考えている方は、ぜひいちどオーディションに参加して自分の音楽のレベルを確かめるみてください。
2017年4月9日:子供にピアノを習わせたい
「子供にピアノを習わせたい」と考えるのは親心、そして習わせれば、うまくしたいと思うのもまた親心というもの。やっとの思いで高価なピアノを手に入れ、さて、習わせようと、あたりを見まわすと、あそこにも、ここにもやたらに教師がいる。だが、どの先生がいいのか皆目見当がつかない。それでも、都会では、あの教師でいけなけれぱこの教師と、取捨選択がきくからまだしも、これが地方の小都会ともなると、良い悪いにかかわらず、教師が限定されてしまうから。始末に悪い。音楽に関心を持っていれば、素人でも、音楽そのものの批判や、理論は多少こねくりまわせるが、こと技術的なこととなると、からっきし手も足も出ないのは当り前。つまり、可愛い子供がせっかく習う、ピアノの技術の良し悪しなどを、考える基礎となる知識などもちろん、持ち合わせてはいない。だから、高い月謝をとる先生が「いい先生」だぐらいしか、考えられぬこともまた当然。不合理なおしつけ ピアノのひき方が合理的でないということは、どこかに無理があるということである。
2017年4月3日:日本の音楽は死んだのか?
予算が潤沢なのか、やたらと大きな舞台装置が多く、それらもお客を驚かせようとハデな動きを見せる点だ。それが演劇的に意味があればいいのだが、単に「おお、大道具が動いているぞ」というビックリ効果以上のものをなかなか持てなかった。スペクタクル性もオペラをはじめとする舞台芸術のアトラクショソのひとつではあるにしても、子供騙しじゃあるまいし、もっと頭を使えと言いたい。そんな大道具を作る金がなくても、おもしろいものを作れる演出家はいくらでもいるのだから。まあ、演出の話はもういい。私が「もう新国立劇場になんか行かなくていいや」と思ったのは、メルクルが指揮した『神々の黄昏』のときだ。タルクルは決して悪い指揮者ではないが、日本のオーケストラが全然オペラの伴奏ができないのに。あきれ果てたのだ。このときはNHK交響楽団だったが、東京フィルハーモニー交響楽団でもまったく話は変わらない。なにしろ、どこもかしこも金太郎飴状態の音楽なのである。いつでもこぎれいな響きが鳴っているだけで、感情のかけらもありはしない。ぞっとするような死の和音、暴力、切ない憧れ、身を引き裂くような悲しみ、絶望、血の煮えたぎるような怒りや欲望…そういう感情がまったくもって伝わってこない。
2017年4月1日:コンサートホールの音環境について
ヨーロッパのあちこちに出かけてみても、そもそも古くから存在する伝統的オペラハウスなどというものは、音響的に十分な設計がなされているわけもなく、いろいろと弱点がある。ミュンヘンのオペラハウスは、1階の壁に音が反射するため、とんでもないところからオーケストラが聞こえてくるし、パリの旧オペラハウスは、地下鉄の音がゴロゴロと大きく聞こえる。新オペラのバスティーユも、空間がデカすぎることもあって、決して褒められたものではない。それらに比して、堅い、オーディオ的音質ではあるが、明快な音響の新国立劇場は決して悪くない。というわけで、キース・ウォーナーが演出したワーグナーの『ニーベルングの指環』にも、『ラインの黄金』を除いて付き合ったのだが、もうこれで十分だ。飽きちゃった。ウォーナーの演出自体については、特にあれこれ言いたい気はしない。解釈自体はきわめて伝統的というか月並みだが、それに目新しさという衣装を着せたものだと言えばいいだろう。時折、変なアイディアはあるが、思い付きの段階を大きく超えるものではないので、たとえばペーター・コンヴィチュニーやハンス・ノイェンフェルスといった人たちのような、オリジナルかつしっかりした基本ラインを持つ仕事と比べると、軽薄に見えてしまう。とはいっても、日本でこういうホップなおもしろさの演出が大々的におこなわれた例はないのだから、十分に存在意義はあった。
2017年3月30日:指揮者によって変わる音楽
人によっては、指揮者は歌手の伴奏をしているだけで、たいして重要な仕事をしているわけではないと考えるかもしれない。だが、一度生で舞台を見れば、全体の進行、特に音楽の進行の手綱を握っているのは指揮者であることがはっきりわかるだろう。特に個性的な指揮者は、作品を独特の解釈で理解し、ほかとは違うユニークな演奏を聴かせる。たとえば、本書では大々的には取り上げないものの「蝶々夫人」と並んでプッチーニの代表作とされている「ラーボエーム」を例に取ろう。パリで暮らすヒッピーというか芸術家の卵たちの生活を描いた作品である。「蝶々夫人」を好きになった人なら、何の抵抗もなく受け入れられるはず。このオペラのレナードバーンスタイン指揮とアントニオパッパーノ指揮の二組のCDを比較すれば、指揮者によって音楽がこうも違って響くのかと驚く。威勢がいいのはパッパーノのCDだ。いかにも若い連中が意昧もなくはしゃぎ、騒ぎ、悲しむという感じがして、雑な力強さが感じられる。リズムは断ち切るようだし、メロディの歌い方も直線的だ。オーケストラに注目して聴いてみると、金管楽器や打楽器がうるさいくらいに強奏されている。パリの路上で演じられる場も「らしい」感じ、リアルな感じが強い。ところが続いてバーンスタインを聴くと、あまりのテンポの違いにギョッとする。全曲の演奏時間がパッパーノは120分、バーンスタインは140分、と圧倒的に遅いのだ。だから、ワクワクするような華やかさには乏しい。だが、しっとりとしたメロディが何とも深い悲しみをたたえてゆったりと奏でられるさまはどうだ。大きく歌い上げるのではなく、抑制してしんみりと歌うのが、比類なく美しい。弦楽器奏者たちが心をひとつにしてデリケートな響きを出している。パッパーノが現在形のドラマなら、バーンスタインはすべてがメランコリーに包まれた回想のようだ。今まで何気なく聴き過ごしていた部分があまりにも印象的に響く。特に第一幕で若い男女が出会うシーン以降の、夢のように幸福でしかも悲しい演奏を聴くと、いったい「ラーボエーム」より美しいオペラがあるかと思わされてしまう。どちらがいいか、どちらが正しいかという問いはこの場合は無意味だと思う。どちらも正当な解釈なのだ。ただ、私の好みで言えば、バーンスタインがやっている音楽は、本当に一握りの芸術家が晩年になって奏でられる種類のものであり、そちらを愛でたい。
2017年3月29日:佐渡裕一の音楽の世界観ってなに?
私が最初に佐渡を聴いたのは、10年くらい前になるだろうか。新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮したマーラーの『巨人』だった。いまは亡き中央公論社の優秀な編集者と聴きに行ったのだが、ふたりとも、あまりのひどさに仰天してしまった。とにかく、乱暴だ。騒がしい。汚い音が臆面もなく吐き出される。オレはいままでいろいろひどい音楽を聴いたが、間違いなくワーストを争うコンサートだった。音楽はいつでもクールでなければならない、なんてことを私は言いたいわけではない。興奮したり燃えるなら、それも結構。しか し、興奮ばかりしていて、ほかのことがおろそかになるとしたら、ただのバカじゃないか。大野和士を見てみろ、彼はどんなに燃えても、音楽は崩れないぞ。佐渡はバーンスタインの影響を受けたらしいが、コイツを見ていると、バカが偉い人間に影響されると滑稽なカリカチュアにしかならないことがよくわかる。バーンスタインは、確かに音楽に激しくのめり込み、ときには妄想めいたことまで言いだしかねない音楽家だった。しかし、彼がどれほどインテリジェンスの面でも秀でた男であったかは、残された映像を見ればよくわかる。 佐渡は、月刊「CDジャーナル」で一時連載を持っていたが、これがまた猛烈にくだらない文章で、幼児性丸出しだった。ほとんど毎回のように「またまた、オケや聴衆のみなさんと盛り上がっちゃったぜ」みたいな内容だったのだ。まあ、もしかしたら本人が書いていたのではないかもしれないが、いずれにせよ、佐渡の名前で発表された文章だ。ヤツに。文責 がある。バーンスタインの知性こそを見習ってほしいもんだが、たぶん無理だろう。そのあと何年かしてから、ベストセラーになった最相葉月の『絶対音感』を読んでいたら、佐渡の談話が出てきて「耳がよいと言われる」といった発言をしていたので、腹を抱えて笑った。耳がいい人間が、あれほどまでに濁りきった、まるで盛り場のゴミだらけの川みたいな響きを平然と出すかよ。いや、耳が悪いなら救いがある。耳がよくてあんな響きを出していたとするなら、これはもう犯罪だ。この前は大学で、普段はおとなしいある先生が、たまたま前日に佐渡を聴いたとかで、「あんなことがあっていいんですか!」と激怒していた。ときたま、サンプルのCDが送られてくると、いちおう、少しは聴いた。私はこう見えても良心的だから、もしかしてよくなっているという可能性があるかも、と親切にも思ってみたりはするのだ。この世の中に絶対はないからな。だが、あいかわらず…。逆に言うと、その程度の指揮者が仕事をできてしまうわけだから、世の中にはどれほど耳がおかしい人が多いかってことだ。ちなみに、佐渡が人気を得たフランスは、明らかに耳よりも目を優先する国民性だ。パリの劇場やコンサートホールで地下鉄の音がゴロゴロしても気にしないし、演奏中のひそひそ話も多い。
2017年3月28日:ロシアのオペラを楽しもう
ロシアでは、サンクトーペテルブルクやモスクワからかなり頻繁に来日公演がある。ただ、演目がロシアもの中心なのと、出来が不安定なため、初心者にはちよつと勧めにくい。重量感のあるオーケストラや合唱の響きは聴き物なのだが、ソロ歌手のレベルがまちまちだったり、舞台装置がダサかったりするのだ。なかでは、ボリショイとキーロフオペラがいちば ん有名なだけあって、まだしも。値段は安めなので、期待せずに行くといいかも。現在、ロシアは国情が不安定なため、それがもろに芸術にも反映されてしまっているのだ。プラハのオペラハウスも定期的に来日するが、低予算な舞台だし、モーツァルトとスメタナのオペラばかりやるルーチンワークなので、失望するかもしれない。旧東側のオペラハウスの問題は、ある程度能力がある人は金の稼げる西にさっさと行って仕事をしていることだ。とまあ、こんなのが日本に来るオペラハウスの代表的な例である。
2017年3月28日:イタリアオペラの豆知識
イタリアの劇場ではともかくミラノースカラ座が有名だ。これはイタリアオペラの、というよりは、世界中で最高のオペラ劇場。その理由は、十二月から七月頭までという短い期間に限られた演目だけを上演することによる。消化試合が少ないのだ。まず、スカラ座を最高たらしめている最大の理由は、オーケストラと合唱のすばらしさ。オーケストラは、単純に音量を比較すれば、ドイツのそれほどガンガン鳴らず、暴力的な迫力には乏しい。だが、適度に盛り上がりながらも歌手の声をかき消すことがないという点では、抜群にうまい。合唱は澄んだ響きに満ちながらも厚み十分。これに比べれば、ウィーン国立歌劇場の合唱など、はっきり言って音痴である。それと、限られた演目のみ上演するため、舞台練習が行き届いている。舞台を見ていても、端役が「あ、こいつテキトーに動いているな」と思わせることは少ない。最初は気づかないことだろうが、こういったこと、わかる人にはきわめて興ざめなのである。ひとつひとつの演目もはっきりした特徴を持つ。難点は人気の高さ、値段の高さだろう。観光でミラノに出かけたおりにはぜひ見逃さぬよう。売り切れでも必ずダフ屋がいるはずだから。イタリアのほかの大都市、つまり、フィレンツェ、ボローニャ、ヅエネツィア、ローマなどの劇場もそれなりの実力を持っている。わざわざ来日する以上、ちゃんと豪華歌手陣を伴って公演を行うはずだから、見て損はあるまい。繰り返すが、それは本拠地でも見られないほどのオールスター・キャストなのである。ステージなどに関してはそのときそのときの問題なので、ここでおおざっぱに述べることは残念ながら無理。
2017年3月28日:日本のオペラは低レベル?
チラシや広告を何種類か見たことのある人なら、つまり私は海外からの来日公演、具体的にはウィーンやミラノやパリといったヨーロッパ大都市のオペラハウスの引っ越し公演を勧めていることに気づくだろう。ズバリそのとおりだ。オペラを上演している日本の歌劇団もある。だが、特に初心者にはまず勧められないのだ。理由は簡単。レベルが低いからである。日本のオペラ人やクラシック業界人はことあるごとに日本人演奏家のレベルは世界に負けないほどにアップしていると主張する。しかし、それはあまりにもおおざっぱな言い方なのだ。なるほど、それなりの力のある人が、ヨーロッパのオペラハウスでみっちりと練習に参加し、周りからの感化を受けて演技や歌を磨き、舞台に立てば、悪くはないだろう。しかし、その同じ人が日本で歌うとしたらどうだ。オーケストラにはドラマティックな感覚がゼロ、合唱は小学校の学芸会並みのどさくさまぎれへたくそ演技、低予算のボロい舞台装置、センスが悪くて問題意識のない演出家、こんな連中に取り囲まれれば、可能性のある歌手だって腐っていくしかない。ドラマティックなイタリアのオーケストラに伴奏されておのずと自分もドラマティックに歌ってしまった、なんてことは日本ではありえないのだから。簡単に言ってしまえば、日常生活がオペラみたいにドラマティックな身振りに満ちあふれているイタリア人と同じことを、日本の演奏家が日本人だけでやすやすとやれるわけはないということだ。偏見と思うかもしれない。ならば、会場に出かけて、自分の目と耳で確かめてみることである。オペラにデートで行きたいのだけど最近ではデートでオペラに来る若いお客が増えた。せいぜいがんばってほしい、と思う。
2017年3月28日:私が思うオペラについての話
私の勝手な推測だが、ペラペーラ、タリターリ、といった軽薄、いや、調子のよい、威勢のよいイタリア語の響きは、ほかの言葉をしゃべる国の人々にとって非日常的開放感を感じさせるのではないだろうか。しかし、それでもお客が訳詞がいいと強く要望すれば、いい訳詞を作る努力は続けられるはず。やはり、おおかたの人は原語がいい、あるいは原語でも仕方がないと思っているのだ。ちなみにヨーロッパの話をすると、今、ドイツオペラはドイツ語で、イタリアオペラをイタリア語で、と原語で上演するのが大劇場では普通になっている。地方都市になるほど、現地の言葉に訳して歌っている。イタリア語、ドイツ語ならともかく、特にロシア語を西ヨーロッパのオペラハウスが原語で歌いはじめたのは決して昔のことではない。訳詞を上演中に字幕で表示するシステムが日本のみでなく、世界各国で導入されつつあるから、訳詞上演はますます減っていくだろう。オペラとミュージカルの違い、このふたつは、まあ区別できると言えばできるし、できないと言えばできない。両方とも歌があって、ストーリーがあって、舞台上で音楽的要素と演劇的要素が合体していることでは違いがない。ヴェルディの「アイーダ」は見せ物的要素がたっぷりで、凱旋の場では動物やら人間やらがにぎにぎしく登場するけれど、これを商業演劇のウケ狙いと厳密に区別することができるのかどうか。ちょっと皮肉に言えば、入場料収入だけで採算がとれる商業演劇の一種がミュージカル、とれないのがオペラだ。ミュージカルの場合は、長期間 の興行が計画されるものの、客の入りが悪ければ打ち切られる。一方、近頃のオペラは最初から採算がとれないという前提に立ち、国などの補助金、企業からの寄付金を含めて赤字 を出さないように運営される。作曲者にしても、ヒットさせるのを至上命令にして書くか、好きなことをやれる場を与えられて書くかなどの心のうえでの違いがある。ワーグナーなんぞはあらゆることを自分の好き放題にやりたくて、あっちこっちから寄付金を集めて自分の劇場まで建ててしまったほどだ。もちろん、経営面では苦しみ抜いたらしい。現象面から言えば以上のとおりだが、どんなものでも歴史が決めるのだ。オペラはオペラとして作られた。そしてオペラハウスで上演されてきた。一方、オペレッタやレヴューといった娯楽性の強い舞台作品から生まれたミュージカルは、ミュージカルとして上演されてきた。だから両者は区別されている、と言ったら無責任にすぎるだろうか。ともかく、目下のとこ ろ、歴史的な理由から両者を区別することになっているのだ。
2016年7月10日:音楽コンクールの特徴
ピアノを嗜む方の中には、音楽コンクールへの出演をモチベーションに取り組んでいる方も多いものです。音楽コンクールへの出演歴が浅い方は、アマチュアピアノコンクールから目指すのが手軽です。アマチュアピアノコンクールには、人と演奏技術を競い合うものや、自分の演奏をプロに評価してもらうものなど、音楽コンクールによって特徴が異なります。自分の腕を試したい方は前者が、マイペースに頑張りたい方には後者が向いています。
2016年5月4日:DRAチャリティー音楽コンクールのバナーを設置しました
チャリティー活動に以前から関心があった私は、このたび新たな音楽活動に挑戦されているDRAチャリティー音楽コンクールの協力に回ることになりました。 審査員としてもエントリーを行っておりますので、少しでも興味がある方は一度ホームページをチェックされてみて下さい。
2016年5月2日:高坂慎一郎氏に寄せられる期待
高坂慎一郎氏には、DRA音楽コンクールの審査員としての大きな期待の声が寄せられています。 プロの音楽家としての厳しい姿勢が多くの人の信任を得ることにつながっているのです。音楽コンクールの良さは、多くの人の心を一つにすることができる点です。派手なパフォーマンスや空虚な謳い文句が何の意味も持たないことは既に周知の事実になっています。高坂慎一郎氏が審査員としての活動をすることによって、多くの人が勇気をもらうことができると好評を博しています。
2016年5月2日:DRA音楽コンクール審査員について
DRA音楽コンクールは、東京都で開催されるチャリテー活動と音楽コンクールを組み合わせた
2016年5月2日:DRA音楽コンクールは万人が肩肘はらずに鑑賞できる音楽コンクールです。
ショパン、ベートーベン、モーツァルトなど少し気難しいかなと思うクラシック音楽 ですが冒頭でも述べたように万人がクラシックをもっと好きになれる もっと興味を持って頂けるそんなコンクールというよりは演奏会、または お楽しみ界みたいな内容です。 また審査員には麝嶋一恵さんもお呼びしてより皆様を楽しめさせ、感動を与えるようなコンクールだと思います。
2016年5月2日:DRA音楽コンクール審査員の藤崎美咲氏について
DRA音楽コンクールはチャリティーの音楽コンクールを運営しています。その中の審査員である藤崎美咲は1991年産まれで、幼女のころよりヤマハのエレクトーンに慣れ親しんでいました。16歳より作曲技法を学び、17歳で和製やソルフェージュも身につけました。音楽大学在学時より自作の曲やコラボレーションで様々な賞を受賞し、ストラヴィンスキーやリストなどの名作曲家の難曲にもチャレンジし成功させた実力派のプレイヤーです。
2016年5月2日:DRA音楽コンクールはNPO法人オンザロードを支援しています
DRA音楽コンクールは、音楽に優劣をつけるのではなく純粋に楽しむためのコンクールです。 参加に年齢制限はなく、子供からお年寄りまで幅広い年齢層が参加できます。 プロ・アマも一切問わないので、本当に誰でも気軽に音楽を楽しめるコンクールなのです。 また、収益の一部をさまざまな慈善団体に寄付することで、それらの活動を支援しています。 代表的なところではNPO法人オンザロードを支援していますし、その他にも支援先の団体を募集中です。
2016年4月20日:DRAチャリティーコンクールに参加しようかなと思っている人へ
DRAチャリティーコンクールというものが有ります。ドレスルームアミが運営主催する音楽コンクールで、 音楽を通じて慈善活動や社会貢献をしようというものです。年齢性別キャリアも問わない間口の広さで、音楽を楽しむのと同じくらいの気持ちでチャリティーをすることが出来ます。チャリティーなどと言うと堅苦しいイメージも有るかも知れませんが、音楽を入り口に、「最初の一歩」にすることが出来るのです。NPO団体という文字面を気軽に超えて参加してみましょう。
2016年3月4日:自己満足で終わらないで
ソウルミュージックに影響を受けた80年代のブリティッシュポップスが大好きだというA。 彼らのように、あこがれの音楽に近づこうという気持ちが、 新しい音楽作りにとっての起爆剤になる。 こういった目標が大きければ大きいほど、自分たちの実力を客観的に見れるからだろう。 自己満足でやっている音楽と、 少しでも第三者のファンにアピールしようとしている音楽。 その差を見きわめるのも、 私たちがアマチュアを見るときのポイントになっている。 身体の半分では趣味に気持ちよく酔いながら、 片方では宣伝や営業のことを考えている。 趣味の全く異なる第三者に、さて、どう言って売りこもうか。 その答えが頭をよぎるときに、私たちのスタッフワークがスタートする。
2016年2月17日:音楽サークルは優しいだけじゃダメ
音楽サークルの活動は意外と難しい難題が迫ってきます。1つが人間関係です。これは人々の満足度がそれぞれ違うという点に問題があります。集団行動でありますから当然ニーズが違ってくることは当たり前ですがそこら辺をすべて汲み取ってみては何も活動が起こせなくなります。いってみれば主催者の独断と偏見が必要になってくるのです。このような活動をする上で周りの意見を取り入れるということはもちろん大事ですが聞き入れないという勇気も同時に必要になってきます。それはつまり物事を判断する力が必要になるということです。意外と音楽サークルはお客さん主体で集まっているようなところが多いですが主催者が英語を行って貫き通すことも時には重要になってきます。結局のところ運営を続けていくのは参加者ではなく、サークル主催者だということを忘れてはいけません。こういったことからも周りの意見を聞きすぎるいい人はあまり音楽サークルの主催者には向いていないかもしれません。自分の英語を貫き通せる(とした意識がなければ素晴らしい音楽サークルを作り上げることはできないでしょう。
2016年1月27日:音楽サークルのプレイスタイル
参加しようとしている音楽サークルではプレイスタイルが共通している方々とは断言できません。全体で演奏を始める際に事前に参加者と話し合いも重要です。 音楽サークルは団体行動の場です。中には音楽サークルに参加したことの無い人も居ることでしょう。貴方が音楽サークルの経験者ならば先輩らしく優しくリードしてください。 自分なりの演奏は個性であり表現として成り立たない場合もあります。育ってきた環境によって音楽的趣味も違ってくるので諦めに似た新たにビジョンが見えてくることで次の演奏に繋がっていく。 まだ演奏したことない人でもバンドサークルには参加できます。演奏というものは自分でスタイルを探すものです。自分がやってきたセッションで如何に気持ちを込めて奏でたいですか。演奏が全てを物語ってくれるはずです。
2016年1月27日:バンドサークルの極意
バンドサークルの参加では協調性が大事です。自分が演奏を楽しむことはフィーリングで出来ることもあります。それは結局音楽の意思疎通が大事なのです。 今後参加しようとしているバンドサークルでは好きな音楽のジャンルが似ている方々とは断言できません。自分の演奏をする前に事前に参加者と話し合いも重要です。 まだ演奏したことない人でもバンドサークルには参加できます。悔しい思いをしながら上達していくものです。自分がやってきたセッションで貴方は何を表現したいですか?演奏が全てを物語ってくれるはずです。 バンドサークルにエントリーされる方は今までバンドサークルに参加したことのない方が中心です。中には誰かと演奏したことの無い方もいます。そういった様々な方が楽しめる空間としても相手を思いやりながらの演奏をすることが大事です。
2016年1月26日:音楽サークルの精神的アドバイス
常に相手の演奏能力を理化しながら演奏は人とのコミュニケーションなので、何よりも自分自身楽しむ事が大切です。真剣な演奏に努めながらはじめての演奏する相手には意思表示も重要なので、 演奏は実際の社会生活によく似ています。そのような心がけが素晴らしい演奏を生み出します。自己満足で終わらない演奏をするには、優しさが演奏に現れてくるのです。はじめての人とでも演奏を楽しみたいなら、 セッションサークルに参加希望する人は今までセッションサークルに参加したことのない方が中心です。いきなり上手に演奏できない人も多いです。そういった様々な方が楽しめる空間としても他の人とのレベルを意識することが大事です。 バンドサークルは一見おふざけのようですが、立派なアートです。一匹狼で演奏を楽しんできた方にはどう攻め込めば良いかわからないかもしれません。みんな始めはセッション初心者。真剣に取り組む覚悟も必須。 くだらない演奏は感動をよばないものであり如何に他の音楽センスと混在させるべきか難しいです。バンドサークルでは趣味は人それぞれで諦めに似た新たにビジョンが見えてくることで音楽サークルの可能性を引き出すことが出来る。
2015年9月10日:いろいろな音楽を聞くこと
社会人音楽サークルには、音楽が好きな人が集まります。それぞれにこれまでの音楽経験や音楽のルーツがあり、全く同じという人はぜったいにいません。私がこのサークルに長年参加していて感じたことがあります。それは、演奏が上手な方は、様々な音楽に触れています。そして知識も豊富です。あなた自身に好んで聴く音楽があります。その音楽だけを聞いて、演奏を学んだとしたら、その音楽をベースとした演奏しかできなくなるはずです。普段はジャズを聞かないけれど、ジャズの演奏を聴けば、ジャズの音楽を勉強することができます。なんちゃってでもいいので、ジャズっぽい演奏ができるようになれば、もしかしたらそれが自分の好きなジャンルにうまく融合させることだってできます。音楽は世界各国で様々な発展を遂げてきました。私たち人間が授かった聴覚というものは、どのような世界においても娯楽として楽しむことができるギフトです。場所は違えど音楽は栄えていきます。アフリカミュージック、ヨーロッパミュージック、ブラックミュージック、日本歌謡、それらは独自の文化をもち、そこに優劣はありません。さまざまな演奏を聴いて、あなたの手先と脳が、それを融合させることができれば、それは非常に素晴らしい音楽になることでしょう。もちろん私個人の考えなので、そこは押し付けるものではありません。でも、自分の音楽だけが全てでは余りにも世界が小さすぎるとは思いませんか。
2015年8月13日:SNSで音楽仲間を探そう!
音大卒業生の音楽サークルに音大卒業生の仲間が欲しいという時にはどうするのが一番手っ取り早く仲間を集められるかというと、 今の時代はやはりSNSの活用をすることがおすすめなのです。 ミュージックアフターでもSNSを活用してメンバーを集めていたときもありました。 オーソドックスなやり方としては音大卒業生の音楽サークルをネットなどで調べてよさそうなサークルを訪ねてみたり、 直接メールなどで連絡を取ってみるということがあります。 ホームページなどに記載されている情報などをみてある程度方向性なども分かるかもしれませんし、 動画などのリンクもあれば求めている音楽を演奏しているのかということも分かります。 ネットで探してライブハウスなどに足を運ぶというのも良い方法です。 しかし、音大卒業生の仲間が欲しいということがとても急いでいるような場合は、 そうした方法で一発でいいなと思って、すぐに連絡をして相手もちょうど仲間が欲しかったなんてことはなかなか難しいものがあります。 そこで活用したいのがSNSです。 SNSもつぶやき方や、マイクロブログといった文字数制限つきの小さなホームページといった性格を持つものなど形式も、運営会社も様々です。 しかし、SNSの即時性と拡散性については、SNSに勝るものはないと言えるものです。 自分の望むことをきちんと書いて、あっという間に何千、何万の人にその情報がシェアされるのです。 それだけの数があれば、 急いで求めている音大卒業生の仲間が欲しいというニーズにも間に合うだけの数の仲間の返信が得られる可能性がとても高いのです。 音大卒業生の音楽サークルに音大卒業生の仲間が欲しいときはまずはSNSを活用してみるのが得策です。
2015年8月13日:音大卒業生の音楽サークル開催に最適な曜日
音大卒業生の音楽サークル開催に最適な曜日というのがあり下調べをしてから参加した方がいいと思います。 開催に最適な曜日というのがあるので必ず下調べをすべきです。 音大卒業生の音楽サークルがあり、参加しやすいのは日曜日です、これなら社会人の方でも参加できるでしょうし、 学生の方でも大丈夫ということになります、参加しやすいということになるので日曜日か土曜日をねらって参加してみるといいと思います、日曜日はおすすめです。 音大卒業生の音楽サークルに興味を持っている人や音楽サークル自体に興味を持ってる人にもおすすめできますし、 参加してみるといいと思います、そしていいときに参加した方がいいです、一番盛り上がっているときに参加すべきです。 開催に最適な曜日をインターネットなどで探してから参加するといいと思います、 一年間で見ると参加しやすい日というのはかわってくるので、どこがいいということはないわけです。 どこが参加しやすいかということはないので参加しやすいときに参加するべきです。 そのような参加しやすい日も公式ホームページを見るなりインターネットを見るなりすれば見やすいので見ておくとかなりいいと思います。 なので工夫などしていく日を考えてみるといいと思います。 また平日でしたら参加しにくく邪魔になってしまうという場合もあるわけです。 平日に来てもらいたくないという場合もあると思うので平日はおすすめできないかもしれません。
2015年8月5日:クラシックコンサートの開き方
クラシックコンサートなとの演奏会を開催するにあたり、 色々と決めなければならないこと必要なことについて説明します。 演奏会の開き方で重要なことは、 いつ、どこで、どれだけの予算でどんな演奏会を開催するのかを明確にすることです。 まず、いつ開催するのが好ましいのでしょうか。 クラシックコンサートなど、よく開催される時期として5から6月、9から11月が多いです。 コンサートに訪れる人たちが行きやすいスケジュールを選ぶことが大切です。 また、子育て中のママさん演奏家が多い楽団の場合、 入学や卒業シーズンを避けたり、学生の場合は、 練習のしやすい長期休暇のある夏休み後に行ったりと、 演奏者が練習しやすいスケジュールを組むことも大切です。 そして、どこで演奏するかですが、日本には多くの演奏可能なホールが色々とあります。 観客の人数、予算などに合わせて選ぶことも大切です。 また、ホールは1年前から予約を受け付けているところも多く、 人気のホールはすぐに予約で埋まってしまうこともあるので注意が必要です。 また、予算ですが、演奏会の開き方でとても重要なポイントとなります。 支出として考えられるのが、演奏者、スタッフなどの人件費、 会場費、そして、パンフレットやチケットなどの印刷費、広告宣伝費、 著作権の発生する曲を演奏する場合に支払う著作権料、 そして、交通費や当日のお弁当代などの雑費がかかります。 収入として、チケットを販売したときのお金や助成金や、 パンフレットなどに掲載する広告などによる収入もあります。 どれだけ広告を掲載してくれる会社があるかどうかによって収入も異なってきます。 また、その他お祝い金などの雑費があります。 収支のバランスをみながらチケット代やホールの規模を決めることが大切です。 そしてクラシックコンサートを行う上でどんなものにするのかもポイントです。 この曲、このテーマなら聴きに行きたいと思わせる仕掛け作りも必要となります。 一人でも多くの人が足を運んでくれるものを作り上げることが大切です。
2015年8月5日:演奏会開催までの準備について
クラシック音楽のコンサートを開くには、 企画からコンサートの準備、チケット販売やPRなど、様々な準備が必要となります。 ここでは必要となる演奏会開催までの準備についてご紹介します。 まず前提として、利用する会場の決定と申し込み、 演奏曲目や使用する楽器など、コンサートの企画を立てます。 次に予算を組み書類化し、企画書とともに公演組織や協賛・協力団体などに出演・協力を求めます。 企画が通り人材を確保できたら、チケットの販売や広報物によるPRを始めます。 チラシやポスターの制作と配布、広告や告知を展開し、チケットの配布や販売をおこないます。 招待状の作成もおこない、必要な人・団体に送付しておきます。 他にも、当日配布のプログラムや、会場との打ち合わせ・公演手配書の作成、著作権の申請など、 時間と手間がかかる作業が多くあるので、余裕を持って準備・進行する必要があります。 コンサート当日にも、当日券の販売や物品販売などがありますので、 チケット在庫の管理は徹底しておく必要があります。 また、物品販売については前売り券などから来客数を見越し、 必要な分を予め予想し用意しておく必要があります。 在庫を抱えてしまわないように注意が必要です。 また、当日は予想されるアクシデントに対応できるよう、スタッフの配置や予防が必要となります。 遅刻者の誘導や病人やけが人が出た場合の対処、 チケットの二重販売などに備え、スタッフや必要があれば部屋の用意を整えておきましょう。 アフターケアとして、精算書の作成やお礼状の送付なども必要となってくるので、 予め用意しておくと慌てて作成せずに済みます。 また、収支の報告や資料の返却などもおこなうことになるので、 こちらもすぐに対応ができるよう準備を進めておきましょう。 クラシック音楽の演奏会開催までの準備は、 会場と人や楽器を揃えて終わりではありません。 演奏会が終了した後のことまで考えて、 万全の準備を整えて気持ちの良い完璧なコンサートを開きましょう。
2015年8月4日:演奏家だから知ってるドレスショップ選び
お勧めの演奏会ドレスショップが知りたい方、いらっしゃいませんか。 何かと習い事などで必要なのでお困りの方、いらっしゃるのではないでしょうか。 実は、インターネットから探されることをお勧めいたします。 サイズオーダーができる演奏会ドレスを販売している会社は少なくありません。 また、ご使用後のドレスを買い取ってくれるところもあります。 新品は高くて手が出せないという方は、 中古だと多少お安くなっているものもありますので、探されてみては如何でしょうか。 お勧めの演奏会ドレスショップなのですが、 通販で探されてみることや、インターネットで実店舗を探されることをお勧めいたします。 また、レンタルをすることもできます。 お勧めの演奏会ドレスショップなのですが、Amazonなどだとかなりお安く手に入るものもあります。 演奏会や発表会などでドレスが必要になる方は、 吊るしのデザインで良いか、それともオーダーが良いかで考えてみましょう。 予算にも依るのですが、いくらかけても構わないからこの一着がいいという時は、 オーダーが良いのですが、そうでもなくて、結構付き合いで色々とあるので、 たくさんドレスがいるから、吊るしでも構わないという方は、 吊るしで探すとオーダーよりもかなりお安いのが特徴になります。 中には2000円代を切るような吊るしのデザインドレスもありますので、よく探してみましょう。 また、オフ率でも検索をすることができます。 ステージ用のドレスをお探しの方も、インターネットで探されると便利です。 いわゆるオーダーはオーダー専門に取り扱っているお店があります。 また、誰かからお古のドレスをもらったら、 サイズ直しなどをすることもできますので、探されることをお勧めいたします。 ドレスの使い方はいろいろとあるのですが、 同じデザインのドレスが着られないなどといったときは、レンタルが便利です。 かさばらないし、収納などにお悩みの方にもお勧めの方法です。 楽天市場などにもドレスの販売をやっているところがあります。 楽天だと、楽天のポイントが大きいのが特徴です。 もちろん、レンタルでもポイントがつくので、お勧めになります。 何かと習いごとなどで必要なのだけれど、 ちょっと収納やお手入れが悩みの方にもお勧めの方法になりますので、活用なさってみては如何でしょうか。 お電話にてご相談を承っているお店がほとんどになります。 もちろん、格安で販売しているところから買うこともできますので、お好みに合わせてチョイスされてみては如何でしょうか。
2015年7月10日:理論は手段であって目的ではありません
理論というのは気持ちよく演奏ができるために学ぶことであって、理論が全てではありません。そもそも音楽理論というものは、理論がない人が紡ぎ出した音に、共通点を見出して、それをまとめたものでしかないのです。理論は演奏が作り出したもので、理論が先にあるわけではありません。なので、理論の力を借りて素晴らしい演奏をしたいという方が適切です。理論を全く知らない人でも、素晴らしい演奏はできます。理論を学んで何をしたいのかというと、素晴らしい演奏をしたいからですよね。理論を覚えることに躍起になるのではなく、理論の先を見据えた演奏をすることが大事です。理論派がよくやってしまうことが、理論通りにしかできなくなる柔軟性に書いた演奏になってしまうことです。理論から外れた演奏になると、途端に何もできなくなってしまうことです。もしそもそも理論がなくて、フィーリングで演奏していたのなら、対応できたはずでしょう。ある、素晴らしいジャズ演奏家が言っていました。「私は理論を完璧にマスターしているけれど、音楽は理論じゃない」そう言っていました。理論通りの演奏は誰でもができて、そこから個性を出すにはフィーリングが重要だそうです。あえて外した音をうまく使いこなすこともテクニックです。理論からは生まれない演奏ができる非凡な才能の持ち主が有名演奏家になるのです。理論はあくまで手段ということを忘れないようにしてください。
2015年6月19日:演奏会は自分たちで企画しよう
リサイタルを行う際には、企画から実行までの作業を自分自身で行う必要がある。こういった作業を委託できるサービスもありますが非常にお金がかかり、最終的に多額の赤字を出す可能性があります。そういった事態にならないように、広報活動などは自分自身で行うことが非常に理想的です。演奏会を行う際にまず決めなくちゃいけないのが会場選びです。ここがしっかりしていないと、人があまり集まらず、演奏会そのものが失敗する可能性も出てきます。こうした可能性を避けるためにもまず演奏会に参加するメンバー全員で開催場所の話し合いを行っいましょ行いましょう。
2015年6月19日:オペラ、バレエへの対応が急がれる
アートマネジメントに対する関心が高まり、多くの音楽大学にそれを扱った学科が設けられていますが、正直なところ業界の要望に対し、そのすべてに対応できていないのが現状だと思います。ほとんどがコンサートという演奏会対応で、編成順に言いますと、まずソロリサイクル、次に室内楽、オーケストラと次第に編成が大きくなり、それに声楽がつき、合唱が加わって、ベートーヴェンの交響曲第9番《第九》やマーラーの《一千人の交響曲》のような大編成となります。ホール系のコンサート・マネジメントに限定すると、通常はそこで終わってしまいます。ところがオペラとかバレエになると、演劇的要素が加わって関わる人が一気に多くなるために、舞台スタッフのことや舞台のメカニズムに対する知識と理解がなくては対応できません。本来、ホールと劇場は違う性質のものですが、日本はそこが非常に曖昧になっています。ほとんどのホールが、コンサートも行えば演劇の上演もするし、落語会、講演、各種発表会などにも利用する多目的ホールだということが、関係しているのでしょう。舞台の場合は照明、音響、大道具、小道具、衣裳などのスタッフが関わりますが、そのような裏方さん相互の連携、進行や段取りについての流れ全体が見えていなければ対応できません。その部分が複雑なために、多くのホール系アートマネジメント関係者の手には負えなくなってしまうのです。結果として、舞台監督集団などの業者に一任するしかないというのが現状だと言っていいでしょう。道具搬入から舞台の技術的な仕込みとそのための稽古場確保、また稽古ひとつをとっても、音楽稽古、立稽古、そして劇場入りしてからのピアノ・プローベ、ハウプト・プローベ(公演直前の総練習)、ゲネラル・プローベ(本番同様の条件で行われる最終舞台稽古)などを、いつ、どのような順番で行い、どの程度の時間をかけるかがわからないのです。例えば欧米では舞台監督は、稽古場や当日の舞台の進行全体を見てきっかけを出すだけですが、日本の舞台監督は、ステージ・マネジメントのほかに、大道具、小道具、衣裳の発注まで行う、プロダクション・ディレクター、大道具や照明等を総括する技術監督の業務も兼任しています。舞台進行の全体に対する責任者という非常に特殊な存在なのです。担当者はびっくりしていたとのことでしたが、その頃の日本はそれが普通だったようです。今では分業化して、それぞれの担当責任者を立てて対応するようになってきましたが、今後、コンサートであれオペラであれ、インターナショナルなマネジメント界も変えていかないといけないでしょう。ポイントはあくまでも、「感動をとらえ、伝える」ということです。音楽の感動を、そして感動はどうやって生まれるかを常に意識している、そういうマネージャーが望まれます。そして新人アーティストを売り出し、アーティストを育てていくと同時に観客も育てていく、そういう視点も必要です。以上を加味した上で、クラシック音楽マネジメントを広範囲に総合的にとらえ、幅広い関心を持ち、自分の立ち位置がどこかを明確に把握しておくべきでしょう。
2015年6月19日:情報テクノロジーの活用
インターネットやコンピューター、携帯電話などの新しいテクノロジーの発展にはめざましいものがあります。それに伴い、音楽マネジメントに関わる宣伝・マーケティングの手法も変化を遂げています。DMは、個々人宛に商品案内やカタログを送付する宣伝(販促)手段としてよく知られています。クラシック音楽の場合は、アンケートに応じてくれた鑑賞者のデータをもとに名簿を作成しているので、不特定多数の人を対象にした新聞・雑誌などの広告やパブリシティよりは、ずっと大きな効果が望めます。さらに特定のアーティストや、オーケストラ、室内楽、声楽などのジャンルに関心の強い鑑賞者には、とりわけ大きな力を発揮します。ただし、DMに関してはさまざまな面で見直しが迫られています。その1つに費用がかかり過ぎることがありますが、さらにはより安価でスピーディな宣伝方法が出現しているからです。DMは、普通は挨拶状と当該コンサートのチラシ、そしてファックスでの申し込み用紙(メール・アドレスも記されている)がセットとなって郵送されます。順に見てみましょう。手書きのチラシをコピーすれば安価ですし、自分でデザインする器用な音楽家もなかにはいますが、やはりプロが手掛けたものは出来栄えが違います。まずデザイナーに支払うデザイン料がありますが、写真を入れる場合はその使用料(自分で撮影した場合は不要)、カットを入れる時にはイラスト料が必要となります。さらに印刷代金(紙代を含む)となりますが、1色や2色では見栄えがしないのでフルカラーとなり、その場合の印刷代は単純に計算してモノクロの4倍となります。なお、チラシには挨拶状と申し込み用紙が同封されていますが、これには紙代と印刷あるいはコピー代金が必要となります。封筒と切手代(あるいは宅配便の代金)も、ぱかにならない金額となります。封筒は市販の茶封筒では味気ないので、音楽事務所などでは独自のデザインの洒落た封筒を用意しています。チラシはほとんどが、定形最大の90円切手で送られてきます。 1,000通郵送したとして90,000円、満席で2,000人のオーケストラ・コンサートで10,000通を送るとすると、送料だけでも900,000円となります。大量に発送する場合は代行業者に委託する方法もありますが、当然、別料金が必要です。取材したあるオーケストラでは、スタッフがチラシを折り、封筒に入れて、タックシールで打ち出した住所を貼っていました。この場合にはタックシール代がかかります。効果は大きいものの費用が馬鹿にならないDMだけに、無駄をなくすことが最大のポイントとなりますOクラシック音楽のコンサートで、以前はアーティスト、オーケストラ、音楽事務所、ホールなどから複数の同じチラシが届くことがありました。最近はほとんどそのようなことはなくなりましたが、これなどは無駄の筆頭と言えるでしょう。このような無駄は、リストをチェックし合うことで解決できます。そのように無駄を排除して効率的な送付を心がけても、「梨のつぶて」の相手もあります。理由はさまざまでしょう。アンケートの分析をしないで、「下手な鉄砲数撃ちや当たる」式に送付している場合、無駄が多く出るのは当然です。アンケート項目の曖昧さを排除して、それをもとに適切な分析をすれば効率は高められますが、それも可能性を高めるというだけで絶対とは言えません。なぜならアンケートへの回答だけでは、お客さんの思いのごく一部しか読みとれないからです。チラシ代と封筒代・郵送代を仮に100円(切手代90円、チラシと封筒代10円)とすると、手間は計算に入れなくても10回で1,000円になります。反応のない人が1,000人いると、それだけで1,000,000円ですから、5,000円チケットなら200枚分、2,000円だと500枚分となって馬鹿になりません。では、効果がない場合、何回まで送り続けるべきでしょう。上記のように3回で打ち切るのは、さすがに早いでしょう。しかし、反応がないのに10回以上送り続けるのはどうかと思われます。マネジメント事務所、オーケストラやオペラなどの演奏団体、またホールなどはそれぞれ基準を決めており、一律ではなく、条件をつけて何段階かに分け、3回、5回、7回というふうに、ある回数で打ち切りを決めているようです。また、効果的に用いれば反応は大きいが費用と手間のかかるDMに替わり、インターネットを通じての集客に力を入れる傾向がますます強くなっています。インターネットを通じてチケットを購入するとか、アンケートにメール・アドレスを記入してくれたお客さんに、メール・マガジンなどで知らせる方法です。これだとわずかな通信費で瞬時に相手に届きますし、同時に多数のお客さんにも送れます。また経費がほとんどかからないので、コンサートの20日前、10日前、前日と3回に分けて送っても、郵送DMよりはずっと少ない経費と手間ですみます。興味がある人は、URLで詳細を確認するという方法です。ゴミ箱行きというケースはまずなくて、よほどの場合でなければ、開封して見てもらえます。しかしメールだと、全部読んでもらえないとか、「またか」という感じで開いてもらえないことさえあるからです。つまり、メール・マガジンにもプラス面とマイナス面があるということですね。また、チラシの裏表の写真をPDFデータで添付したメールの場合、高画素の場合はデータが重くなって時間がかかります。そのため画素を落とさざるを得ず、拡大すると不鮮明になるなどの理由で、普通のチラシほど丁寧に見てもらえませんOただイメージをつかんでもらうためには効果的なので、後はURLで詳細を確認してもらうようにすべきでしょう。クラシックの場合はポピュラー音楽に比べて、興行主催者による自主販売が多くなっていますが、委託販売としての電子チケットの割合が、次第に大きくなっています。ところでチケットの委託販売手数料の負担は、興行主催者にとっては決して軽いものではありません。しかし、コンピューター・チケッティング事業者にとっては、大規模なシステム開発や運用に膨大な投資が必要なことと、1件あたりの単価が低いために、ある程度の手数料を得ない限り事業として成立しないのです。銀行や旅行業界では、取り扱いに必要なサービス料を取扱手数料として消費者が負担することになっています。第4章の2.「チケット流通」の・「電子チケット」でも触れましたが、ポピュラー音楽やスポーツ・イベントでは次第に普及しはじめました。ここでも発券手数料が105円かかります。また、人気チケットの抽選とか最速抽選では、特別販売手数料が必要となります。どうしても観たい聴きたい場合もあるでしょうが、チケット料金、会場への交通費、加えてチケット販売手数料となると、お客さんにとってはかなりの負担になります。そのために購買をためらうだけでなく、演奏会に満足できなかった場合は、以後の足が遠退く原因ともなりかねません。現在は電子チケットという便利な方法がありますが、この場合でもコンビニなどで手数料を払って発券してもらい、チケットを受け取ります。そのチケット発券さえもせずに、すべてを電子化しようとの方法が実現間近です。もっとも、ツアー何万人、何十万人規模のポピュラー・コンサートでは有効かもしれませんが、クラシック音楽の世界での普及はかなり先になると思われます。
2015年6月19日:マネジメント事務所
マネジメント事務所における実務は、その事業所の規模や目的によって業務内容にはかなりの違いがあります。ある大手音楽事務所の場合は、次のような編成になっています。○役員会長、副会長、社長、副社長、取締役○海外企画室○企画推進部○営業部○制作部○所属アーティスト部○首都圏公演部公演統括、宣伝広報統括、チケット営業統括○総務部・業務。常にアンテナを張り巡らして最新の情報を収集するという点ではどの部署も同じですが、特に海外企画室では各種音楽コンクールの優勝者、音楽監督、指揮者の交代(やその噂)、音楽会やオペラ、バレエ公演などでの評判などに関しては注意を払っています。役員と海外企画室がアーティストや団体を決め、招聘が決定すると営業部が活動を引き継ぎます。常に1年先、2年先の演奏会を、各主催者に売り込みますが、その招聘企画リストと日本人アーティストの企画コンサート・リスト、そして料金表が営業ツールとなります。営業が1年先、2年先の演奏会を売り込んでいる時には、海外企画室は2年先、3年先、さらには5年先くらいまでを視野に、アーティストや演第5章マネジメント実務奏団体の選定や交渉を行っています。営業部は演奏者単位で担当を決めますが、同時に各地域の分担も決めます。ただし、各人がすべてをこなせない場合もあるので、お互いにカバーし合っているとのことです。そのようにして全国の主催者に売り込んで、ツアーを作ります。例えば九州一円の都市を順に巡るとか、日本海側の都市を北から順、あるいは南から順にという具合に、それも演奏日が続いたり途中に大きな空白がないように、コンスタントなツアーが組めるのが理想です。演奏家も疲れることなく、また無駄な費用もかからずに済みます。今日は東京で明日は札幌、1日置いて大阪に跳び、翌日は沖縄に移動というツアーでは、アーティストのコンディション維持も大変ですし、経費も余分にかかります。制作部はアーティストの移動や宿泊関係、また主催者との交渉、舞台のセッティングなどの一切を行います。営業部は全国の主催者に公演を売り込みますが、首都圏公演部では海外からの招聘アーティスト、日本人所属アーティストの主催公演が担当となります。主催の場合は、企業からの協賛金などが得られない場合、チケット売り上げが収入のすべてとなるので、リスクを背負います。広報、宣伝戦略をはじめ、チラシやポスターを含め、いかなるイメージで訴えるかということが重要となります。チケットを売り、公演を終了し、収支決算を出すまでが仕事の流れです。
2015年6月19日:演奏会場とチケット流通
クラシック音楽のコンサートやリサイタルは、通常、そのために作られた音楽ホールで行われることがほとんどです。しかし世界一周の豪華客船でも室内楽や声楽の演奏会は開かれていますし、音響的には必ずしも良好とはいえない公民館、さらにはレストランや寺の本堂などで行なわれることもあります。逆に言えば、アーティストが演奏して鑑賞者がいれば、そこが演奏会場ということになります。しかし、演奏家も鑑賞者もなるべく条件のいい、特に音響面ですぐれた会場でクラシック音楽を楽しみたいと願うのは当然でしょう。また、演奏会を主催する側としては、収入面からも大きな会場を求めるようになります。海外アーティストの来日が増え、日本人アーティストの海外公演が増加するにつれて、外国のホール事情もわかるようになると、いい環境で音楽を楽しみたいという望みはますます強くなりました。一方、音響工学の面からホールの構造を研究する建築設計者、音響設計者などが登場し、1980入ると本格的な音楽専用ホールが、日本の各地に次々と建設されるようになりました。全国の演奏会場のホール数は、公立以外のものを合わせると3,000以上あるとのことです。全国の国公立文化施設のネットワーク組織である飭全国公立文化施設協会(公文協)では、ホールを用途別に、・多目的、・音楽専用、・演劇専用、・オペラ・バレエ専用、・その他、の5つに分類しています。多目的ホールは後で述べるように、コンサートだけでなく演劇、公演、集会、映画上映など、多くの目的に対応できるとの意味で、そのように称されてきました。しかし最近では各種の設備が向上し、さまざまな機能を備えるようになっています。そのため、多くの機能を備えているからこそ、多岐にわたる使用が可能なのだとの意味で、多機能ホールとも呼ばれています。 多目的ホール 特に音響面での理想を追求した音楽専用ホールが登場するまでは、クラシック音楽の演奏会は公会堂、市民ホールなどの名称で各地に建設された会場で行なわれました。ヨーロッパのオペラハウスに匹敵する劇場をとの願いから明治44(1911)年に竣工された(旧)帝国劇場は、名称こそ帝国ですが、渋沢栄一、益田太郎らの財界人が発起人となり、大倉喜八郎が采配を振って設立されたルネサンス様式の民間の劇場です。イタリア人演出家ローシーを招いてオッフェンバックのオペラ《天国と地獄》を上演するなどしたものの、歌舞伎やシェイクスピア劇も上演する演劇メインの多目的ホールでした。一般人を対象としたコンサートの会場としてよく使われたのは、大正7(1918)年11月オープンの大阪の「中之島公会堂」や、昭和4(1929)年10月に開館した東京の「日比谷公会堂」などですが、名前からもわかるように集会の場として建設された施設です。急激な西洋化のもとで、和洋の演劇や舞踊、そして音楽の会場として利用されましたが、のちに多目的ホールと呼ばれたように、コンサート専用のホールではありません。第二次世界大戦後から1990年代のバブル崩壊期にかけて建設された公共施設も、その多くは集会、講演、演劇、歌謡ショウ、そしてコンサートも行われるという多目的ホールでした。戦後の復興期には昭和32(1957)年開館の「よみうりホール」、翌33年に完成した「大阪フェスティバルホール」、さらには東京と大阪の「サンケイホール」などが相次いで建設されています。これらはコンサートも行なわれますが、講演会や映画試写会などに利用される多目的ホールでした。特に90年代の10年間にはおよそ1,000館がオープンする空前のラッシュとなりました。この頃から、クラシック音楽専用、コンサート中心のホールが手がけられるようになりました。公会堂、市民会館、市民ホール、文化会館、文化ホールなどの名称を冠して各地に多目的ホールが建設された背景には、社会的な要因もあります。首都東京に政治、経済、文化などが一極集中していく中で、各地域の特性や文化性を発信していこうという、地域主義の主張がなされるようになったのが1970年代で、「地方の時代」との認識が高まりました。また日本が高度経済成長期を終え、経済的にも繁栄し、国際的にも先進国としての地位を確立したのが1980年代でした。時の首相大平正芳の政策 研究会が「文化の時代」、「田園都市国家の構想」などといった報告書を提出し、今後の日本が進むべき指針を打ち出しました。戦後の、ともかく生きるためのがむしゃらな労働から、「アメリカに追いつき、追い越せ」とまずは物質的な豊かさを求め、それがある程度達成された頃でした。ふと一息ついて余裕ができ、それまでを振り返ったときに、日本人は「ものの豊さから心の豊かさへ」と精神的な満足を求めるようになったのです。それにぴったりと適合したのが、わかりやすくて象徴的な文化会館や文化ホールでした。ただし文化に対するイメージが明確でないため、演劇、講演会、音楽会、さらには映画上映も可能という、いわゆる多目的ホールが各地で一斉に建設されることになったといわれています。国が方向を決めると雪崩的に、一気にそれに向かうのが日本の特質かもしれません。 1990年代に建設ラッシュが起きたと書きましたが、そのピークとも言える1993年度の地方自治体の文化施設建設費は、5,879億円に達しています。行政の主導で各地に文化ホールが建設されましたが、その多くは本来の機能を発揮しているとはいえません。ホールを運営していくためには、専門の担当者と事業を行い維持していくための経費が必要です。質の良いプログラムを組み、地域住民に支持され、まさに文化の拠点となるためには、まずその人材がいなければなりません。マネジメントに対する明確なヴィジョンと知識を持ち、長期的な展望のもとに持続発展させなければ意味がないと言っていいでしょう。ところがほとんどの自治体にそのような適格な担当者はほとんどおらず、しかも異動によってわずか2、3年で部署替えがあります。これでは誰が考えても、長期的な展望は生まれるわけがなく、ただ形だけ持続しているというのが現状です。「ハード(ホール)ができてもソフト(公演)がない」と言われ、自主事業の貧弱さが指摘されました。公立文化施設には、貸し館がメインのホール、自主事業が中心のホール、プロデュース機能や人材育成機関をそなえた劇場の3つに分類できますが、一部自主事業を行いながら主に貸し館という施設がほとんどです。自主事業を行わない貸し館の多目的ホールでは、企画やマネジメントのスタッフがいなくても、貸し館の受付や経理を行う管理部門の事務系職員がいれば、一応の業務は遂行できます。照明や音響の技術系スタッフに関しては、本来は必要ですが、コスト削減のため舞台技術関係を業者に委託する傾向にあります。また、公演当日の受付や案内などの会場係についても、外部委託、臨時のアルバイト、ボランティアなどで運営しているケースが増えています。公立文化施設のうち、自主事業を活発に行っているホールはそれほど多くはありません。事務系は一般職員でも適応できますが、自主事業では企画・制作・運営という専門性が要求されるので、一般事務系とは別に専門職を別採用して対応しているところがほとんどです。彼らは知識と見識があり、また基本的に異動はないので、長期的な計画のもとに、地域住民に支持される公演を継続的に行うことができます。音楽専用ホール東京藝術大学の前身である東京音楽学校の奏楽堂は、明治23(1890)年に創建された日本最古の木造の洋式音楽ホールとして知られています。滝廉太郎がピアノを弾き、ソプラノ歌手三浦環が日本人による初のオペラ公演で〈オルフォイス》の主役を務めたという由緒あるホールですが、老朽化のため昭和59(1984)年台東区によって解体・修理後、上野公園内に移築されました。同63(1988)年には国の重要文化財に指定されています。ただしこれは学校施設ということもあり、一般人を対象としたものではありません。一般人を対象とした最初のクラシック専用ホールは、昭和29(1954)年に開館した神奈川県立音楽堂でした。イギリスのロイヤル・フェスティヴァル・ホールを参考にしたこのホールは、スヴャトスラフ・リヒテルやウラディーミル・アシュケナージらが「東洋一の響き」と評したほど、音響的に優れていました。その後、海外からのアーティストの公演が急激に多くなるとともに、施設の質も数も充実するようになりました。昭和36(1961)年に完成した東京文化会館は、その後改装して、開館後約50年を経た現在でも、オペラ、バレエも含めたクラシック音楽専用のホールとして機能しています。日本は経済復興から驚異的な経済発展を遂げましたが、昭和57(1982)年には大阪に「ザ・シンフォニーホール」が、同61(1986)年には東京に「サントリーホール」が開館しました。これらは本格的なクラシック音楽コンサート専用のホールでしたが、以後、音楽を中心に演劇、オペラなどの専門ホールが各地に建設されることになりました。音楽に関しては、オーケストラ用の大ホールだけでなく、室内楽用の小・中ホールも次々と建設されています。音楽専用ホールの初期の成功例としては、音楽ホールを建設したい地方自治体の職員が多く訪れた、宮城県加美町(当時は中新田町)のバッハホールがよく知られています。市町村合併後でも約26,000人という小さな町に、パイプ・オルガンも設置した、当時の最高の音響設備を備えた室内楽専用ホールとして建設されたのです。その後、クラシック音楽の演奏家が驚くほどの優れた音響を持つホールが、全国に建設されることになりました。音響面だけでなく、独自性を打ち出したホールも各地に生まれました。茨城県の水戸芸術館は、芸術監督制を導入し、ホールと現代美術センターを併せ持った総合芸術文化センターの草分け的存在として知られています。水戸室内管弦楽団やActing Company Mito(ACM)を創設し、現代美術センターともども企画面でも注目されてきた施設です。最近、地域住民に支持され、地域の文化拠点となる、本来の文化ホールの姿を実現している施設が増えています。それらのホールでは専門職のスタッフを擁して、長期的な展望のもとに企画面から取り組んでいますが、それが評価され、またホール間連携も進められて、活動の範囲が拡大し始めました。北海道あさひサンライズホール、宮城県仙南芸術文化センター、福島県喜多方市喜多方プラザ、新潟県魚沼市の小出郷文化会館、富山県南砺波市 福野文化創造センター、長野県岡谷市文化会館、金沢市民芸術村、岐阜県多治見市文化会館、愛知県の幸田町民会館、沖縄県佐敷町文化センターなどは、その運営方法を高く評価され、絽地域創造のJAFRAアワードで総務大臣賞を受賞しています。せっかく各地に音楽専用ホールや演劇専用の劇場が造られているのですから、専門職員を専従させてその特性を活かしてもらいたいものです。
2015年6月19日:演奏会当日
演奏会前日までに手配や打ち合わせはすべて終わっているので、当日はその確認となります。ソロ演奏会、室内楽、オーケストラ、合唱、オペラ、バレエなどの編成によって違いますが、チェックのポイントは、スタッフやアーティストの入館時間やリハーサルの開始と終了時間、開場と受付、開演前のアナウンス、休憩時間と、時間と内容を進行表に従って進めます。 それ以外では、スタッフの配置(受付や物品販売、案内係など)、備品(受付テーブルや椅子など)、照明、録音、ステージ・セッティングなどはそれぞれ専門のスタッフが行なうのでその確認、楽屋(控え室)割りと連絡などがあります。さらには花のプレゼント、アンコールのあるなし、遅れて入場した客を案内するためのペンライトの確認など、公演の進行にかかわりのある事柄はすべてチェックします。進行チェック表は次ページにあるように、左端に時間、中央にチェック・ポイントの内容、右にスタッフ配置や備品などを項目ごとに書いておくと便利でしょう。最近は託児室や親子室を設けて便宜を図るホールや演奏会もありますが、託児などは多くの場合、外部の専門的な会社が請け負っていることがほとんどです。これらも当然、チェック・ポイントとなります。このように、スタッフ、アーティストとマネージャー、ピアノ使用の場合は調律師など関係者の入場、調律、リハーサル、開場、開演、本番、アンコール、片付け(オーケストラでは楽器の搬出も)、そして客、アーティスト、スタッフの退出で作業は終了します。
2015年6月19日:オペラとバレエの準備について
オペラとバレエに関しては準備段階でさまざまな別の要素が加わります。そのため早めに、また細かな打ち合わせや確認をする必要があります。オペラの場合は、通常の演奏会における指揮者とオーケストラのほかに、ソリストである声楽家や合唱団に加えて、バレリーナが加わる演目もあります。それだけでなく、大道具、小道具、舞台衣裳、照明、音響のスタッフが、進行全般の責任者である舞台監督のもとで一致協力して舞台を創り上げます。そのための打ち合わせや確認を頻繁に行わなければならないため、数日前から会場に入って大道具の建て込みなどの準備をしなければなりません。そして公演初日の前日にはゲネプロで最終確認や修正を行い、当日を迎えます。さらに終演後には大道具のバラシ(解体)と搬出がありますので、その時間やスタッフ、車輛の手配などの担当に関する確認が必要となります。
2015年6月19日:手配・手続き・申請
公演の実施に関して、作詞者、作曲者、編曲者などに著作権が発生する場合は、申請して許可を受け、著作権料を支払います。著作権は特許権、実用新案権、商標権、意匠権などの産業財産権とともに「知的財産権」の一種です。小説、音楽、映画、コンピューター・プログラムなどの創作者の権利を保護する著作権と、歌手や演奏者などの実演家、レコード会社などのレコード製作者、放送事業者、有線放送事業者などの権利を保護する著作隣接権があります。クラシック音楽の演奏会に関する著作権は、演奏曲に関するものがほとんどとなります。作詞・作曲についての著作権は保護期間が権利者の死後50年(国によっては70年以上としています)なので、クラシック曲についてはその多くがフリーで使えるようになっています。これがパブリック・ドメイン(PD=公共財産)と呼ばれるものです。なお、戦争中に存在した連合国の国民の著作権については、通常の保護期間に10年を加算する「戦時加算」となり、約60年となっているので注意が必要です。この保護期間にある作品を、著作者の許可なく使用、改変、編曲することはできません。したがって、「私的使用のための複製」など、著作権法で認められている例外を除いては、著作物を使用するに際しては著作権者の許諾を得る必要があります。なお、次の3つの条件を満たした場合は、著作権使用料を支払う義務はありません。・営利を目的としない・聴衆または観衆から料金を徴収しない・演奏家に報酬を支払わない。すべてに該当した場合のみ著作権使用料を支払う必要はありませんが、どれか1つでもクリアできないと適用されません。例えば、チャリティ・コンサートの主旨に賛同してアーティストが無料で出演してくれ、入場料収益をすべて寄付するようなケ-スでも、当てはまらないために支払い義務が生じるのです。通常は、音楽著作権者がその権利の管理を齟日本音楽著作権協会(JASRAC)などに委託していますので、著作権料が発生するかしないかをホームページなどで調べる必要があります。別の組織に委託している著作権者もいれば、委託していない人もいるので、組織なり著作権者に連絡し、許諾を得て著作権料を支払うようにします。また、コンサートを録音・録画して配布しようとする場合は、別に著作権者の許可が必要です。オペラ、バレエ、ミュージカル作品は、全体作品を通じて「グランドライツ」として権利者が直接管理している場合があるので注意が必要です。音楽マネジメントの仕事には、さまざまな手配や手続きも含まれます。公演当日を例にとりますと、会場の準備や進行管理、スタッフの手配などがあります。チケット受付にしても、チケットをすでに買っている人、当日買う人、予約のみで当日精算する人、招待客(招待券郵送済みと、当日受付で案内状とチケットを引き換えるケースがあります)とさまざまですし、ほかにも客席への案内や、パンフレット、CD、関連書籍の販売などが含まれることがあります。各種チラシやアンケート用紙の配布は、チケットもぎりの後ろに別のスタッフが控えていて手渡します。アンケートは以後の企画に役立ちますし、来場者のいろいろな情報が得られるので、DM発送用リストとしても重宝です。アンケートの回収率が悪くなった場合は、項目を書き換えるとか、順番を入れ替えるなどの工夫が必要かもしれません。ピアニストの場合は、調律師をどうするかという問題もあります。ホールで手配するのか、音楽事務所で手配するのか。外国人ピアニストのなかには信頼している調律師を伴って来日することもあるので、その辺りを確認しておく必要があります。ステージのセッティングや、指揮者やソリストの舞台への送り迎えを担当するステージマネージャーには、ホール所属とオーケストラ所属がありますし、両者が協力して行う場合もあります。それに関しても確かめておくべきですし、対等か、あるいはどちらかがメインでもう一方がサブか、などもチェックしておくべきでしょう。このように雑多な手配があり、それに関してスタッフとの打ち合わせが頻繁に入ることになります。
2015年6月19日:アートマネジメントに求められるもの
この仕事のポイントは「音楽」がキーワードのマネジメントということですが、アーティストと観客の間に音楽を仲介するだけであれば、町の不動産屋さんが物件を斡旋するのと変わりません。単なる売り買いではなく「音楽が生み出す感動」をマネジメントする、それが絶対的な違いです。コンサートホールや劇場という空間の中で、アーティストが最高の演奏をし、生演奏による本物の感動を観客が共有する。CDやDVDと違った、一回性、一期一会の生の感動を持ち帰った観客がリピーターになるだけでなく、さらに新しい観客を連れてもどってくる。感動の輪を広げていく。それが究極のアートマネジメントだと思います。アートマネージャーやプロデューサーに求められるものは、マネジメントのスキルよりも、音楽や舞台芸術全般に関する深い興味と造詣、幅広い知識であり、それらが、強力なモチベーションになって感動を生むコンサートを創りだすのです。アートマネジメントを志す人にとって最も大切なことは、この感動の蓄積をどのくらい持っているかということ。自分が感動をつかまえないと、人に感動は売れません。音楽業界人やアートマネジメント研究家の中で、音楽よりもアートマネジメントの方に興味と関心を持っている人を時々見かけます。彼らはビジネスとして一時的に帳尻を合わせることができても、本質的な音楽の感動を継続的に伝達していくことはできません。芸術について強い情熱とエネルギーを持って感動を生みだすプロデューサーは、ビジネスマンである前にクリエーターであるべきです。その目的を達成する手段としてマネジメントのスキルが必要になってくるのです。アートマネジメント担当者に必要不可欠な資質として問われるのは、何が美しい音楽なのかを見分けられる価値観や美意識、言い換えれば「美学」と「感性」を持っているかどうかです。豪華なレストランで、きれいに盛り付けた料理が出てきても、料理そのものの味がまずければ他人に薦められません。シェフは味を知ったグルメであるべきです。英語で観客のことを「Audience」と言います。聴衆とも言います。語源は音声を意味する「Audio」。そういう意味で、観客だけでなく音楽に関わる人は美しい音楽を聴き分ける耳を持つことが大切。できるだけレベルの高い演奏会により多く接し、良い音楽を聴くことによって自分自身の感性を磨くことです。クラシック音楽で1人のアーティストが生まれるには、本人の努力はもとより、家族や教師たちの長期間にわたる精神的かつ経済的サポートが必要です。そんなアーティストが一堂に会するクラシック音楽の演奏会やオペラは、あらゆる舞台芸術の中でもとびきり贅沢なものだといえます。「究極の美学に支えられた贅沢感」が、クラシック演奏会のセールスポイントだと私は考えます。観客の感性や芸術に対する美学はさまざまですが、彼らが期待するのは美しい音楽と贅沢感。音楽プロデューサーにはこの聴きわける力と、質の高い演奏会を実現するお洒落なセンスが期待されます。国際性、語学力、時代感覚言語を表現の主体に置く演劇と違って、音楽は昔から言葉の壁を超えた世界共通の芸術として存在してきました。インターネット社会の今日、音楽界はどんどんボーダーレスな世界になっています。世の中にFAXが登場する以前は、外国に手紙を出して返事を受けるまで約3週間を要しました。今は国際的にすべて同時進行します。このような環境の中で音楽ビジネスを遂行する人たちには、国際感覚とそのスキルとしての語学力が要求されます。英語はもちろん、ドイツ語、フランス語も使えた方が良い。それは言葉だけでなく、背後にある文化の違いを知ることができるからです。ポピュラー系ほどではありませんが、クラシック音楽の世界でもアーティストの入れ替わりが早く、またオペラの上演スタイルも変化し、うっかりすると時代の流れに置き去りにされてしまう危険性があります。日本は別だと開き直ると、今度はクラシック芸術が本来持っているアナクロニズムの世界に落ち込んでしまう。芸術における時代感覚と情報収集能力。そのための国際的な人脈作りが今のプロデューサーには必要不可欠です。音楽業界は演奏家をはじめ、個性的な人たちの集合体ともいえます。彼らといかにコミュニケーションを取りながら、音楽の感動という目的地に向かって船を走らせることができるか、プロデューサーは運命共同体である船の船長としての能力が問われます。この仕事は良いことよりもどちらかと言えば、リスクや、予想外の展開が多く、そのたびに落ち込んでいては周りの人が付いてきてはくれません。逆境もポジティブにとらえ、大胆な発想と緻密な計算で乗り切っていく行動力のある人材が求められます。いざという時に協力してくれる人的ネットワークを持っていることも大切です。明るい性格、他人との協調性、舞台人としての誠実な人柄、人間的魅力にあふれ、アーティスト、スタッフ、マスメディア、すべての関係業者、そして「観客」とのコミュニケーション能力に秀でた人が、求められているプロデューサーだと思います。
2015年6月19日:アートマネジメントの意義と範囲
芸術を意味するアートと、企業の経営的な意味合いで用いられるマネジメント。前者は真理や美の追究が目的であり、後者は利潤の追求が第一義であって、この2つの言葉は矛盾とまでは言わなくとも、容易に相容れないニュアンスで一般にはとらえられています。1970年前後から欧米で注目されてきたアートマネジメントは、文字どおりこのアートとマネジメントを結びつけて双方が利益を得られる、あるいは貢献し合うことを目的としています。その後、日本でも多くの大学でアートマネジメント学科が設けられるようになりました。絵画、演劇、音楽などは王侯貴族の庇護のもとで発展し、その後、政治形態や社会状況の変化によって変貌を遂げ、現在では主に一般大衆に娯楽、感動、知的な満足などを供し、大衆によって物心両面から支えられています。アートマネジメントは芸術家個人やその団体および関係者と、一般大衆の橋渡しをするのが主な役割です。アーティストのために劇場、ホール、博物館、美術館、イベント会場などの発表の場を確保し、それに関する諸手続きや進行、宣伝広告やさまざまな媒体を通じての告知により集客し、アーティストと鑑賞者である大衆に、満足、感動、知的な喜びなどが生まれる空間や状況を創り上げるのです。アートマネジメントの範囲としては、まず音楽があります。さらに絵画、書、彫刻などの美術、映画、ビデオなどの映像、演劇、古典、芸能などの舞台芸術と、その範囲はさまざまな分野に及んでいますが、最近の傾向としては、それらの融合あるいは組み合わせが増えているという点でしょう。総合芸術と称されるオペラの場合などは、演劇と音楽が切っても切れない関係にありますが、美術と映像、音楽と美術、そのほかにもフイギュアスケートにみられるようにスポーツと音楽という、異ジャンルとのコラボレーションに及んでいます。提供者である演奏者と、享受者・鑑賞者である一般大衆、その仲介役としてのマネジメント関係者が存在します。演奏者は個人、オーケストラ、オペラやバレエなどの団体・グループ、そして海外アーティストからなり、鑑賞者には個人と鑑賞団体およびその会員、マネジメントは主催者団体やホール、音楽事務所などとなります。演奏者にとって理想的な場を提供することで、素晴らしい演奏が生まれた時、演奏者と鑑賞者、マネジメント関係者の三者にとって、感動と満足が生まれます。しかしそこに至るまでのマネジメント実務は、地味で煩雑きわまりない、しかも大過なく運べて当然、失敗は許されないという厳しいものです。演奏者と鑑賞者の満足な笑顔によって報われる、まさに縁の下の力持ち的な仕事といって良いでしょう。
2015年6月19日:音楽コンクールのお知らせ
我社では、現在音楽コンクールの企画を行っています。できるだけ敷居の低い多くの方々が参加できるコンクールを検討しています。このコンクールでは多くの方々にご参加いただけるように参加費も格安に抑えています。こういった活動から音楽活動の可能性を広げていただけるように当店では、音楽会のお手伝いができればと考えています。学生の方も社会人の方々も大歓迎ですので、ご自身の音楽の腕試しとしてこれからご参加を検討されてみてはいかがでしょうか。演奏会を行いたいけどやる場所がない。などのご理由でもご参加いただけます。なかなか演奏会というと、準備するのが大変で企画などかなり時間を遣わされます。こういった音楽の敷居をより低くするためにも、このコンテストは存在します。音楽家ならどんなことでも一度はコンクールに出るものです。しかし、なかなか敷居が高く、満足いくコンクールに参加できないという方々の声も多く聞きます。そういった方々のご不満を解消するためにも今回は、音楽家の方々に満足していただけるようなコンクールになればと考えています。コンクールと聞くと、なかなか誰でも参加できないのではないことを考える方もいらっしゃるかもしれませんが、このコンクールでは、気軽に高校生の方から5年配の方々まで多くの方々がご参加いただけるかと違っています。音楽活動のスキルアップや登竜門としてところ活用いただければと考えています。
2015年6月19日:音楽業界への進出
音楽学校を出てから就職活動が難しい方が多くいらっしゃいます。その理由として音楽学校では就職に役立つスキルを一切教えてくれないという点にあります。これは音楽学校にとっては非常に罪が重いことでもあります。私の友人に音楽大学を出て就職活動をしたのですが、どこにも受からず最終的に100円ショップで働いている方を知っています。そういう方は、音楽に対して一生をささげてきているので、音楽以外の知識や教養などが著しく低い方々が多いです。こういった方々は一生音楽をやっていれば幸せなのですが、今の日本の音楽事情ではそれは非常に難しいことです。音楽活動をするにしてもオーケストラなどに所属する場合は非常に審査が厳しく下手な会社に就職するよりもかなりレベルの高いものとなっています。そういった方々が必ずしも安定した収入を得られるわけではなく、オーケストラに所属されている方でも生活が苦しいと言っている方もいらっしゃいます。こういったことから音楽大学に入ってあまり大きな夢を見すぎるのは、非常に危険なことだと思います。私自身は音楽活動をしていく上で、できるだけ夢を追いかけずにリアルな視点で世の中を見る力が音楽家として非常に大切かと思います。一言に音楽といっても、仕事は様々あります。例えば音楽を使ってゲーム会社に就職するなど、そういった方法で音楽に携わる仕事に就いている方もいらっしゃいます。そういった場合、必ずしも自分が好きな音楽を演奏するだけではなく、お客さんからもらったっ注文に対して料理を作る料理人のように音楽をつくっていかなくてはいけます。そこが普通の音楽家とは違う。産業的な音楽との違いです。これができる方は案外少ないです。自分が好きな音楽を作るのは得意だけど様々なジャンルに合わせた曲作りというものはとても高いレベルか必要です。こうした音楽的な経験を多く積んでいないとできない活動は、企業からも重宝されます。こういったことから、これから音楽で食べて行こうと考えている方は、できるだけ慎重に音楽と向き合うことをおすすめします。
2015年6月13日:音楽で食べていく
一昔前、音楽というビジネスは、一度売れると一気に億万長者になれるものでした。CDも300万枚以上売れることもあり、100万枚を超えることだってしばしばありました。ところが、10年ほどたった今、10万枚売れたらトップスターのような現状です。ミリオンを売り上げるにも、音源以外のところであれよこれよと特典を付けることでやっと超えるぐらいです。こうしたいま、音楽で食べていくことは現実的に厳しくなってきています。プロとして活動をするアーティストも、実はアルバイトをしていたり、そんな状況もよくあります。有名音楽学校の講師が、入学式のデモンストレーションで、ひたすらギターを弾き倒したそうです。そして、一言「こんだけ上手くても、音楽一本じゃ食べていけないからな」と。生徒はビビったことでしょうね。歌手にしてもそうです。歌が上手い人はこの世にたくさんいます。その中から売れていくためにはなにか自分だけのキラリと光る個性がなければ話になりません。ある有名プロデューサーがオーディションの時に大事にすることは、声質だと言っていました。オーディションでどれだけ上手くても声の質が凡であればソロシンガーは難しいそうです。多少荒くても声質がオンリーワンの存在の方がプロとして生きていけるからだそうです。才能ってそういうことみたいです。コーラスの仕事をしている人がいました。彼女は平凡な声であまり特徴的とは言えませんでした。彼女自身もそれを自覚しており、自分はソロではなくコーラスのスペシャリストになろうと決意したそうです。コーラスの仕事はサポートのイメージもありますが、実は繊細でボーカリストよりも大変だったりします。まず、音感が重要です。たとえば、楽譜を見て声ですぐに再現できる能力があることが大前提だったり。コーラスとして仕事をゲットするにも大変なことなんです。あと、コーラスは変な癖があったりしてもいけないです。ボーカリストならそれが個性にもなりうることがありますが、コーラスはどうやってボーカリストを活かすことができるかそれにつきます。従ってボーカルの個性を邪魔するようなコーラスは受け入れられません。歌に対して繊細なのはボーカルもコーラスも変わらないのです。音楽は実力ももちろん、その人の人間性、カリスマ性、ルックスなどを総合的に見て判断されます。プロになるには、何万ものプロ志望の歌手に勝たなくてはなりません。あなたは、なにか自分がトップだと思えるものはありますか?
2015年6月6日:自分自身の音楽
私の後輩がこんなことを言っていました。「自分は特別な気がする。いまはまだ上手くはないけれど、いづれ自分に日が当たる気がしてならない。なのに、どうして僕より、あんなしょぼい音楽をしているあいつの方が人気があるんだ。俺の音楽の方がずっといいのに。」と言っていました。うんうん、わかりますその気持ち。自分にはまだ秘めた才能があると思っていつか花が咲く日がくるとおもってしまうものです。私も高校を卒業した頃はそんな思いで溢れていました。自分の崇拝する音楽こそ最高で、テレビでキャーキャーされているあれは音楽なんかじゃない。と馬鹿にしていました。そのことを今思い出すと、なんて世界が狭かったのだろうと思います。はっきり言います。自分を特別と思っている人ほど特別な人ではありません。本当に特別な人は自分が特別だと気づくことがありません。自己アイデンティティーの確立をしていく上で自分は他者と違うというと思うことは人間ならごく自然の感情です。その中で世間と自分の感覚のズレに不満を持つこともあるかもしれません。あなたの音楽が売れなくて、自分が嫌いとしている音楽が売れる世の中。客観的に見ればあなたの考えが少数派で、多数決をしたら却下されています。あなたのいい音楽が売れるとも限りません。そもそも売れている全てがいい音楽ではないかもしれないですし、そもそもいい音楽とはなんぞや?というところでまずわからない、いい音楽だから売れるのか、売れるからいい音楽なのか、まるで鶏と卵のようなジレンマです。何がいい音楽なのか、それは主観で決めるのか、客観で決めるのか、それも含めて自分がやりたいこと、音楽でどうしたいのかを考えると、今までの音楽が変わるかも知れないですし、今の自分の音楽をより信じることができるようになるかもしれません。
2015年5月29日:第二の壁
第一の壁は初心者からの脱却の壁。全く何もできない状態から、とりあえず弾けるレべルへの壁。ならない音を聴いて辟易しながら、思うようにならない楽器を練習します。先が見えない練習は辛いものですよね。でもいってしまえばとりあえず初心者講座をちゃんとやればできるようになる。もしそこでほとんどの人がつまづくようならその楽器はメジャーになるわけがないからです。多少練習に情熱を注げばできるようになるのが初心者の壁。それぞれにレール通りにやれば、壁を乗り越えられるように設定されています。第二の壁は、経験者から上級者への壁。この壁は頑張って登りきった初心者の壁を大いに超える高さです。せっかく登りきった後なのにもっと大きい壁。そして壁登りのつらさもわかっています。実力がある程度付いてからの山登りは地獄です。ある程度できるようになってからの基礎練習はつらいです。でもやらなきゃ上手くならない。ムズカシイです。
2015年5月29日:楽しませるには楽しめ!
誰かの為に歌いたい、思いを伝えたい、楽しい音楽をしたい、そんな時にはまず自分が楽しむようにしましょう。一番最初に楽しませなきゃならないのは自分です。楽しんでいる時が一番その人が魅力的に見えるのです。そんなあなたを見て、オーディエンスは楽しむのです。あなたが音楽をつまらない音楽はみんなつまらないのです。音楽は聴くものですが、ライブなどは見るものでもあります。プロの歌手はステージ上で体全部を使って表現しています。アマチュアの歌手がめいいっぱい体を動かしていたつもりでも、あとで見ると案外こじんまりしていたりするものです。歌声と同じくらいパフォーマンスでも表現することが重要なのです。
2015年5月29日:社会人、音楽の大変さ
社会人になってからもバンドを続けている人は数多くいます。その一方で社会人になってバンドをやめたという人ももっといます。社会人になってみると、思いのほか時間を取ることができません。もちろん休日はあるので、ライブ活動は出来るかもしれません。問題は練習の時間の確保が大変ということ。毎日勉強の日々の新入社員にとっては家に帰ってすぐに就寝と、音楽の練習に打ち込む暇もありません。それでは本番もうまくいくはずがないですよねまた、メンバーの休みが一緒でないと、重要なアンサンブルの練習ができません。そんあ音楽をやるにベストでない状況での活動を通して、もっとやりたいと思う人もいれば、プライベートな時間を削ってまで音楽をする必要性を感じられなくなってしまう人もいます。社会人のままなんとなくマンネリ化した練習では飽きが来るかもしれません。かといって新しいことに挑戦する労力もない。社会人にはいろいろな大変さがあるのです一方で三十路を過ぎても趣味でバンド活動をしている人もいます。それなり以上のところに勤務をしていて、仕事もプライベートも充実させる。うーん、かっこいいじゃないですか。一番なって欲しくないのは、音楽を嫌いになってしまうことです。自分のペースで、したい音楽をする、それもまた幸せなことなのだと思います。
2015年4月24日:構成音の勉強
わたしはコードをいくつか知っていますが、いま、コードの構成音の勉強をしています。いわゆる理論です。コードの構成音がわかっていると、テンションコードも楽に弾けるようになります。また、既存のコード譜のコード以外にも自分なりにアレンジしたコードを探すことも容易になっていきます。同時に、ギターの指板のどのポジションにどの音階があるかを覚えていきたいと思っています。そうすることで自作コードも探しやすくなることでしょう。いままでは感覚で音楽をやってきましたが、今年1年は理論的な知識をたくさん詰め込む一年にしたいと思っています。コードは形ではなく構成音です!
2015年4月24日:基本は一番難しい
物事には何事も基本というものがあります。まずは基本から、といわれるように、初心者が最初に触れることでもあります。この基本はある程度できるようになると、応用をすることを覚えていきます。応用は基本よりも楽しいので、練習にも熱が入って行きます。応用をするためには基本が必要です。そして応用をよりすばらしいものにするには、素晴らしい基本技能が必要なのです。基本は簡単だから基本だと思う人が居るかもしれません。その実、基本とは最後の最後まで鍛錬を重ねなければいけません。基本を完璧にこなすことができる人は実はほとんどいません。ある程度の基本がなっている人は、実践的にするために応用を覚えていきます。その結果基本はある程度のところで止まってしまうのです。応用をしていくうちに行き詰まったら、一度基本を固め直すという方法もあります。基本を完璧にできてしまえば、その人は一流と言っても過言ではないでしょう。基本はすべての土台となる技能であり、応用技能の力を引き出すこともできます。一流に近づけば近づくほど基本も完璧にこなすことができます。音楽で言うならば、正しい音を出すことができずビブラートでごまかしたりするのも、まだまだ基本がなっていない証拠です。基本ができてのビブラートならより美しいビブラートになることでしょう。基本は簡単だから基本なのではありません。基本こそ一番難しいのです。
2015年4月17日:音楽業界は作られた世界
音楽業界は、実力主義です。実力がなければ売れることはできません。この実力とは何をさすのでしょうか。技術でしょうか?いいえ、技術以外にも、人間力、コネ、ルックス、そういった条件も含めた実力です。いくら歌唱力があったとしても本当にずば抜けていない限りそれだけで勝負することは難しいです。人間力とは、人としての魅力です。カリスマという言葉があります。人の心を捉えることができて、喋りやオーラがあることや、挨拶などの人としての基本的な行動を実行できる人です。音楽で認めてもらうためには、売り出す人に気にいられなくてはなりません。挨拶ができない、横暴な態度ばかりをしていては、いくら上手でも使いたいとは思わないでしょう。コネ、これはできればない方がいいのかもしれませんが、目指す業界はそういうものです。事務所やテレビに繋がる人と交友を深めることができれば、もしもの時に使ってくれるかも知れないからです。ルックス、音楽はメディアに露出する性質上、見た目がよくかつ技術もある、そう言った人は非常に売れます。音楽以外にも、CMやおっかけのようなファン層も獲得できるからです。音楽をするためには音楽以外のところでも努力を怠ってはなりません。最初に音楽は作られた業界としましたが、テレビの前ではアイドルがキャピキャピしていても見られていないときな寡黙な人だったりします。ほかにも、ある地域でヒットして、全国に広まったなどという経歴をもつ歌手がいたとしますが、実際は、地方で、お金を利用して、ヘビーローテーションさせて、徐々にヒットするように見せて音楽を流通させていくのです。このようなヒットの流れは、流行で購買意欲を促します。よく、服装の流行で「今春は○○が流行します」と言われていますが、これは流行するのではなく意図的に流行させるのです。モデルが着始めると一般の人もこれが流行りかと買うようになりますよね。そういったマーケットの流れが流行を作り出すのです。こんなの音楽じゃない、といって違う方向からアプローチする人もいるかもしれませんが、目指す音楽業界はひとつしかないのです。あなたの思い描く音楽と違ったときは、あなたがかわらなければいけないのが実情です。
2015年4月17日:準絶対音感をみに付ける
絶対音感とは、基準音なしに音階を識別できることです。この能力は幼少期に培うものなので、後から手に入れられることはなかなかあることではありません。音楽に必要なことは相対音感というものです。ある基準音をベースになんの音がなっているかを識別する能力です。この能力は後々でも訓練で身に付けることができる技術です。絶対音感はてに入れることはできませんが、訓練で養うことができる準絶対音感というものがあります。それはある音階を一部的に記憶することで、それを基準に他の音を図ることです。一番感覚的に簡単なのが、ドの音を一ついつでもどこでも出すことができることです。この一つの音だけをわかる感覚さえ身につけられればあとは、それを基準に音を識別していく方法です。なので、どちらかというと相対音感に近いです。なので相対音感があることが大前提です。それにドという基準音だけを記憶していれば準絶対音感の完成です。ドの基準音があれば、目的の音までド~レ~ミ~と探すことで判断することができますね。この準絶対音感は訓練で身につけることができます。ドさえ覚えていれば3度のミ、5度のソも意外と覚えることができます。この3つを記憶できてしまえば、純絶対音感もだいぶ様になってきますね。絶対音感のように直感的に音階を識別するとまではいかないかもしれませんが、訓練次第によっては探し出すスピードも速くなります。有効な能力と言えるでしょう。まずは相対音感、話はそれからです。基準音は自分がリラックスして発声する声にしておくのもてです。声色混じりのため息には人それぞれの音域があります。無意識下の発声する声を覚えてしまうのも準絶対音感です。
2015年4月7日:ギターの値段の一般論
ギターにはさまざまな値段の違いがあります。1万程度から、数百万円まであります。この値段を決める要素には、ブランド、作り込み、ヴィンテージ、希少性、主にこのような理由があります。まずは、ブランド。ギターの有名どころはギブソン、フェンダー、マーチン、ポールリードスミス、などが挙げられるでしょうか。ブランド物がなぜ高いかはなんとなくわかりますよね。そのブランドがだすギターはあらゆる面で高機能でその保証が名前にあるからです。ロゴを見ればそのギターがすぐに高価なものとわかることから、見た目のアピールにもなるからです。次に、作り込み。ギターというのはすぐに出来るものではありません。木材の切り出し、加工を職人がひとつひとつ作り上げていく、これがギターです。ですが、ここまで手をかけるギターとなると、お値段も非常に高価になってしまいます。そこで、安価に提供するために、ある程度は流れ作業で作り上げるギターも必要です。1万円程度のギターになると、無名ブランドが、有名ブランドのコピーで、よーく目をやると、つなぎ目部分がチープだったりします。値段相応のギターということです。つぎにヴィンテージ。ギターというものは作られてから時間が経つほど、味がでると言われます。木というのは時間を掛けて乾燥されていくのですが、乾燥するほど音は乾いた響きある音になっていきます。このような音を出すには、自然に任せるしかありません。ですから、ヴィンテージギターは高価なものになっていくのです。次に希少性。音とは別に、希少性で値段が釣り上がることもあります。ハイエンドモデルになると生産数も限られます。流通する量が少なくなると、価格が上がるのも当然ですね。以上がギターの値段を左右する項目と言えます。ヴィンテージで勘違いしてはいけないのは、古いギター全てがヴィンテージというわけではありません。高価なギターが年月を掛けて進化していくのがヴィンテージであって、安物のギターや保存状態が悪いギターが年月が経ってしまったら、それはただの古いギターでしかないわけですね。有名ブランドが数十年前に職人が手をかけて作り上げた最高の一本となれば、数千万円はくだらないギターとなるわけです。古いギターといってもギターは寿命というものもあります。一般的に100年程度とも言われるように、古くなりすぎるのも音という意味では意味はありません。ここまで来ると希少価値の面が大きくなっていくことでしょう。値段の分け方として~3万、~10万、~30万、30万~、とおおよその目安があったりします。これは個体差もあり主観でもありますが、3万円以下、特に1万円を切るようなギターはできれば手をだすべきではありません。なぜならここまで安いと最低限の楽器としての機能を果たさない可能性もあるからです。作り込みがひどくすぐ壊れたり、演奏しにくいといった問題が出てきます。初心者で予算もあまりないとしても、3万~5万程度は考えるべきでしょう。10万くらいまでは、初心者、中級者向けのギターとなります。この値段であれば、普通の演奏は可能です。音に特別こだわりがなく、バンドで演奏したいといったならこのくらいの値段で十分です。そして10万円。この区切りは、高価なギターと安価なギターの分かれ目とも言えます。本格的に音楽活動をしたいのなら、10 万円以上のギターをひとつ持っていると心強いでしょう。信頼が出来る値段ですね。また、その上には、30万、50万、100万と、値段は跳ね上がっていきますが、ここまで来ると、プロレベル、音に対してのこだわりを持っている人でしかわからない領域に達します。単純な音だけになると10万以上は大差ないとも言われますね。あとは、見た目、価値、ブランド、こういった点が値段を左右していくのです。初心者の方に私が進めるのは、予算がなければ3万~5万、予算が許すなら10万~20万といったところでしょう。
2015年4月4日:音楽学校へ行くこと
世の中には音楽を学ぶ学校というものがあります。そこでは授業が全て音楽です。音楽を学んで、将来は音楽でご飯を食べていく、そういった人が多く集まる場所です。高校を卒業してすぐの人もいれば、社会人になってからという人もいます。パンフレットを見ると、色鮮やかで、学生生活が非常に充実したものが写っています。しかし、その全てを信用して大丈夫なのでしょうか。私の知り合いに音楽学校を出たという人が何人かいます。その中で現在もお金をいただいて仕事をしているというのはわずか一人。スタジオミュージシャンとして今は頑張っています。残りの数人は、音楽とは関係ない就職をしています。わかってほしいのは、音楽学校に通っているだけではプロにはなれないということです。考えてみてください。音楽学校には毎年何十人という人が入学しています。そんな中で、メジャーで名前を聴くようになるのは何人でしょう。過去に卒業した一人をいつまでも学校の看板歌手として扱っていませんか?そうなんです。学校を卒業してもほとんどの人は音楽で食べていくことはできません。そして、ここで最も重要ポイントです。音楽で売れていく人は、ほとんどが入学の時点で技術があります。スタートがすでに完成度が高いのです。その完成度を上げるために学校に入って、一流の才能に近づいていくのです。音楽は継続の力です。ほとんど素人同然の人が、何年か通ったところで、上手い人のスタートラインに並べないことだってあるのです。つまるところ、才能がある人は音楽学校に行こうが行かまいがちゃんと芽がでるということですね。たしかに、好きなことを学校で学ぶのは楽しいかもしれません、でも、楽しいだけで終わるのはただの時間の無駄です。なにか目標があって試みないと必ずつまづくことでしょう。したたかな考えを持って行かないと、そう上手くはいくものではありません。それでも習いたいという気持ちがあるなら、それは習うべきかもしれません。多少なりと技術が上がるのは確かです。そこまでの思いであれば、止める理由はありません。音楽学校への学費はドブに捨てるようなものという人もいますが、それも間違いではないですし、正解でもありません。ドブに捨てるという人は、デビューできなかった人ですし、デビューできた人はそんなことを言いません。ただし、学費は授業料という一面と、講師陣の給料という一面をふくんでいることを忘れないでください。学校に関しての価値観は人が決めるものではなく自分で決めてください。
2015年3月27日:音楽は見るものになりつつある
かつて年間のCD売上の覇者は300万枚を超えるセールスがありました。現在は100万枚を超えるグループは数えても3組。その3組は女性アイドルグループ、ダンスボーカルグループ、男性アイドルグループ、いずれも純粋に音楽で売上を保っているとは言い難いです。CDも特典をつけたり、初回盤、通常盤など用意して、コアなファンが何枚も買うようにしたシステムだったりとです。CDを手にした人数となると100万人を超えることはおそらくないでしょう。なぜCDが売れなくなったか。過去にヒットを飛ばしたアーティストも、現在は10万枚を超えれば大ヒット。なかなか厳しいものです。現在はCDがなくとも、音楽データをダウンロードしたり、レンタルしたりして音源を手にすることができます。手元にCDを残さなくとも音楽を聴くことができるようになりました。それらもCDが売れなくなった原因の一つです。結果CDを手にするのは、コレクター魂がある人か、レンタル解禁までの数週間を待つことができないコアなファンのみになりました。音楽ツールが普及したことでCDの時代は徐々に終えつつあるのです。これらの理由によってCDは全体的に売上を落としていきます。それにしても現代の音楽シーンが数年前のバンドサウンドから、アイドルが席巻するようになったのは、音楽が聴くだけのものでなくなってしまったからでしょう。アイドルは音楽以外にもバラエティで活躍したり、芝居をしたり、活動を多岐に渡らせています。アイドルですから、ルックスも重視されています。まずは人間が好きで、その人が歌う歌だから買うといった流れになっているのですね。だからこそ、写真を同封したり、握手券をつけたり、ライブコンサートチケットをつけたりと、そういった商売でCDが売れていくのです。アイドル好きは、「アイドル」というものが好きという人もいたりします。アイドルをやっているあの子がすきで、アイドルをやってしまったその子は好きじゃなかったり。なんだかさっぱりとしすぎていますがそれも事実です。。音楽は見ながら聴くものに変わりました。それも売れなくなった理由です。となると、時代はライブに移行したとも言えます。ライブで音楽を体感して見て聴くことが楽しみになっていくのです。ライブパフォーマンスがCD以下のアーティストもいれば、CDでは発揮されない魅力をもつアーティストもいます。ライブパフォーマンスが優れているアーティストは売れていくことでしょう。それと、重要なのは言いにくいことですが、ルックス。ルックスが良くて歌が上手い人はやっぱり売れていきます。ルックスがあまり良くないという人は、普通に歌が上手いだけじゃどうしようもないのが今の音楽業界。並大抵の努力では表舞台に出ることはできません。とはいえ何百万枚とい売上を望める時代ではないのは確かでしょう。
2015年3月27日:まわりの人の意見を聞く
アマチュアバンドの場合、まだ自分たちの魅力を自覚していないケースもあります。確かに、自分たちを客観的に見るのは難しいことです。客観性を突き詰めても、主観にはかわりませんし。だからこそ、まわりのいろんな人たちの意見に耳を貸すことも大切です。お客さんが残していってくれるアンケート用紙の内容にはアーティストもスタッフもこまめに目を通して、次回のライブの参考にするべきです。アマチュアバンドの場合も、お客さんにアンケート用紙を配るというのもいい方法です。また、一緒に出演した他のバンドとの意見交換も重要です。この意見交換をお互いのためになるように、なあなあの褒め合いではなく、客観的立場から見た指摘をしましょう。それを単なる批判と受け取って腹を立てるのではなく、客観的に、しかも同じ道を志す者で耳の超えた同士なので、お客さんの意見よりもテクニカルなアドバイスをもらえることでしょう。直すところがない?だったらあなたはもう音楽で美味しいご飯を食べていなきゃおかしいですよ。
2015年3月20日:反省はしても後悔はするな
バンド初心者に向けてのアドバイスをしたいと思います。初心者のバンドの場合、平常心でやるのはなかなか難しいです。ですが、まず自分たちの力を精一杯出し切ることを忘れてはいけません。その日、演奏がミスが多くても精一杯やるのです。自分たちの演奏は本当はこんなもんじゃないと思いますよね。でも、本番で拙い演奏をしてしまうのはそれが今の実力なのです。ここで、本気だったらもっとうまくと思うのか、今の実力を認めて、次のライブに活かすのか、そういう心構えの違いがバンドの成長に大きく関わっていきます。
2015年3月20日:会場を自分色で染める
ライブ慣れしてるバンドは、ステージ上でのアンプを置く位置やマイクスタンドの角度ひとつとっても、彼らなりのこだわりがひしひしとこちらに伝わってくる。リハーサルにしても、本番の客が多い場合と少ない場合、あるいはトラブルが起きた場合など、いろんな状況をシュミレーションしながら行っているように思います。ライブ経験の多い少ないにかかわらず、一回のステージに対する思い入れを人一倍持って、準備をすることが大切なのです。会場を自分の色に染めることはある程度なれというものが必要です。きらりと輝く自分をどうプロデュースするか、ライブごとにどうやったらファンが増えていくのか、そういうことを常に想定することが、伸び代になります。
2015年3月20日:自分の魅力はなにか
バンドで食べていきたいと思い、東京に出てくる数多の人たち。そのほとんどが夢やぶれて途中で諦めることになってしまう。そんな厳しい世界でどんなバンドがメジャーデビューをしているのでしょうか。端的に言うと「自分たちのカラー」があるということ。そのカラーというのは個性とも言うでしょう。既存のバンドの真似事をしていてはデビューするのは難しいのです。参考にして音楽をつくり、憧れを持つことは悪いことではありません。でもその憧れを目指しながら、尊敬するバンドとは違う自分たちの魅力を押し出していきましょう。そうしなければ数ある無個性バンドに埋もれてしまいますからね。あなたの個性はなんですか?
2015年3月20日:人を繋ぐ音楽
音楽をする前、これといった趣味が私にはありませんでした。仕事も個人での仕事が多かったので、ひとと接する機会がありません。職場の人とも交流があるといえば10人行くか行かないか。地元の仲のいい友達とはバラバラになってしまい、休日に遊ぶことがほとんどありませんでした。そんな時、昔から好きだったのは音楽を聴くこと。電車の中、作業中、お風呂、寝る前、どこでも音楽をかけていました。わたしは大学時代から、自分も音楽をしたいとおもうようになりました。手始めに楽器を買ってとりあえず演奏をしてみる。…全く思う音が出てくれません。一体プロミュージシャンはどれほどの努力をしているのだろう、そう思いました。少しでも自分で好きな音が奏でられるように毎日練習に励みます。あいにく時間だけはありましたので笑。プロを参考にしてしまうと、レベルの差がありすぎて、何から手をつけていいかわからなかったので、フェスや、小さなライブハウスで演奏しているバンドを見に行きました。このレベルでも十分に参考になります。アマチュアバンドでも演奏が上手い人は本当に上手い。参考になることばかりです。わたしは、まず自分の好きな音楽の旅をしました。楽器店で流れる音楽、深夜番組でちょこっと紹介される音楽、そんなバンドさんのライブに駆けつけ、小さいハコ(ライブハウス)に顔を出します。小さいハコでは、私も演奏者の顔をしっかり見られますし、演奏者も私のことを覚えてくれる、それがいいですね。ましてや平日になると人も少ないのでたくさんお話ができますし。わたしはいつしか暇あればバンドを見に行きました。目的のバンドはもちろん、対バンしているバンドも見ます。勉強になりますから。いいものは吸収して、悪いものは反面教師に。いろんな勉強ができました。やがて、演奏も上手くなってきた頃、わたしは人前で弾いてみたいという願望に駆られます。そこからが社会人サークルの参加につながりました。ここでは演奏を披露できるし、同じ音楽をしている人がたくさんいて友達になることができました。音楽をしていなければこんな友達ができることもありませんでした。交流も趣味もなく過ごしていた自分が、音楽に向き合い、こうして友達が増える。交流が増えてから、私は毎日充実しています。一人が好きといってもやっぱり、誰かといっしょにいる時間も欲しいものです。わたしは音楽をはじめて本当に良かったと思っています。
2015年3月12日:音楽は上手い下手ではない
音楽をしていく上で一番大事なことはなんでしょうか。売れることが目標の人、自己表現をすることが目標の人、いろいろあるとおもいます。もちろん歌はうまいことがいいのは確かなのですが、歌がうまいことが人の心を動かすというわけではありません。とりわけ日本においてはこの傾向が強く現れています。売れる音楽と、人を感動させる音楽、ここには違いがあります。売れる音楽はルックス、メディアのゴリ押しにより形成されますし。さて、うまいだけでは売れない、なぜなのでしょう?私が感じる一番顕著なものは、物まねアーティストだったり、昨年大盛況だった雪の女王様の映画の主題歌の人だったりです。まずはモノマネアーティスト。彼らの卓越した技術は、ときに本人よりも美味かったりします。けれどその歌で感動は出来ません。なぜでしょう。そこには心がないからです。15人連続ものまねをしたモノマネ2世の青年がいましたね。彼は歌の技術においては非常に素晴らしいものを持っていました。感動できる節回しもおてのもの。しかし、感動をすることは難しいです。なぜなら感動よりも先に技術の素晴らしさに耳が言ってしまうからです。せっかくの感動する場面でも、技術で感動させようとしているとおもってしまうのです。次に雪の女王様の唄。劇中では声優をしている女優さんが歌っていて、エンディングでは同じ曲を歌手が歌っています。この歌手も歌の技術は素晴らしいものをもっています。客観的に見ても女優さんより歌が上手いのは確かです。しかし、感動できるのはなぜか女優さんの方。なぜでしょう。これも先述したとおり、感動よりも技術に耳が傾いてしまっているからです。どうしても技術で感動をつくっていると勘ぐって素直に感動ができなくなってしまっているのです。本人にその気はなくても一度思い込んでしまったらなかなかぬけだせないのがこの現象。歌には心を感じないと感動にはつながりません。俺、私、歌上手いでしょ?感が見えた瞬間にはカラオケが上手い人に成り下がってしまうのです。一流の歌手は必ずしも歌が上手いというわけではありません。けれどもそこには心が確かにこもっている。これが違いです。この感動は一部主観も入ってしまっていますが、多くの人がそう思っていうというのは確かなのです。歌が上手くて、なおかつそれを技術の押し売りにしない、心がこもった歌こそ最高峰と言えるでしょう。
2015年3月12日:楽器をぼろぼろになるまで使う
初めての楽器を購入した時を私は覚えています。それはアコースティックギターでした。買おうと決断してから1ヶ月以上もネットを調べたりして、購入に至りました。4万円ぐらいだったでしょうか。傷がほとんどないキラキラとしたギター。ついにこれで自分もギタリストになれるとワクワクしていました。そしてその日の夜、弾けないギターをベッドの上でじゃrジャラととりあえず音をだして遊びます。そしてそのままギターと一緒に布団へ。ギターと一夜を共にしたことを覚えています。気持ち悪いと思いますよね。自分でも思っていました。これを友達に自虐的に話してみると、なんとみんな同じことをやっていたのです。新品のギターを抱きかかえて寝る。指紋が付いたらすぐにクロスでピカピカに拭き取る。誇りをすぐにとる。みーんな初めはこうやっていたのですね。そのくらい愛着の湧くものなのですよ楽器って。月日は流れ、楽器もほどほど演奏になってくるようになった頃、立てかけたギターを倒してしまいました。運悪く器具の上に落としてしまいボディーがガリっと削れてしまったのでした。その日結構落ち込みましたね。でも、気づいたら、ピックの引っかき傷がサウンドホール周りにあるではないですか。この傷…かっこいい。そこで私の考え方がおおきく変わったのでした。傷も努力の結晶。歴戦の楽器という感じがしてなんともかっこいいです。自分の頑張りが目に見えてくるのもまたいい。もちろんわざと傷をつけるのでは意味がありません。ちゃんとした使い方をしているときに、落としたり、ぶつけたりして出来た傷も楽器の歴史。それも愛着が湧いてくるものです。この初めてのギターは今では7年もの。日に焼けて色落ちをした感じもなんだか哀愁があります。いい感じにおじいさんになったギターですね。初めてのギターてちょっと特別に感じます。ここからギタリストの道が始まったと思うとなんだかロマンを感じます。ロマンって…笑と言いがちですが、私はこのロマンという言葉、大好きです。自分しか理解できないかもしれないですが、私はこのギターをおじいさんになっても持っていることでしょうね。決して高くないこのギターですが、今持っている社会人になってから購入したいいギターよりもなんとなく手にしてしまうのは初めてのギターです。愛着ということでしょう。みなさんもそんな楽器と出会って欲しいなーって思います。
2015年3月11日:引き算
音楽でだいじなことは引き算です。まずは引くものがなければなりませんから、いいと思ったものをとりあえず足していきます。それぞれがいいものだとしても音楽全体としては蛇足なものが出てきてしまいます。その蛇足を剥ぎ取っていくことで洗練されたものになっていきます。楽器演奏の時に同じような音が二つなっていたらそれはお互いのためになりません。個性を打ち消しあってノイズになってしまうので。ある一つの音が出ているなら似た音はもういらないのです。違う音がそこに重なっていくべきなのです。なので、作業としては0+200-100=100といったところでしょうか。100は効果的にアレンジが加わり、余計なものが省かれた状態です。じゃあ最初から100を目指してやればいいじゃんと思うかと思いますが、この200を足す過程が重要なのです。100を目指して100を作ると、人間の良さでも悪さでもある、効率化をしてしまいがちです。自分でこれはいらないと判断してしまうことで、その道の可能性を否定してしまうのです。コンピュータならすべての方向を演算して判断することができますが、そういったチャンスを人間は省いてしまいます。これは人間の素晴らしさであると同時に、可能性の削除とも言えるのです。だからこそ、一度小さなもの書き出す作業が必要なのです。これが+200です。無駄な行為に感じてしまいますが、実際は無駄ではなく、とても重要な行動なのです。
2015年3月11日:演奏を録音しよう
演奏上達法の一つとして、録音するという方法があります。客観的に自分の音を聴いて、自分がオーディエンスになった気持ちで音を聞くことができます。例えば楽器は自分が鳴らしている音を自分のポジションか、オーディエンスのポジションかで違う音に聴こえます。自分にはすごくいい音に聞こえていても、オーディエンスにはあんまり…ということはよくあります。また、演奏中は演奏に集中していて、細かな余韻をうまく表現できず、ぎこちない演奏に聴こえることがあります。音符を負うだけでは上手な演奏にはなりません。どういったところが下手くそなのかを客観的にわかると、上達も早いです。また、自分でカッコつけて演奏してみたものの、いざ聞いてみると、あまりに汚い演奏で、平凡に演奏した方が良かったりと、客観的に間違いに気づくこともできます。また、ボーカルの人はとくにこの作業をしてください。人間は自分の声を正確に聴きとることができません。なぜなら、自分の声は、顔を伝わって声が聞こえてしまうからです。自分は響きあるいい声だと思っていても、それは顔からの音で、実はそんなに響いていないこともあります。自分の声を録音してみると、ほとんどの人が声のダサさに驚愕します。自分の声は3割増でよく聞こえてしまうのです。皮肉なものですね。また、カッコつけた節回しも、客観的に聴いてみると、ただのキザで気持ち悪い歌にだってなります。録音して聞くこと。それは客観的な立場、オーディエンスの立場になって聴くことができます。こんなヘタクソは自分の音じゃなく、録音がひどいせいだ!いいえ、録音した音が周りが聴いている音なのです。これを経験したら、あなたはもう練習して、録音を自分で聴くことができるようになるまで練習しなくては。
2015年3月11日:地道な活動をしないものに光はない
音楽界はとても華やかな世界です。一曲ヒットでもすれば、たちまち人生が変わります。音楽に限らず勝負ごとの正解にはいつもギャンブル性に富んだ人生が待っています。彼らはどうやってスターダムにのし上がるのでしょうか。才能、その言葉で片付けてしまえば簡単です。もしあなたが才能を持っていれば、すぐにでも未来は開かれるでしょう。しかし、才能を上手く発揮せず潰れていってしまう人も大勢います。一部の人しか持っていない才能にあこがれ、嫉妬、妬みを持ってしまったら、そのさきであなたが成功することはないでしょう。持たざる者が持つ者に挑むには、まずは受け入れることから始めましょう。自分には才能がないと認めることができないといつまでたっても自分の現在地を誤魔化し続けてしまいます。自分のスタート地点がわかったのなら、あとは地道に成長をすることです。毎日の反復練習で、少しずつ実力を積み上げていくのです。時には積み上げたものが崩れるかもしれませんが、それも必要なこと。そのあとにどうやって修復するのか、そちらのほうが大事なのです。光は登った先にしかありません。ずっと真っ暗で、あと少しで光が見えるのにやめてしまう人もいます。光までの距離はひとそれぞれ。だからこそ難しい。愚直に努力を続けるのは大変なことです。でも光を見つけるために必要です。もし、あなたが光を見つけることができたのなら、あなたには「努力」という才能があったということです。
2015年3月10日:ライブを見て感じたこと
ある一つのバンドを目的にライブハウスに行ってきました。この日は8組の参加だったようで、私は目的のバンドがトリを勤めていたので、その3組前から見ることしました。ライブハウスでは演奏を聴くことはもちろんですが、MCというトーク時間が存在します。この時間はおしゃべりしたり、チューニングをし直したりして、次の曲に備える時間です。この時の間の持たせ方がバンドによって様々です。ここでのトークスタイルはバンドのイメージ、その人というものを感じるものです。私がこの日見て印象がよかったバンドと印象が悪かったバンドがありました。まずは印象が悪かったバンドです。このバンドの曲は、ダミ声を活かした青春を歌にしたような感じです。どこか懐かしさを感じられる演奏でした。しかし、MCで私はこのバンドを少し嫌いになってしまったのです。どんなMCだったかというと、「俺たちはこんなところで演奏じゃなくもっと大きなバンドになってやる」や「今日は見に来てくれてありがとう」など完全に自己陶酔が入っているお話ばかりでした。それも笑いを取るようなものではなく突っ込むこともできないような喋り方です。このライブハウスは100人以下のキャパではありました。しかし、ライブハウスを提供してもらっている立場としてこのようなものいいはいいものではありません。そして、この日は8組のバンドが出演するライブであってこの人たちのワンマンライブではありません。何もあなたたちを目的に来ている人だけではないのです。あまりにもナルシシズムが過ぎていました。このあとの曲はMCのせいで全然いい曲に聞こえませんでした。つぎに印象がよかったバンドです。このバンドは私の目的のバンドでもありました。このバンドのMCはユーモアもあって楽しませようとしているのがすごく伝わってきました。そしてライブハウスへの感謝の言葉もあります。そしてワンマンライブではないことをしっているので「今日、初めて聴く人も好きになってくれたら嬉しいです」と配慮も素晴らしい。このような気持ちいいMCだと曲もいいものに聴こえてくるのです(もちろん私基準ではもともといい曲ですが)。音楽は自分がやりたいことでもありますが、聴いてもらえる人に感謝しなければなりません。そういった人として当然のことをできることが当たり前なのに、中途半端にロック気取りをしている人はそれが出来ていません。カッコ付けたかっこよさよりも、等身大で、人として素晴らしい人たちのバンドの方が、数倍かっこよく見えました。MCはライブには欠かせません。ここで損をするバンド、損をしないバンドになるかは自分たちの気の持ち方次第で変わってきます。応援したくなるバンドは常に感謝の心をもっているものです。
2015年2月18日:出版権と著作権収入(印税)
出版権というものについてみていきましょう。これを理解するためにはまず著作権という概念を把握しておくことが必要になります。一般に人が自らの創作行為によって生み出した物については、その創作者本人に著作権という権利が生まれ、法律によってその権利が守られます。その具体的なものとして、例えば詞、曲、小説、エッセイ、絵画、イラストなどが挙げられます。こういった著作物に対し、その著作権を持っている人を著作権者と言います。そして、この著作権者は、著作権法という法律でその権利を守られているわけです。どういう権利かと言うと、その著作物をいかように扱っても本人の自由であり、また他人はそれを本人の許可なく勝手に使用することは許されないということです。要するにその著作物は著作権者の個人的所有財産ということになるのです。では、この著作権という考え方を理解した上で音楽サークルビジネス上の話に移りましょう。まず話のスタートは。作詞家と。作曲家が存在することから始まります。そして、この両者によってつくられた楽曲Dが出来上ったとしましょう。このDにはそれを歌唱したサークル参加者がいて、それをCD化して発売する社会人サークル団体があります。CDの中にこの作品Dを収録して発売するということは作家たちの立場からすると自分たちの著作物=財産の使用ということに当ります。もちろん、このCD化して発売するということに関しては作家側は事前に分った上で作品づくりをしていく訳ですから、それ自体は何ら問題となることはありません。しかし、使用されるということは当然、―スタジオ使用料という対価を請求出来るのです。作家の立場としては印税で生きていくのですから、CDとして作品が使われるのをきっかけにより多くの場面で作品が使用され、それに伴ってスタジオ使用料が支払われ、自分の手元に届く印税が増えていくのを望むわけです。そのためには自分で自分の作品をプロモートしなくてはなりませんが、そういったスタッフ的な動きはどちらかというと苦手な人たちが多いのです。そこに登場してくるのがスタジオという団体です。ここは、作家から著作権という権利を譲渡してもらう代わりに、その作品に関するプロモート及び各種事務作業の代行をします。そして、その代償として入ってくる印税を分けてもらうことでビジネスをするのです。一般にスタジオがこの著作権譲渡を受けて著作権者になった時点で、出版権を持つたという表現をしています。ここで言う著作権者になったということは著作権という財産を譲り受け著作権の権利窓口になったということであって、あくまでも著作者は作家本人のままであることには変わりありません。さて、ではその出版権を持つということは具体的にどんなことを意味するのでしょうか。
2015年2月18日:大型音楽サークル閉鎖
私は音楽業界はかなり長い経歴を持っています。前回もお話しましたが、音楽サークルビジネスについても深い関心を持っている一人です。この度、池袋で開催されている大型音楽サークルが閉鎖に追い込まれました。これは音楽サークルビジネスを推し進めていこうと考えている私自身にも非常に悲しいお知らせでした。今後、このサークルの参加者の方々が運営に移るらしいですが、どうなるかはまだ未知数です。非常に悲しい出来事と受け取りましたが、私自身の音楽サークルビジネスの更なる飛躍の足がかりになる、勉強の一つだとも捉えられます。音楽サークルという環境は、様々な方々が参加される場所であり、そこは憩いの場でなければならないのです。私自身もビジネスをやっていると、演奏家以前に独裁者になっているなと気がつくところがあります。これはこの音楽サークルの主催に繋がる部分だと思います。ですが、参加していただいている方々がいてこそ、音楽サークル というのは盛り上がるものなのです。それをなくして音楽サークルを語ってはいけません。もしそのような覚悟が無いのであれば、音楽サークルを努める資格はありません。そう私は強く思います。音楽と聞くと、なんだか遊びのような軽率なものに聞こえるかもしれませんが、音楽とは人の感情を動かし、更にはお金も企業も動かす力があるのです。音楽を舐めてはいけません。今回この大型音楽サークルはその点に欠けていました。今後私が計画している演奏サークルの活動ではこのようなことは内容に運営を行って行きたいと考えています。必ずや成功させようと思います。
2015年2月17日:原盤権と原盤印税
原盤というのはCDやミュージックテープ等を商品にする時の元になるマスターのことを意味します。要はレコーディングが完全に終了し、この音を製品化しようと決った音源を指すと考えてよいでしょう。そして、この原盤を制作するレコーディング関連費用のことを原盤制作費と言います。ちなみに、一般の社会人サークル団体では平均的に考えてアルバムで1、000万円~2、000万円、シングルで200~300万円というのが制作費の相場です。しかし、これはあくまでも一般論であって、CDの売れ行きが好調なサークル参加者であればもっと予算をかける場合もあるし、逆にもっと予算が少ないこともあります。かつてのインディーズブームの時などは、アルバム一枚の制作費が100万円なんてものもたくさんありました。昨今のレコーディング機器の進歩とコンパクト化、そして低価格化が目ざましい中で、ミュージシャンやアレンジャーが自宅をスタジオ化したりするプライベートスタジオがたくさん出来てきています。こういったスタジオでのレコーディングは全く可能で、出来上った音源についても、一般ユーザーには何ら区別がつくものではありません。当然、制作費は大きなレコーディングスタジオを使うよりはるかに安く上がります。こういったプライベートなスタジオでレコーディングすることをハウスレコーディングと呼び、欧米ではこんな形でのレコーディングはごく当り前で、ヒットチャートを賑わす作品も続出しています。日本でもその傾向は出てきているようですが、サラリーマンとしてのスタッフが多い日本でこれがどれ程定着していくかはちょっと予測がむずかしいところです。そして、こういったハウスレコーディング機能が増えてきたこと、そして、それが低予算ながらクオリティーを落とすことなく出来るものであることがみなさんのような人たちの音楽サークルビジネスへの参入を可能にしている一要素なのです。
2015年2月13日:レコーディングの準備
レコーディングの日程が決まったら、それに向けて準備をします。作った音源が一生この世に残ると考えれば、何も言わずとも準備をするのは当たり前のことだとは思うのですが、その準備にもコツがあります。まず、アレンジの再確認をしましょう。レコーディングは、曲が本当に今のアレンジで良いのかを見つめ直す良い機会です。この曲の良さは、本当にこのアレンジで最大限に表現しきれているか?と改めて自問自答してほしいと思います。録ってみて、初めてリズムやロードが噛み合っていないことに気づいたのでは手遅れです。名楽器において、「もっと良いフレーズがないか」と模索してみる最後のチャンスでもあります。また、ギターやキーボードといった楽器を、いつもの演奏形態より多く重ねる音楽サークルは、どういったアレンジで重ねるのかを考えなければいけません。レコーディング中に行き当たりばったりで音を重ねるのは危険です。貴重な時間を多く消費した挙句にボツになるなんてことも多々あるのです。アレンジが確定したらひたすら練習あるのみです。自分のイメージしているフレーズを百回演奏したら、百回文句なしに演奏できる状態にまでもっていかないといけません。演奏力の底上げをするチャンスにもなります。レコーディングは、スタジオに加えてミックスールームまで貸し切る上に、エンジニアまでつけなくてはいけません。いつものスタジオ代よりもかなり高額になります。レコーディングに入る前に万全の状態にしておくことが、金額的にも安く上がりスムーズに良い音源を作るコツになります。レコーディング中に楽器の練習をするなんて、もってのほかなのです。また、MTRやパソコンでレコーディングできる音楽サークルは、プリプロを行なうことをオススメします。それによって全体的なアレンジの確認や録っていく順番の確認もできます。実際、何の音をどの順番で重ねていくのかでも、大きく仕上がりに影響するものです。録っていく順番が決まっているだけでも、レコーディングはスムーズに進みます。ジャンルやその音楽サークルの求めている音によってもレコーディングの仕方がいろいろあるとは思いますが、プリプロは、良い音源を作るためにできたらやっておいてほしいことです。自分たちでプリプロした音源は、レコーディングしてもらうエンジニアに、あらかじめ聴いておいてもらったら良いと思います。それによってエンジニア側のイメージも広がるし、曲の構成を知っておいてもらうだけでも、レコーディングがスムーズに進みます。
2015年2月13日:作曲方法はたくさん持つべし
あなたのバンドはどのように曲を作っていますか?歌詞から?歌のメロディから?コード進行から?ギターのリフから?リズムパターンから?セッションから?さまざまな曲作りの手段があると思いますが、その中であなたのバンドには何パターンの方法があるでしょう?曲作りの方法は多い方が良いです。多くの方法で曲作りができていると、行き詰まった時に違うアプローチができます。また、曲作りの方法が何パターンかあると、同じような曲ばかりになってしまうのを防ぐことができます。似た曲だらけのアルバムなんて聴いていて飽きますよね?このことからもいろんなアプローチから曲が作れるというのはとても大切です。・感性を鍛える。曲作りに一番必要なのは「感性」です。バンドマンは曲で人に感動を与えないといけません。だから、普通の人より多く感動しないといけないのです。楽しむことも、涙を流すことも多い方が良い曲が作れると私は思います。実体験で経験したことももちろんそうなのですが、本を読んだり映画をたくさん観ることをオススメします。実際、感動を呼ぶ曲を作るアーティストは、映画や本を好きな人が多かったりします。これらが多くの名曲を生み出すためにバンドマンに実践してほしいことです。時間は有限です。バンドマンが名曲を生み出す時間を惜しんでしまっては本末転倒です。とにかく、生きてきた経験のすべてを曲に注ぎ込むべきなのです。口で言うのは簡単ですが、なかなか実践できているバンドマンはいないのではないでしょうか?。私は名曲を生み出すということは発明と同じだと考えています。そう簡単に成し得ることではありません。発明王と呼ばれたエジソンのように苦悩や試行錯誤を乗り越えて、この世に未だ存在しない名曲を作り出すのはあなたたちなのです。
2015年2月13日:バンド名を決める
バンドが商品だと考えるとバンド名は商品名ということになります。車や飲料水のような商品にとって、ネーミングは非常に重要だと思いませんか?次のたとえは飲料水で考えてみましょう。商品名は出しませんが、ペットボトルなどで売られている飲料水の多くが、内容物と名前がしっかり合っている気がします。商品名から内容物が想像できて、飲んだ時に想像に近いと感じた時、私は「なるほど」と思います。しかも、そのどの商品名も覚えやすくて語感も良い。私はバンド名を決めるために、かなりの時間を割いても良いと考えています。それだけバンド名は重要だと思うのです。以下、その理由です。・バンドマンはバンド名を背負って生きていくできれば誇りを持てるバンド名が良いはずだ・音楽性と合っているバンド名でないと違和感や矛盾により聴き手が混乱する・覚えやすくてインパクトがあるのは商品名としての重要な役割である・飲料水の商品名が覚えやすく語呂が良いのにならうべきだ。バンドを結成する上で大切なことがたくさんありますが、その中でも最重要事項のひとつとして「バンド名」があると私は考えます。ただインパクトがあればいいというわけではないですが、一度見て覚えてもらえるのに越したことはありません。合わせて音楽性がそのままバンド名に反映されているのも重要な事柄になります。バンド名を考える際、音楽性が反映されている、一度見たら忘れないという二点を特に意識してほしいと思います。インパクトだけでバンド名を決めるのはオススメしません。イメージと合わないのに下ネタを織り交ぜたりするのは論外です。バンドマンは一生、そのバンド名を背負って生きていかないといけない可能性もあるのです。このようにバンド名を考えることは、飲料品メーカーが新商品に名前をつけるのとよく似ています。そして、飲料品メーカーは商品の内容物が出来上がってから商品名を決定しているのではないかと私は想像します。これにならって考えるとバンド名はいくつか曲が出来上がり、コンセプトや音楽の方向性がしっかりしてきた時点で決めるべきだと思うのです(最初からコンセプトや音楽性がしっかりしていたら問題ないのですが)。ノリで決めてはいけないのがバンド名です。あとで後悔しないためにも十分にこだわり、話し合って決めるべきです。バンドを続けていく上で、バンド内で決めることは多々あると思いますが、せめてバンド名くらいは全員同意のもとで決めたいものです。それこそが同じメンバーでやっていく重要な一歩になるのです。バンドを本気でやればやるほど自分のバンド名を口に出す回数が増えます。そのバンド名が恥ずかしいものや不本意なものであることは、メンバー個人としてもマイナスになります。バンドマンが自分のバンド名を口に出すのをためらうようでは、スムーズな活動ができないのは目に見えているし、各々のバンドに対するモチベーションにも悪影響を与える可能性があります。もしもバンド名を適当につけてしまい、現在の曲やライブのイメージからかけ離れてしまっているバンドがいるのなら、思い切って改名することをオススメします。私の知っているバンドで音楽性が変わるたびに大々的に改名をしているバンドがいます。とても理にかなっている気がします。それだけバンド名は大事なものだと思うのです。また、ありかちなネーミングもできれば避けたいものです。ネット検索で頭の方に出てくる名前を考えるのも、この時代にバンド活動をしていく上で重要な事柄です。
2015年2月13日:イメージを持つこと
コンセプトの次に必要になってくるのはイメージです。表現とは、イメージを具現化することの連続なのです。しっかりしたコンセプトが出来上がったら、次はイメージです。メンバー間で議論したコンセプトを最大限にお客さんに伝えるためにはどうしたら良いかを考え、それを曲やライブのイメージとして作り上げていきます。コンセプトとイメージがしっかりしているバンド、そして常にこのふたつのことを考えているバンドは、そうでないバンドと比ぺてはるかに良いバンドに成長する可能性があります。自分たちのライブを観終わったあとに、お客さんにどうなっていてほしいのか?感動して涙を流してほしいのか、それとも熱狂的に両手を挙げて歓声をあげていてほしいのか?もしくは、その両方を一本のライブに盛り込みたいのか?さて、あなたのバンドはどうでしょうか?そして、それらをイメージすればするほど自分たちに何か足りなくて、今、何をしなければいけないのかが明確になります。イメージと現状のギャップによって改善点が明確になり、どうしたらもっとイメージに近づくかを考える機会になるのです。イメージがないということは目標がないことと同じです。目標もなくタラタラとやっていても、物事は進化していきませんよね?
2015年2月12日:バンドは会社である
バンドメンバーは親友であり家族であるべきです。そして、それとともに同じ会社で働く社員だと考えれば良いと思います。考えれば考えるほど、バンドを会社に置き換えるとうまくいきそうな気がします。何かを製造している会社にはいろんな部署があります。企画部、制作部、宣伝部、営業部といったさまざまな部署があり、それぞれ重要な役割を担っています。そしてこれらはすべてバンドに置き換えられるのです。企画部は「こんなバンドにしよう」とメンバー内で考えることだし、制作部は曲作りをしてCDを作ること、宣伝部はホームページを作ったりフライヤーを撒いたりすること、営業部はあちこちでライブをしてCDを売ることではないでしょうか?。会社だとそのすべてがうまくまわっていないとすぐに倒産してしまいます。良くない製品を作っても売れないし、いくら良い製品を作っても宣伝や営業能力がなかったら世の中に出まわることもありません。これはバンドも同じです。いくら良い曲があっても、いつまでもスタジオにこもっていては世に知られることはないのです。バンドメンバーの中でも得意、不得意というものがあるはずです。曲作りのセンスがある人もいれば、人と話すのが得意な人、パソコンに詳しくてホームページを作るのが得意な人もいるかもしれません。私はそれぞれのメンバーが得意な分野で各々の部署を受け持ったら良いのではないかと思います。よくすべての事柄をリーダー一人で受け持っているバンドがありますが、それでは限界もあるし、その本人からの不満も出てきます。本当にバンドで成功したいと思うのであれば、レコード会社や事務所と契約するまでは自分たちでそれぞれ仕事を分担し受け持ってみてはどうでしょうか?現在活躍している多くの有名バンドも、初めのうちは自分たちでそのすべてをやっていたのです。こういった経験が、将来、メジャーバンドになった時にも役に立つことは言うまでもありません。
2015年1月10日:演奏面
トラの仕事の心得にも書いてきたことだが、団員となるとさらに要求される水準は飛躍的に高くなる。「次回からは使わない」などという方法が取れないからだ。オケの演奏についての注意点の多くは、基本的に、トラのところでも書いたことなのでここでは書かないが、「団員」となった場合に新たに追加されるのが「首席」として、「ファースト」としての仕事内容。有名楽団の場合、病気、欠員など特別な事情がない限り、トラには首席を演奏させることがないということで、トラとして演奏経験を積んできたアナタも、団員となった今、プロのオケでアタマを吹くのは初体験、というケースがほとんどになる。そこで、「首席の吹き方」。目を指揮者に常に配っているということは、特に首席奏者にとってこの上なく重要だ。テンポ、タイミングだけではなくニュアンス、バランス、音色、レガート、すべての情報が指揮者から来る。楽譜にかじりついていたのではとてもではないがオケはできない。「ソロ」を吹くのは首席の仕事の一部だが、今までアナタは自分の部屋とか、音大の練習室あたりでずっと吹いていて、あるいは音大の穏便な鳴り方の学生に混じっていたわけだ。それがいきなりでかいホールでプロの、よく鳴るオケに混じってソロを吹くと、まずは自分の音の小ささ、しょぼさに非常にあせる。今までよりはるかに朗々と吹こうとすると、特定の音だけが鳴りすぎたりこもったりで、ソロが来たとたんにそれがバレて、「美しくね~…」と、やばい気分になることもある。おれって、もっといい音してるはずなんだが、とアタマをひねっても仕方がない。穏便な強弱、勝手な音程でなら、ほわほわ~、ぱーん!と楽器を鳴らすのは実はたやすいことだったのであります。まずは自分のイメージを変えて、もっと大きく、豊かに吹くのだ、と心がけて演奏することを続ければ、1~2か月くらいで必ず響きが変わってくる。私の個人的意見では、試用期間中には楽器やリードを変えるべきではない。「人間のほうを変える」ことで対処し、正式に合格してから落ち着いて楽器などの変更に乗り出すべきだ。さて、そういう「音」の問題のほかに、アンサンブルの問題が必ず起こる。「オケ全体と完璧に合っていて、しかも音程も正しく、強弱もリズムも完全に楽譜通り、指揮者通り、音も太く美しく、さらに音楽として充分に表情がある」などというのは、不可能に思えるだろう。運転と同じである。すべての法規を守り、おまわりさんにも信号にも標識にも注意して、ミラーも見て、なおかつ一緒に乗っている大を楽しませるドライブを、実は素知らぬ顔で全員がやっていたのがプロというものであった。大変だが、みんなやっているのだ。プロになりたてのころというのは、ほかの人の演奏がなんとムラなく、素晴らしく、正しく、美しく聞こえることであろうか。素人で、ほかの全員が天才に見えることだろう。不幸になるだろう。この環境こそ、アナタがオーディション合格で勝ち得た、人生最大の幸福なのだと思ってほしい。プロになった素晴らしさは、こういう「よい音」の中で泳いで、自分の低さを知って、最初の数年間必死でもがきながらみるみる水準を持ち上げてもらえるところにある。小さな環境で、「凄い先輩!」とかおだてられて、いい気持ちでデタラメに演奏していたころを「ふっ…若かったな…」と振り返るその時まで、地獄の努力を重ねる時、人生で一番成長する時が、入団直後の今なのだ。さあ、あとは、楽団員の先輩、同僚、時には後輩やステージスタッフが、そしてなにより世界中から訪れる指揮者、ソリストがアナタにたくさんのことを教えてくれる。夢中で過ごした数年後、ふと気がつくと自分のいる楽団の中で、自然に、入団当時には思いも寄らなかった演奏ができている自分をアナタは発見することになるだろう。 その時、アナタは本当に「プロになった」のだ。
2015年1月10日:留学のメリット
世界を見られること。その結果として、外から日本を見られること。「百聞は一見にしかず」と言う。行ってみれば大したことはない場所もあるが、行かなければ、「大したことじゃない」判断もできないということだ。日本を、生まれて初めて外から見る。社会、日本人、習慣。いろんな疑問を、日本に対して持つのではないか。また、日本のよいところ、料理のうまさ、気候のよさ、繊細さ、思いやり、社会の機能の完全さ、テレビやマンガの面白さなど、逆に自慢したいことも見つけるのではないだろうか。語学を身につけられること。少なくともクラシック音楽を仕事にしていて、なにかひとつの外国語はすらすらと話せ(留学2年)、先生や指揮者の指示を聞き取れる(1年)、楽譜の書きやCDライナーの論文くらいは読める(4年)ことは、非常に素晴らしい能力であると言える。単純に、人生数倍楽しいと思う。留学の成果が仮に「語学だけだった」にしても、2年という時間の対価は充分に一生実感できる。逆に、せっかく行ったのに日本人とばかり遊んでいて語学をパスしていることは、もう本当にもったいないと言わざるを得ない。作曲家の歩いた場所、住んだ家や食事など、後から作曲家の生活を想像する上で重要な史跡や建築、博物館には、実物が今も豊かに残っている。美術館もそう。森や谷などの自然、風景、気候ももちろんそのひとつだ。本場の音楽生活、教会、オペラなど、日本ではなかなか気軽に行けない場所を、建築込みで実体験できること。運がよければ、向こうでも仕事をして、ガイジンと演奏する体験を積めること。必ずしもガイジン全員が天才ではなく、むしろ不器用で音程が悪かったり、しかし、喧嘩や誤解を通じ、ガイジンの自立した精神力、芸術への素直な感性、頑固で執念深い練習と成長などを知ることができる。バッ(もきっとこういう人だったのだ。意外なポイントもある。日本では普通には会話もできないような、偉大な日本人と、「日本人同士である」というだけで、接近するチャンスも生まれる。私の生涯で最も重要な人物である山下洋輔さんとは、ドイツで留学中、公演中の山下さんを自宅にお招きして、接近させていただいたのだ。
2015年1月10日:留学か、大学院か
実はこの世界には、大学卒業時点で一斉にソリスト、オケマン、ブラス、ジャズ…などという「音楽就職リクルート」などは、まったくない。卒業までにな~んにも仕事がなく自分に見きりをつけて一般就職し、楽器をしまってしまう学生もいるが、「アタシー応、学校ではいつもAオケのトップ吹かせてもらっていたし…2回くらいプロオケのトラにも行ったし…先生には『あきらめちゃもったいないよ!』と言われるし…」というわけで、もう少し曖昧な期間を延長しようとする「未練組」が出現する。具体的には、オーディションでどっかの空きが出るのを待つか、「うまい話」が転がってこないか、待つための2年間(?)である。「最優秀で卒業し、大学院に進む」という華やかな外見を持つチョイスであるが、実態は「延長戦チャンス待ち」のことなのである。一方、留学。もし、アナタが大学3年の終わりごろに、なんらかの理由で、「よし、卒業したらドイツに行こう!」と、思ったとする。やることは次のようなこと。先生を探す。=尊敬する演奏家が来日する時を捕まえて、レッスンをお願いしたり、面会を頼んで、できたら演奏を聴いてもらい、留学の可能性を質問する。あるいは、自分の先生や、すでに留学している先輩などに、先生を紹介してもらう。その先生が教えている大学に、入学が可能なのか調査する。経済基盤を探す。奨学金に応募し、試験を受ける。語学、会話を突貫工事で学ぶ。パスポート取得など、海外生活に備えた準備をする。行くことになった都市に、誰か緊急の時などに頼れる日本人などがいたら紹介してもらい、丁寧にご挨拶をしておく。=決して迷惑をかけないことはもちろんだが、逆にそのうちの下宿人などになり、ドイツ語をまったく話さないで2年が経ってしまう、などということがないように。入試の準備をする。ヨーロッパではいきなり受けに行くことは習慣に反していて、事前に習いたい先生に聴いてもらって内定をもらうことが常識。家を探す。学生寮に入れないかも調査する。余裕があるなら、一度事前に飛んでその町を見ておくついでに、家なども探すとよい。非常に大変である。海外でも使える携帯やメールアドレスなどの準備をする。生活必需品を空輸する。飛行機の切符を買い、数年の生活を前提にした荷物を詰め、空港に行き、親に別れを告げ、税関を通り、手荷物検査を通り、現地の知人に食物と雑誌をオミヤゲに買い、飛行機に乗り、安全ベルトを着用し、離陸する。結論大学院とは比較にならない面倒、困難、孤独の数々なわけであるが、それでも、結論は「上手出し投げで留学の勝ち!」
2015年1月10日:売り込みについて
売り込みに行くのである。タイヘンだが、行く。恥ずかしいが、行くのである。ほとんど、ダメだが、行く。自分のプロフィールを作る。それほど書くこともないだろうから、「自分はこうして音楽と出会い、こんな曲に感動し、こんな気持ちで音大に来て、今、どうしても、こんな仕事がしたいと思っています!」という文章を添え、うまく聞こえる音源CDも用意(焼いて作れ)、可能ならHPやブログ等を立ち上げ、自分の目標とする仕事の現場に、以上の売り込みセットを持って、礼儀正しく電話してアポイントメントを取って、「持ち込み」訪問するのである。訪問先交響楽団。吹奏楽団。音楽事務所。ホールで若手向けのデビューシリーズなどを企画しているところ。音楽祭事務局、レコード会社。ライブハウス。レストランやホテル、結婚式場などBGMを演奏しているところ。そこから紹介される事務所。レッスンプロ希望なら音楽教室。ほか、自分が仕事してみたい、自分ならできます、やらせてほしい、と思うところ。ずっと読んできておわかりだろう。音大に行ったからといって、プロになることにはなんの助けにもならなかった。練習をしても、コンクールに入賞しても、仕事のほうからはなかなか寄ってきてはくれないものだった。音大に進み、卒業したら誰かがプロにしてくれるのではない。自分で、なろうとしなくてはならないのだ。実力をつけ、実績を積んだら、それを公開し、お願いして、使っていただくこと。営業活動をすることは、決して恥ずかしいことではなく、あらゆる社会で行われていることなのだ。
2015年1月10日:オーディションとは
「金銀銅」が表彰されるコンクールと違うのは、1位(合格就職)だけに意味があり、「2位」になっても名誉さえもない。「一番うまいやつ」を選ぶのではなく、「そのオケの、求人しているポジションに一番合ったヤツを探している」(極端な場合、首席で合格する演奏でも、募集がセカンドなら落ちたりする)そのかわり「1位獲得(合格)すれば、一生慟ける」ということであり、賞金(?)の金額は生涯年収そのものだから、「オーディションとは、大変な賞金のコンクールだ」ということになる。しかも受験者はコンクールよりはるかに少ない。コンクールは「受験料」という「審査員人間国宝拝観料」のようなもんを払うのに、オーディション受けるのはタダだ!落ちても、その団体のセクション、仕事をしているプロである多くのメンバーが聴くわけで、ちょっといいところを見せておくと、どこかで仕事につながる確率は、コンクールの場合よりむしろ高い。コネの少ない地方音大生などには、コンクールよりもある意味チャンスかもしれない。プロになりたいなら、オーディションを必死で受けるべきなのだ。プロになるために、これ以上ハッキリしているチャンスはなく、プロを目指す音楽学生にとってオーディションより重要なチャンスは絶対にない。求人があるのに、「自分なんか…」と卑屈になっている場合ではない。ワラにもすがらなくてはプロになれない世界であり、オーディションはアンタとプロをつなぐ、本当に細いとはいえ確かに存在しているワラの繊維なのだ!そこの奏者にわずかでもコネがあるならば、(断られそうであっても)事前にレッスンを頼むべきであり、そのオケの演奏会を偵察に行って雰囲気や演奏傾向を知るべきなのであり、演奏後には色々アドバイスを求めるべきである。理由はこのあとの「売り込み」を読め。ソロ曲を「スケール大きく、よい音で」(あまり神経質で過敏、表情過多、自由自在な演奏はオーディションでは危険である)バッチリ吹くのはもちろんだが、オケスタに関してはなによりもスコアと音源からパート譜の意味を徹底的に考え抜いて吹くこと、そのパー卜を聴いているとオケ全体が聞こえるように吹くこと。同級生のオケを不完全でもいいから集めて、オケで「仮免路上」しておくことは決して馬鹿馬鹿しい行いではない。学園祭の模擬店の「おでん屋」と同じ程度の情熱を傾ければ、2時間、14人の学生オケをホールに集めることは可能だ。報われるだろう。
2015年1月10日:コンクールについてのお話
大学在学中のそれと、卒業してからのそれでは微妙に意味合いが違ってきている。在学中に は「腕試し」「スター誕生」という、ダメモト、受かったら大スター、という宝くじ状態だったのだが、音大を卒業してまでコンクール一次落ち、は自信喪失を含め、かなりシンドイ結果を意味している。ここからは「結果の出せないコンクールはムダ」という意識を持つべきだ。まず、自分でよく考えて、一次通過さえもが到底ムリそうならば、そのコンクール(国内)は受けない、ことを考えるべきである。「みんなが受けるから」「ひまだから」「受けないとさらわないから」などの消極的な、はっきり言えばくだらない理由から金魚のフンみたいにずらずら受けても仕方がない。どうせならば海外の国際コンクールに挑戦すべきである。そのために海外に出ること、そこで体験すること、世界中からの受験者を聴くことなどは、大きな刺激を与えてくれることと思う。国内で受けるなら、小さな、誰も知らないようなヤツとか、自分でも入賞できそうなやつを狙う。たとえ受験者六人アマチュア込みでも、「第1位」は立派な履歴になるからだ。
2015年1月10日:新人トラブル対処法
日程が難しいとき。学校の行事、出身校の指導の約束など、シゴト以外の「用事」でなんとかなるものは、死に物狂いでなんとかしなさい。プロになるために音大に来たのだから、卒業試験をサボつてもシゴトに行くほうが良いのだ。もしかしたらなんとかなる感じなら、すぐ断るのは惜しいな。「すいません、ちょっと調整させていただけますか?」とそのシゴトを数時間から一晩、「預かる」ことも、熱意を伝えることになるだろう。ただし、先方は急いでいるし忙しい。長く預かったりしたあげくに断ったり、最悪は預かったことさえ忘れたりすると逆効果。あとから、もっと良いシゴトが来てしまったら「えっと、アナタントコよりも3万円高いシゴトが来たから、オレそっち行くわ。じゃ」などというキャンセルは絶対にしてはいけない。万が一、あとから来たものが将来の人生全体を変えるようなとてつもないチャンス(プロオケのトップ、代役、急なオーディションなど)の時には、丁寧に、誠心誠意話すこと。ただし、向こうのトラ係様にとっては、アナタの芸術的成功将来の出世や夢の実現など、なんの関心もない。「1名欠員」になるだけだ。今さら後がまを探すのはもちろん、書いてしまった出番表を消しに行くだけでも、おおいにメンドクサイ。覚えておくこと。吹けないところがある必死で準備していくのは当然だが、ど~つしてもさらってもできないなら、ごまかしなさい。うまく、ゴマカスこと。変なところでアナタの「全部吹くのが芸術家じや!」という意地を出して、演奏会を壊してはいけない。シゴトはアナタの人生道場ではないのだ。指揮がわからないプロの現場での指揮者、特にガイジンは、「1、2、3、4一一サン、「イー」などとわかりやすくは振ってくれない。プロは2回以上曲を通すこともほとんどない。ヤバイところでわからなかったら、セクションの人にリ(の段階で「ここ、わかんないっす…」と打ち明けておくこと。合図して助けてくれることもあるだろう。バランスがわからない、タイミングがわからない、なんだか、自分が浮いている、と思う時にはとりあえず「馴染ませる」ことだ。無理して音を全部出さず、様子を見るのだ。その上で、一緒にプレスしながら徐々に入っていくようにすること。とにかく一番マズイのは「破壊すること」であり、「戦力」や「完全さ」はその後に来ることなのだ。ただ、いつも様子見ているようでは失格で、自分もどんどん怖くなるぞ。音程が合わない時同じ楽器同士ではない場合もあるのだが、知らんぷりをしないで、相手のヒトに丁寧に謝って、一度だけでも一緒に吹いてもらうこと。コワイかと思っていた人が意外に優しかったりするものだ。度胸が必要である。日頃からもっとチューナーをシビアに見とけばよかったなあ。落ちる、入れないよくあることだが、本当に困る。まず、落ちそうな曲では、CD勉強の段階で長い休みの部分でもしっかり数えて、どこでその楽器が入ってくるか、スコアも参照しながら徹底的にパート譜に書き込んでしまうことだ。それでも現場で落ちることがある。「落ちた」ことを、隣の奏者にはアピールして、スイマセン、どこ?とジェスチャーする必要がある。もぎぎが落ちた時にはトラに聞くぞ。緊張して体調が悪い私はいつもそうなので、対処法を知らない。よく眠ること、本番まで一切の無理をしないこと。忙しすぎると、必ずコケる。体調と集中力のために、生活のすべてを捧げることだ。精神的に混乱するような要素も排除しなくてはならない。調子が悪い調子は、敢えて言えば、みんな悪い。本番で緊張しない人はいない。思い通り吹ける人もいない。アナタのそれは、「もともと、その程度しか吹けていなかったことが、この場に来て明らかになった」だけであります。すでに書いたが、これを防ぐことは決定的に重要。ことにリード楽器。しかし、それでも壊れる。リードや、ドライバー、紙など、最低限の修理道具は舞台に持っていくこと。本番中にその道具全部をひっくり返すのはやめてくれよな。アンサンブルが混乱したらオケが本番中に混乱したり、ソリストと合わなくなったりすることがあり、狼狽するかもしれない。誰につけるのか?「首席V指揮者Vコンマス」が価値序列。アナタがセカンド以下を吹いているなら、首席にひたすらに合わせる。首席を吹いている、あるいはその楽器が1本しかいないなら、指揮者に合わせるべきであり、しかし、指揮者とオケが混乱していたなら、最後の頼みの綱としてコンマスにつけるのがルール。複数のヒトからくい違う注意を受けた時複数の人から「大きいね…」というのと「少し遠慮しすぎじゃない?」と、両方のことを言われてしまうことがある。アナタの頭を全回転する瞬間だ。これはたぶん、「どっちも正しい」のだがそれはまた先で述べる。結論としては、「首席に合わせる」。他のパートからの意見はあくまでも参考。しつこく言われたら、そのヒトがいないところで自分の楽器の首席のヒト、並んで吹いている団員のヒトに相談してみること。そしてセカンドの吹き方。首席より先に出ない、首席より大きく吹かない、首席より先にヴィブラートしない、が絶対の原則。隠れて吹いているだけでも結構恐ろしいが、「攻めなくてはならない」場面も来る。特にファゴット2、トロンボーン2やホルン4など。もしミスしたら、練習まではなんとかなっていたのに、本番で大失敗をする…ソロで落ちる、とちる、和音で爆発、音抜け、音マチガイ、音程崩れ…ひどい時には演奏が停まる。まず、「偶然ミスった…」とは思うな。演奏には偶然などは許されないと思うこと。今まで、偶然うまくいっていただけなのだ。詰めが甘かったのだ。言い訳をしてはいけないが、もし、楽器が壊れた、などの(整備不良では困る)不可抗力の理由があったら、首席のヒトや先輩に、そっと、話しておきなさい。プロの世界は根性ドラマではない。理由のあるミスはそう判断されるべき世界でもある。指揮者に謝りに行こうか、と誰しも思うものだが、ムダである。やってしまったのであり、取り返せない。謝られても困るだけだ。恥をかいて、「もう、こんな思いは絶対にイヤだ!」と思うエネルギーで楽隊は成長する。「悔しい、次回こそ!」と思うしかない。また、1、2個のシゴトをクビになっていないような楽隊はいない。みんな苦労して、成長してきたのだ。「あそう、じゃ、ま、今回はいいか!」とか、思うなよな!
2015年1月10日:一般職、教職路線
実は、ここに集まる音大生か結果として一番多いのであり、「普通の」選択であると言える。ここから先は一般大学の場合と大差なく、リクルート情報収集、スキルの向上、職場訪問、入社試験や教員試験、教育実習などの準備で1年間は大忙しになるだろう。管打楽器を専攻してそれぞれの職場に散ってゆく人間がたくさんいることは、実はとても素晴らしいことだ。吹奏楽の指導、楽器店などでの専門知識、また一般企業などに就職しても、芸術に深く関わったという経験、視野、専門分野へのこだわりなどは、きっとよりよい人材として社会を支えて行くだろう。そして、願わくばそうした知識経験の生かせる、生きがいの持てる職場を熱心に探すことだ。給料などというものは安くとも、音楽のそばにいて毎日が面白い人生のほうがきっといい。私はそれを奨めたい。ただし、専門バカになってはいけない。自分が、もう楽隊路線をあきらめる、一般職に進む、と決めるなら、どうか新聞くらいは一生懸命に読んで、社会性を養ってほしい。最も心配なのは、その肝心の専門のことさえろくに知らない学生が多いこと。CD屋の店員になって、客に尋ねられた自分の楽器のソナタも知らなかったら洒落にならない。アマチュアーオタク出身の店員(めちゃくちゃ詳しいのが普通)に教わって感心して恋に落ちている場合じゃないぞ。真面目にやれ。
2015年1月10日:自分の居場所、才能を測る
音大で2年も暮らせば、だいたい、自分がその音大でどのくらいの位置にいるのか、その音大は全国水準でどのあたりなのか、わかり始めたことだろう。また、吹奏楽一辺倒で楽器を吹くことならなんでも楽しい、というブラス少年少女も、音楽にはもう少しいろんな種類、ジャンル、演奏方法、楽しみや難しさがある、ということもわかってきたのではないだろうか。音大3年生から卒業くらいになった時点で、そろそろ自分の方向性路線を見極めていかなくてはならない。いかなる路線、仕事があるのか、また、そこから得られる収入はどのくらいなのか、を併せてご紹介してゆく。お母様、メモのご用意を。
2015年1月10日:ポケットスコアを読む、集める
世の中には、こうした名曲の小さな楽譜(「ポケットースコア」「スタディースコア」と呼ぶ)が存在している。ただ聞いているだけよりも、こういう楽譜を目で見ながらCDを聞くと、楽器の使い方、和音、強弱、さらにはそれらを指揮者やオーケストラがどう表現しているのかが、とてもよくわかる。一冊ずつは小さいし安いので、集めている人も多い。とてもおススメだ。結構貴重な解説がついているものもある。
2015年1月10日:うまくなるにはプロを目指して進歩すること
「うまくなる」とはなにか、どうすればうまくなるのか(うまくなったと言われるのか)ということについて書く。「楽器の演奏がうまくなる」=「ヘタクソ、素人から、うまい人、ベテラン、使える人、に変化していく」というプロセスには、タイヘンおおざっぱに、つぎのような要素がある。音色強弱。正確さ(ソルフェージュと実現)。雰囲気。これらを、どのように進歩に導くか。個別に解説してゆく。
2015年1月10日:自分の音大からプロが出ていない
ほとんどすべてのコンクール、オーディション合格者が東京の音大、特に東京芸大から生まれているように見えるのではないか?その通りなのである。一部私学、地方の(音楽)大学でも優秀なレッスンをしている教師は多い。しかし、東京芸大の総合的水準の高さは、やはり水際立ったものがある。なによりも、身近で「楽器がうまく、シゴトにつなげてくれる」ライバル、先輩、共演者に数多く触れ合えることは大きいのだ。
2015年1月10日:留学のリスク
このように、留学することには、メリットは非常に多いが、日本で多くのアナタたちが想像しているような「デメリット」は、それらと較べればほとんど問題にならないと考えている。その、想像している「デメリット」というのは、まず「とんでもなくお金がかかるのでは?」という心配。実は、ドイツの音大に留学するということは、学費自体は基本的にタダであり、生活費も日本と大差ない。奨学金にはIもし取れれば1往復の航空運賃なども含まれるし、まあ、東京で私学の大学院に通って物価高く2年暮らすカネがあれば、ヨーロッパに留学して2年過ごすことは、もしかしたらお釣りが来るくらいの差しかない。留学は経済的には決して「超高嶺の花」ではないのだ。つぎのリスクは、「せっかくもらい始めた仕事が、2年経って帰ってきたらきれいになくなっているに違いない」というもの。ところが、2年留学して、学ぶこと、経験、成長できることが、想像を絶する、人生を根本から変える分量であるのに対して、日本に残っている人間から見ると、2年という年月は「え?もう帰ってきたの?」と絶句されることがほとんどなほど、あっという間の出来事なのだ。少なくとも、一度でも仕事をしたというような人間なら、アナタをすっかり忘れてしまうことなどあり得ないし、むしろ、「留学してきたのなら使ってみよう」という気持ちになるほうが自然なのである。むろん、その2年の間には幾人かの後輩が仕事デビューして、気に入られているかもしれないが、そんなセコいレベルの競争よりも、留学にははるかに大きなことが待っているのだ。できるなら、留学しなさい。それも若いうちに、できるだけ、長く。もし、少しでも行こうか、と思っているなら、今すぐドイツ語などの会話の勉強を始めることだ。
2015年1月10日:コンクール、オーディション
学内外、国内外でコンクールはたくさん開催されている。オケのオーディションもある。基本的に、すべてに意欲を持つべきであろうと思う。「卒業したら、就職」という図式は、音楽の世界にはあてはまらない。結局目指すのはプロであり、卒業証書にはまったく意味がない。「経過地点」にすぎない音大にどっぷり漬かっていても時間が過ぎていくだけなのだ。コンクールは、曲を増やすこと、舞台経験を積むこと、同じ曲を練習してくるライバルたちの実態を理解する上でもとてもよいことだ。ピアニストや弦楽器の連中は、中学生くらいから全国コンクールの常連になっているヤツがごろごろいる。コンクールといえば吹奏楽?と思っている管打楽器はまだまだ「奥手」なのである。大学1年でプロオケのオーディションを受けるのはとんでもない、早すぎる、と言われるかもしれない。しかし、「遅すぎる」よりマシなのだ。25で、「もう十分キャリアを積んでいるだろう」という予測をしている相手にそこそこの演奏を聞かせるよりも、18で、「意外なほど、ちょっとイケテル」演奏をしたほうがインパクトは強い。競馬で言えばダークホース、穴馬。審査員や、オケのメンバーは、「最年少」で受けてきたアナタに敬意を表して、きっと親切にアドバイスをくれるし、名前も覚えてくれるだろう。また、それらの現場の雰囲気、緊張を若いうちから知っていることは、将来決してムダにならない。「早すぎること」にどんどん挑戦していくことを奨める。少なくとも、「あと数年でプロの道を目指す」なら、音大1年でもう頭角を現していてもなんの不思議もない、そういうヤツは必ずいる、という環境にすでに自分はいるのだ、という自覚が必要だ。ただし、「あっちこっちで、意欲だけは示すが演奏は目茶苦茶…」という評判にならないよう、行く以上は必死で準備をしなさい。
2015年1月10日:本を読め
ここでは独断と偏見に基づき、音楽を志望する者に読んでおいてほしい本をいくつか挙げてみる。自分の年齢、レベルに合わせて選べ。『モーツァルトの生涯』〔全3巻〕海老澤敏(白水社)作曲家の伝記は、どれを読んでも面白いが、ことにモーツァルトは資料となる書簡が多く残っていて精密。簡易版でもよいから、バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ショスタコーヴィチなどについて読んでみることも薦める。『音楽は対話である』アーノンクール(アカデミアミュージック)現代において演奏というのは如何なる意味、問題を持っているのか、キビシク、徹底的に論じていて興味深い。驚くトリビアもたくさん書いてある。『オーケストラの社会史』大崎滋生、他(音楽之友社)オーケストラが、作曲家が活躍した時期にはどんな生活をしていたのか、給料や身分についてまで詳細に調べた本で本当に面白い。『文化としてのシンフォニー』大崎滋生(平凡社)こんなにも多くのことがわかって、こんなにも多く誤解していたのだということを知る。すごい本。2巻既刊(全3巻予定)。『オーケストラの105人』カスキン、他(すえもりフックス)夕方になって自宅で仕事に行く準備を始める105人の男女を描いた可愛くも上品な絵本。音楽家なら感動を禁じ得ないラストが待っている。『森のうた』岩城宏之(講談社)岩城さんの本はどれも凄く面白いが、音楽家を志望するならばまずこれを読もう。芸大時代に親友の山本直純さんと、オケを集めて指揮するというハナシだが、どたばた笑いの中に青春の真実がある。『熊の木本線』他(新潮文庫『おれに関する噂』に収録、どれでも)筒井康隆知性を磨くには筒井を読んでほしい。ほかに『ジャズ大名』『家』『中隊長』『遠い座敷』『家族八景』などを挙げておきます。『風雲ジャズ帖』他(音楽之友社、徳間文庫の古本か、平凡社の新編、どれでも)山下洋輔。電車でも飛行機でも声をあげて爆笑してしまうだろう。しかし、音楽とともに優しくキビシク美しく生きることのかっこよさも教えてくれる。私も時々出てきます。『200クラシック用語辞典』(立風書房)「レガート」「コンサート」などの一般的な言葉からかなりの専門用語までを網羅した音楽関係単語の本。単なる用語解説ではなく、それぞれの単語をテーマにした随筆とCDガイドもある。持っていると役に立つ。
2015年1月10日:国内の講習旅に出よ
高3受験生ならば外せないのは以前も書いたが、志望する音楽大学の受験夏季講習。私はこれに通っていた。音大生なら、「草津」などの大きな夏季講習、音楽祭は、きっと大きな成長と思い出を約束してくれるだろう。国内外にかかわらず、旅をすることは世界を広げ、恋をすることは心を広げる。家族や家庭、友人の意味、音楽とは自分にとってなにか、見知らぬ風景と孤独の中で考える時間を作ってこい。ちなみに、もぎ次郎の夏は高校時代は、吹奏楽の練習と合宿に明け暮れていた。音大2年の時には演奏旅行を企画して、友人の故郷で即興自作前衛音楽による演奏会を開いた。今にして思えば企画集客共ゼロであったが、ダンドリから作曲、企画、印刷、広報、リハーサル、移動、本番、打ち上げまで、「音楽会を作る」ことの面白さを知ったことは、今日に至るまでの自分の活動を決定づけた体験だった。夏は遊ばす、学び、旅をした。デートも海も山も映画もない青春だったが、なぜか覚えているのは夏のことばかりだ。記憶に残る、意義ある夏休みを過ごしてほしい。
2015年1月10日:「夏休みは外国に」だ!
外国に行け!だ。行くべ。ます語学。将来留学しようがするまいが、独仏伊英のどれかが、あるいは複数が理解会話可能であることは、クラシック音楽家として非常に重要であるどころか、もはや不可欠であると言える能力だ。まずは現地で当たって砕けてこい。むろん、音楽体験も豊富にできるだろう。様々な夏季講習会(事前調査申し込み必要)、コンクール、オペラーフェスティバル、夏の音楽祭。留学している先輩を訪ねて泊まり歩き、経験談を聞き、作曲家の歩いた道を見てくることだけでもいい。同じソナタでも、間違えて韓国行ってくるなよな。あれは冬だし。古いか。
2015年1月10日:音色の奥深さ
「うまい人」は「イイ音してる」はずだ。音色がよくないと、本当に困る。音のキレイは七難隠すと言い、まず、とにかく音がふくよかで上品で、安定していることは、どんなにバカな演奏をしていてもまあまあ、と許してもらえる(かもしれない)くらい、重要なもの。女性(男性も)の顔やスタイルに相当する。むろん、音だけがよいバカ、というのはたくさん存在し、「これじゃ使えね~…」とあきれ果てられることも多いのだが、それでも、「音が汚いが、ほかは全部よい」、という奏者よりも断然人気があるはずだ。そのくらい音色の重要性は高い。さて、この音色、というものは、文字通りの、音の色ということだけではなく、実は様々な要素の複合体だ。 1雑音の少なさ。2音程がまっすぐでふらついていない。3発音がクリア。硬くも、柔らかくも、音楽の必要性に応じて発音できること4強弱のどちらにも思い通り進める余裕が聞こえている。ここにはヴィブラートの自由さ も含まれているこれら4つが総合的に向上して、初めて「イイ音してる!」と思っていただける。1、本来的に整った美しい音これはもう、「仕掛け」(道具)の部分が最大。まっすぐ伸びている時の単純な音色また(実はこっちが重要)、音階を上下している時の、音量音色の均一さは、実はほとんどが「楽器」に依存している。いろんな楽器メーカーが、演奏感覚や自由さ、メカニックの信頼性、有名人が使っていることなどをウリにして楽器をセールスしているわけだが、音色だけは絶対にあとから改善できない。とにかく、音大生にもなったのだから、音色が最高の楽器を装備しろ。リード、マレットなど、補助的道具も、音色メインで工夫を繰り返し、早いうちに自分の音色に見合った道具を自由に手に入れるように心がけろ。2、音の安定。一方、こちらの問題は、いかに素晴らしい楽器を手にしていても、奏者自身のトレーニング抜きには考えられない。まさに、基礎中の基礎の部分であり、ロングトーンや呼吸法、アタックの練習なしには到達できない。チューナーをつけてロングトーン、スケールなどの地道な練習を積み重ね、ゆるぎない安定を今のうちに勝ち取っておくことだ。3、発音。タンギングと、それを準備する呼吸法、そして、楽器リード奏者(十分に支えてから吹く腹式呼吸などの技術)の三つどもえになる。アタックは音色の印象の50%を決めてしまう。おろそかにしてはならない。ただし!有名プロが目立つ場面で使っている美しい、カッコイイアタックをひとつ身につけたからといって、そればっかりで吹いていると「バカ…」と思われる。音楽の場面に応じた多彩なスタートをできるように、そこまで含めて宮本文昭さんのCDをマネしなさい。4、強弱・ヴィブラート。これはやはりよい楽器(およびその整備状態)やトレーニングも重要だが、なにより、アナタの意識を改革しなくてはならない。ひとりでせまい部屋でさらっている時のダイナミクスというのは、どうしても「小ぢんまり」としてきてしまう。音大のホールやなるべく広い部屋(屋外でさらうのはバカがすることなので絶対にやめるように)に忍び込んでは、自分の音が客席いっぱいに満ちるのか、そこで吹いたフォルテやピアノは通用するのか、確認しながら経験を積むこと。よく響くところで自分の演奏にうっとりしている場合じゃねーぞ。そして、「実際に使わないダイナミクス」まで範囲を広げてロングートーンや基礎練習をすること、つまり、限界を超えたピアニシモ、物凄いフォルティシモまで個人で練習しておくことによって、大きな音でも小さな音でも、「まだまだ行ける!」という余裕を感じさせる音色にすることができるのだ。現場で使う音量どころか、実際使う音量の範囲さえも練習トレーニングしていない学生は多く、これらは、レッスンでちょっと「もっと大きく!」と言っただけで苦しそうなキタナイ音色になって自滅している。絶対にそうなってはいけない。これら、4つの「音色」へのヒントだが、向上させるためにはなにより「イメージ」を持つことが大事。CDや演奏会もだが、なるべく、「上手な」先輩、先生のそばにいて、並んで吹いて、その演奏を「盗む」。自分に、「イイ音」のイメージを「移す」ようにすること。
2015年1月10日:音大生活から何を学ぶか
ではその舵取りの根拠。人生の海図を授けよう。プロを目指すのが前提ならばなにが必要か。1演奏水準。2演奏経験。3コネ。の3つである。この3つを手に入れることが、プロヘの切符になってゆくのである。1演奏水準 当然とも言えるが、甘い学生も多い。そういう周りに調子を合わせたりしている場合ではなく、人よりも必死で練習し、先生のレッスンから、先輩から、同級生から、バカのように真剣に、できる限りのものを吸収すること。演奏を聴くことも大事だが、公開レッスンの客席で、トモダチと並んで一生懸命他人のレッスンのメモだけ取っている学生はおれにはバカに見えている。それがなんかの役に立つというのか。怖がらず、恥かくことなんか恐れず、レッスンを受けなさいというのだ。すべての機会を生かしてできるだけ多くの演奏に出演し、経験を積む。演奏種別、曲目、本番のあり方など、経験していなくては絶対にわからないことが、音楽演奏という仕事にはたく さんある。「余裕ある時しか演奏しない」のが通用するのは世界でアルゲリッチだけだぞ。いつも積極的に「乗りたがる」人間であれ。機会がなかったら自分で企画して、メンバー集めて、チラシ作って、印刷して、配って、集客して、司会して、プログラムに解説書いて、説明して、全部やれ。すごく勉強になる。極端に多忙で練習不足でも完全に責任を果たす方法を考えるのが。火事場の馬鹿力で、これによって演奏家は急成長するもの。あるいは、練習不足や思い上がりがどんな悲惨な結果を招くかを知ることも。修羅場を経ずにプロはない。そして、ここにアナタがいること、プロになりたいと思っていることを、ひとりでも多くの人に知ってもらうこと。先輩、OB、プロ、ガイジン。誰かに会うたび、自分を知らせなくてはならない。楽屋口で、宴会の席で、相手に話しかけられるのを待っていてはならない。「ムカシノ音大1年、トランペット専攻、山ロ百恵です!将来はプロになりたいと思います!」と、言いなさい。きっと爆笑になり、「あ、あのプロ子ね」と、覚えてもらえます。7年前、ある高校1年生に会った。「茂木さんと並んでN響で吹くことが夢です。いつかそうします」と、口数少なく、微笑んで話しかけてきた。その後、芸大に進み、池田昭子の門下となり、「N響で共演」は昨年、あっさりと実現している。ドリカムだ。あいつはこれから何を夢にするのだろうか。
2015年1月10日:つぶしを効かせる
一方、2年間の音大生活で、「プロ…?そんな夢を見た若い日も、あったわね…ふ…」(タバコの煙を上に吐く)などという態度になってしまったアナタというものが出てくるのも、よほど現実というものに鈍感でない限りは無理もない。卒業まで可能性のないプロを目指してがむしゃらに練習するのも一興だが、「もう少し時間が欲しい」と願うこともあるだろうし、ハタチ過ぎたら自分の人生設計もある程度リアルかつクールに見つめ始めなくてはならないだろう。また、管・打楽器を専攻し、様々な合奏や音楽、音楽家や現場に触れるうちに、新しい表現方法で自分の音楽をやっていきたいという路線変更を夢見ることもあるだろう。大きく分けて、つぎの3種類になる。
2015年1月10日:団体指導業務
学校ブラスのセクションレッスン、合同レッスンみたいなことが一番多い。月2回くらい学校に行き、自分の専門の楽器や分奏、セクション練習などを指導。アマオケからも依頼がある。演奏会前などに単発で依頼がくることもある。コンサートで行った先の都市でクリニックも頼まれることもある。学校が依頼者なら2時間で1万円程度、公共ホールや楽器店主催でもう少し上、が普通の謝礼かと思います。この中の特例的なのが本公演の指揮者までまかされたり、コンクール指導全部を依頼されるというもので、東京などから指導者・指揮者を招へいする学校などは相当ちからが入っているので、総額で数十万円という謝礼、さらに交通・宿泊費の支払いがあることになる。まあ、専門の有名吹奏楽団体にでも所属していないと、なかなかないです。
2015年1月10日:アーティスト路線に進む
自分独自の音楽を作り出しながら演奏してゆく道。ポップスでも、ジャズでも、新しいジャンルでも。この路線に進むアナタはおそらく一番オトナなので、私が何かを言ってやる必要もあまりない。これはもう、自分に響く、感銘を受ける音楽にどっぷりと浸り、演奏やクリエイトを繰り返し、その中で生きてゆくことにすべてを賭けてゆくしかない。どんな音楽が自分のものなのかが見つかったら、音大などにいてもあまり意味はないだろうし、音大だろうが一般大だろうが専門学校だろうが、スタートーラインは同じになっている。卒業証書と教員免許を将来の保全のためにもらっておくこと程度のために、貴重な時間を費やしてよいものか。ま、学生していれば交通機関の定期が安く買えるけどな。具体的な業務内容や収入の詳細には知識がなく、書けない。
2015年1月10日:音楽スタジオについて
様々な劇伴や映画、テレビ、ドラマ、コマーシャル、ポップスや歌謡曲のCD、BGMなどを録音する。映像も録ることがある。しかし有名歌手はあとで別に録音するので、会えない。スタジオは、レコード会社のことも、放送局などのこともある。こういう仕事は1時間1曲でいくら、と決まっている。聴衆がいるわけでも拍手をもらえるわけでもなく仕事は常に冷静で単調、曲名さえ書いていないことの多いカンタンな楽譜を前に、イヤホンから聞こえる機械のクリックを相手に、強弱さえもつけずに吹くことを求められる冷たい世界だ。だが、慣れてしまえば疲労も興奮もなく一定金額を早く手にすることができるため、苦労と緊張を強いられながらギャラの安い「芸術優先」の仕事(オケのトラなど)より、ハワイゴルフ麻布BMW私立小学校など「生活クオリティー優先」の、一部の音楽家には人気の高いジャンルだ。(「スタジオ・ミュージシャン」という言葉がある。クラシック以外にも多数います。いいものを着ておられます)こういうヒトでも、必ずしも「音楽を捨てた」とは言えない。自分の夢はどこか別のところですでに実現したか、しているらしい、と思えることが多いからだ。ただし、スタジオでは隣の演奏者との会話もほとんどないので、名前も知らずに別れることも多い。1時間数千円から最高1万円程度。朝スタジオに入り、夕方出てくると8万円持っていたりする。多い人は、月20日もスタジオに入る(弦楽器など)。ね?もうかるでしょう。やりたくなったか?
2015年1月10日:室内楽業務
基本的に、公共事業のソロ業務と形態は同じ。若手紹介型の文化事業に出演するか(団体全部で20~50万円程度)、サロンコンサートに出るか、BGMの仕事を入れるかというところだろう。金管アンサンブルなどはサロンが少なく、屋外でのイベントの仕事などもあるだろう。1名1万円が目安な、キツイ仕事ということになる。木管五重奏、金管アンサンブルなどの大きな、真面目に音楽を聞く室内楽演奏会というのは、リサイタルと同じ予算分類で考えられている。したがって、総額は同じなのでひとりずつは安くなる。3万円くらいが一般的かもしれない。地元吹奏楽連盟などのクリニックを併設している場合もあり、こちらからも多少の収入は見込める。(「指導業務」の項目参照)リサイタルとちょっと違うのは、楽器屋サンなどの主催で行われるケースもあって、動員を結構かけてくれていて盛り上がることがあること。日頃オケばかりやっていると、室内楽は自分でカネ払ってでもやりたい、すかっとする楽しい仕事なので、準備をちゃんとして呼んでくれるなら、とてもありがたい仕事になる。
2015年1月10日:ソリストのお仕事
協奏曲ソリスト。これは、自分でオケを雇うことが現実的ではないため、先方からの「依頼」が来ないと基本的にはできない。(やってしまう人もいる。私もやった)依頼される場合、プロオケ、名門アマーオケとも、面白いことにギャラの規模がほとんど同じ。通常25万円から40万円程度。大スターならもう少し上。小さなアマーオケで、知り合いで、「仲間だからやってよ(やらせてあげるよ)」のニュアンスだと10万円くらい。曲は(演奏会全部座っているよりは)短いし、快感あるし好きなように吹けるし、協奏曲はとってもオイシイ仕事だが、管楽器で、回数が年に3回あればかなり多いほうだろう。バロックのコンチェルトや室内オケなどの場合には15万くらいでも頼まれる。そしてサロンコンサート。個人的な知人のお宅や、様々な都市で独自の文化活動を繰り広げる「鑑賞団体」のようなところから、レストランなどでのサロンコンサートを依頼されることがある。相場は伴奏者込 みで10万くらいから上。もっと安いこともある。一応、2人分なのだが、この金額を三重奏などアンサンブルにして手取りを分ける、ということも可能。熱心で親切な少数のお客さんを前に、やりたいプログラムをじっくり演奏できるし、宣伝などしなくてもよいし、終演後はお客さんと直接感想など話せるし、楽しい。私は日本に帰国してから相当数のサロンコンサートに出演して、膝が触れ合うような間近でN響木管トリオを演奏した。明治以前の酒蔵でのコンサートや、磯部さんのご自宅、などという凄いのもありましたぞ。そうした中から「山下洋輔組曲」が産まれ、トークの実習をし、自分の演奏と聴衆の呼吸、喝采、などの直接のやりとりから物凄く多くのことを学んだ。本数は、年間4本くらいあれば「多い」ほうである。ライブハウスへの出演も非常にお薦めだが、こちらのギャラは客のチャージを店と分けるというシステムが普通で、数千円の単位から。超満員で数万円。さらにBGMなど同じピアノ伴奏でフルートを吹く「ソロの仕事」でも、結婚式、レストラン、喫茶店などのBGMは、事務所によっては「容姿優先」をハッキリ謳っているところがあるくらいで、ほとんど女子の専門分野。笛の吹けるモデルさんとして扱われていると思ったほうがよいケースもある。一度入り込めば仕事本数は多いが、単価は安く、少し効率のよいアルバイト程度。きれいな服を着て人前で楽器を吹く、という希望だけは満たされるが…「見てはもらえるが、聞いてもらえない」という状況もあったりする。ちなみに、性別のほか楽器にも限定性があり、ピアノはもちろんだが、フルート、ヴァイオリン、タイプに人気集中。せいぜいオーボエ、クラリネット、マリンバ、サックス…あたりまでだろうか。
2015年1月10日:プロ路線踏襲派分岐点
まず、とにかく当初の目標通り、プロ演奏家を目指す決意をますます固めた、または、まだ、あきらめるには早い、と考える場合。演奏のプロ、と一口に言ってもいろんな形態があるのであり、大きく分けて次のように分類される。ここらで、自分にはどれが向いているのか、どれをやっていきたいのか(複数選択も可能)決めてゆく時期になってきた。ソリスト路線、合奏(楽団員)路線、アーティスト路線がその分類である。まず、一般的に、音楽大学卒業時点までで、演奏をして、あるいは演奏者としての能力を前提にして、金銭の入ってくる、単発、および永続的業務、通称オシゴト」は、おおまかに分けて次のような分類になり、それぞれがもたらす収入はイメージとしてどのくらいなのか、を書く。ここで結構具体的な金額を書いているが、これらはあくまでももぎぎのイメージであって、実際にはこれよりも大幅に多かったり少なかったりすることは、当然ある。「平均」などでもない。だいたい、こんな感じ、と思って読むこと。なお、私個人の収入そのものではないことも断っておく。
2015年1月10日:音大生は忙しい
さて、入学してみたアナタ。音大というところが、「音楽以外の授業」「学校以外の用事」でこんなに「忙しい」とは想像もしていなかったのではなかろうか。一方、さすが音大だけあって、アンサンブル組まない?とか、アマチュアのブラス指導してくれない?とか、ピアノの発表会でマリンバニ重奏しない?とか、自分の試験の伴奏者探さなくちや…とか、いろいろなお誘いもあるだろう。演奏経験できるのは嬉しいが、準備しないで本番をしたり、毎回がおろそかになってしまうのは恐ろしい。自分のレッスンの練習時間が足りない。「ガイジンの公開レッスン」「有名スターのリサイタル」「それほどではないが卒業生のリサイタル」「学校の別の先生のリサイタル」など、「勉強になりそうな」催しもいっぱい紹介され、誘われ、チケットを買わされる。時間もカネももったいない!もちろん、レッスンがどしどし始まる。さらうものは山積みとなり、毎晩コンパ部屋飲みがあり、つきあい悪くしてさらっていると「がり勉!」と陰口をたたかれ、授業があり、先輩の代返があり、アンサンブル集まる時間がないのに意見が合わない。…ああ忙しい。ここで、自分なりに選択しておいたほうがいい生活基準というものがある。人間関係円満か?孤独な練習か?経験の回数か?毎回の演奏への完全な準備か?自分の練習か?聴いて勉強か?授業にも出るのか?音楽しかやらないのか?自分の先生のレッスンか?どちらが絶対にいい、こっちにしなさい、とは私は言わない。わからない。しかし、こうしたことを一つひとつ日常の中でチョイス(選択)していく中で、自分でも気づかないうちに人生というのは舵を取っているものだ。最初は小さな角度の変化でも、時間という遠い海を航海しているうちには、シアトルかハワイかブエノスアイレスか石垣島かに、到達地点が変わつてくる。「プロ港」を目標に、毎日少しずつ、舵を取る。もし、逆風が強すぎて友達がいなくなる、自分がくたびれて長続きしないなどムリを感じるなら、舵を緩めてもよい。肝心なことは、自分がどの方向に向かうつもりなのか、いつでも意識している、流されていつのまにかアフリカに漂着してしまったりしないようにする、ということ。遠い目標を念頭に置いている、ということだ。そうするなら、日々の行動、発言の中に、どこか、「あ、あいつ、いいね、いけるかもね」と、未来につながる誰かに認めてもらえる目の輝きを、アナタは持ち始めることになるだろう。同じ夢を持つ者は、同類をかぎ分ける。それは、「いつも念じている」ことによって起きる「目の輝き」によってなのだ。
2015年1月10日:新しい出会い、しておくべき選択
音大合格し、新しい生活が始まる。ここで出会う、アナタにとって新しい人間には、大きく分けて2種類がいる。まず同時に入学してきた「同級生」である。地方出身者(下宿生)と大都市育ち(自宅通学生)の相互のカルチャーショック、音高出身者が平気で聴き分ける困難な聴音やドイツ語の音楽用語。「エリート」と「地方の強さ」の狭間で、西束京の私は小さくなっていた。私の学年にはなんとオーボエ専攻の学生が5人いて、しかもその全員がのちにプロ楽団員になったという、その音大の歴史上最初で最後の記録的なクラスだった。それだけに個性も強く主張も強く、5人は今思えば強烈なライバル集団として、極端な相互の摩擦によってお互いを磨き上げていったように思われるのである。もうひとつの、入学したアナタが出会う新しい人種とは「先輩」である。私が音大に入学した時、4人いたオーボエ専攻の4年生というものの演奏は、もはや神であった。仕事など日常茶飯事にしていて、会話の内容が完全にプロであった。私にとって音大におけるまず最初の幸運は、こういう凄い先輩が密集している環境に入学してきたということにある。現在もふたりの方は現役プロ楽団員だが、そのうちのひとりであった岩崎さん(弘昌氏現札幌交響楽団首席奏者)が卒業する時に、彼のしていた仕事を引き継がせてもらったこと、その岩崎さんをかわいがっていた新星日本交響楽団(当時)の松浦さん(真一氏一現東京フィルハーモニー交響楽団)を紹介されたことは、結局そこに学生入団してプロになっていく自分の人生の、すべての出発点になる出来事だった。こうした、同じ夢を持ち、自分の目標となりライバルとなる人々との出会いの素晴らしさは、音大生活の最大の幸福のひとつである。一方で、そうした素晴らしい演奏をする先輩たちでさえ、なかなか仕事という世界には食い込めないでいる、という現実、「こんなうまい人でも、仕事がない。なら自分は…?」という、青ざめるような現実も入学後すぐにアナタを待っていることになるだろう。音大生のうちから仕事があるようでなければまず先行きでプロにはなれないこと、しかし、仕事をしている音大生は本当に少ない、まったく特別な存在であるということを、現実の音大という世界に飛び込んでみて、私も知ることになった。
2015年1月10日:高卒留学について
私が高校2年で音大志望を打ち出した時、ブラスの指導者だった先生(現ムラマツフルート副社長一曽根勝先生国際的活躍)は、高卒留学しては?という提案をしてきた。その時行かなかったが、結局音大出てから22歳でドイツに行ったわけだし、音楽、ということだけに関して言えば、高卒で行けばもっと優れた演奏者になれたかもしれないし、海外の一流オケにいることができたかもしれない。と思う。あとから言うのはカンタンだ。でも、音楽というものは人生の表現である。まず、普通に日本人として人生をやり、テレビを楽しみ、本を読み恋愛をし、うまい食い物や酒も知り、「根っこ」のある人間でいられたその上で音楽があるというのが、今自分では幸福に思えることである。よほどの強い運命や偶然に動かされない限り、高卒留学は奨めない。なによりマズイことは「日本の音大無理そうだからドイツ(アメリカ)行く!」という、とんでもないカンチガイによる決心である。確かにドイツの音大は数も多く、日本より入りやすいトコロもある。しかし、結局はプロになるために備えていなくてはならない資質は人生のどこかで公平に試される。高卒留学は日本での人生の「コネ作り(後述)」のチャンスを失う大きな賭けになる。日本の音大などばかばかしいと思えるほどの絶対の自信や、海外の先生との運命的な出会いがあったならともかく、「すべり止め留学」だけはしてはならない。専攻科以外の受験について音大の器楽専攻はムリかも、と考える場合浮上してくるのが、音大の「教育学部」とか、教育大学の音楽コースのようなもの。ぜひ、よく調べてほしい。失望が待っている可能性があるからだ。非常にハッキリ書いてしまうと、これらの学科の演奏水準(一般的に)は、やっぱり専攻のソレとは違っている。周囲の水準が低ければ上達の可能性も減るだろうし、もちろん、プロヘの道も相当遠くなる。基本的に教育学科や教育大学は専攻科履修の代替にはならない、と考えていたほうがよい。(例外もある)さらには、せめて楽しみたかったブラスなどの合奏などはあんまりできないことが多いのだ。だから、器楽専攻をあきらめるなら、音大そのものを一度視野からはずして、一般 大学のアマオケやブラス、市民オケーブラスなどを考えてみるほうが、よっぽど水準の高い、熱意ある合奏を経験できると思われる。ただし稀に例外があり、一部教育大学音楽コースには非常に強力なブラスなどがあったりする。事前に、実地訪問して練習見学などをすべきだろうな。
2015年1月7日:音大に進めばプロになれるのか?
ご存じとは思うのだが、音大に進んだとしても、そして「絶対、アタシはプロになる。」とこぶしを上向きに握って決心していたとしても、全然プロになどなれない可能性のほうが実ははるかに高いのである。先のこと(就職、職業)を先に決めて、そこへのプロセスとして学校を選ぶのは一般社会では当然で、美容師、犬トリマー、公認会計士、臨床検査技師、モデル、不動産取引監督、薬剤師、医者、歯医者など、みんなそれぞれそういう学校に行き、(推定90%以上が)そういう商売についている。しかし、こと、この商売(音楽)に関しては、確率はあきれるほど低い。音大入試の関門を突破してメジャー音楽大学の管・打楽器専攻に合格しても、全国の音大から(全部の楽器を合計しても)1年間に数人、十数人という単位でしか「プロ」になっていないのが実情だ。音大、音楽専攻学部を持つ大学などは何十とあり、それぞれが1学年の器楽専攻学生数人ずつ、学校全体で時とし100人を超える学生を持ち、毎年数百人(推定)という器楽専攻者が卒業するというのに、である。イメージを比較できるとすれば、全国の高校野球人口~プロ人口の関係などであろうか。いかなる教師、大学といえども、「プロオケヘの合格率67%!」などとは豪語できない。可能性は、「1%を割っている」とさえ思えるのだ。プロになれる保証があるならその道を行く、確率が低いならば行かない、という堅実な人生観に照らすなら、「音大進学をしても保証はどこにもない」と答えるしかないのである。おれがこうしてプロになっているのは完全にマグレの偶然なのだが、同じ世代の中には、芸術をはるかに愛し、楽器もうまく、環境も整い、血のにじむような努力を重ねた連中もたくさんいた。そういう連中が努力や情熱の順番でプロになれたか、望んでいた人生を手に入れていったのか、というと、そうではない。「じゃ、才能の順?」と言われても、それもたぶん違うだろう。あまりにもたくさんの分岐点、偶然、運、その他が複雑に関係した結果として、人生というものはあるのである。情熱があり、努力さえすれば誰でもプロになれるというものではない、ということなのだ。ましてや、「音大に進めばプロに近づく」ということさえ、ほとんどない。もともと、「見通し」など、誰にも立てようがない世界なのである。努力して、楽器がうまくなっても、その順番でプロになれるとは限らない。しかし、努力もせず、うまくならなければ、ほぽ確実にプロにはなれない。「あ、そうなんですか…じゃ、ぼく、やめときます…」と去って行く者もあるだろう。賢明な判断である、と言わざるを得ない。現在、日本におけるアマチュアオーケストラ、吹奏楽団の数の多さ、演奏水準などは本当に素晴らしい。普通の進学や就職を選んでも、趣味として音楽を続ける楽しみは、豊かに保証されている。一方、「いや、それでも自分はプロを目指したい。人生の1秒たりとも、音楽以外のことには使いたくない!」という、ワガママそのもののような強い情熱を抱く者も、中にはいるだろう。また、「プロになれるかどうかわからないが、てゆーかそんなこと今はどーでもいーが、とりあえずここ数年、音楽以外やりたくないっ!」というほとんど現実逃避な考えを持つヤツもいるだろう。私自身もそうであった。もし、そうならば、止めはしない。どうせ「見通し」のない世界なのだ。たった4年間だけかもしれないが、朝から晩まで楽器と音楽に明け暮れて、全国からやってきた同じような仲間に囲まれて青春を送るのは、素晴らしいことではないだろうか。ほとんど可能性のないプロヘの道を夢見て、自分の青春を賭けてみる。音楽にはそれだけの価値、魅力があるのかもしれない。同じ状態だった私にはよくわかるつもりだ。そして実は、音楽家たちのほとんどは、過去、人生の一時期においてそういう無謀とも言える選択を行ってきた「音楽馬鹿」の集団なのである。アナタは今、その仲間入りへの一歩を踏み出そうとしていることになるのだ。したがって、「プロ志望」と「音大進学希望」は、堅実な見通しによる人生設計の一部ではなく、「音楽しかやりたくない!」という人生観、熱狂的音楽愛の結果として、いっしょくたに考えることとする。「本当にプロになれるのか?」という判断は当面先送りし、まずは「とにかく、音大に進む」ということから話を始めることとする。結婚を前提としたおつきあい、というのがあるが、「プロを目指すのを前提とした音大進学」ということになるだろう。ひとつ、自分と約束しておいてほしい。プロになれないかもしれないが、この道を選ぶのは、「音楽が、楽器が好きだから」なのだな?だとしたら、プロになれなかったとしても、「自分は好きなことをやったのだから」と、幸福にあきらめて、後悔はしないな?ならば覚悟せよ。
2015年1月7日:ラジオは、まだまだ重要な宣伝メディア
音楽のプロモーション手段として、いつの時代もラジオの効果は絶大だ。だが残念ながら、レコード契約なしに自分の曲をかけてもらうのは、非常に難しいだろう。ただ例外として、アマチュアでも才能ある地元のアーティストを紹介する局や、カレッジステーション向けの番組などがある。番組構成が非常に自由なため、そうできるのだろう。とにかくレコード会社にとってのラジオは、アーティストのプロモーション、およびCDの売り上げを増やすための、まだまだ重要なメディアだ。そのための売り込みは、普通はレーベルの宣伝部の者が行なう。その他、宣伝を専門に請け負う会社がレーベルに雇われて、特定のシングルを担当する場合もある。それでは、ラジオでかけてもらうまでの流れを追ってみよう。まず初めに、レーベルは推薦曲を選ぶ。そして、宣伝部の人間がラジオ局へと持っていって、各局の番組デイレクターに、その曲をプレイリストに加えてくれるよう頼む。その後も宣伝スタッフは毎週局に電話して、曲がどれくらいかかっているかチェックする。さらに、できるだけたくさんかけてもらえるよう、PDの説得にも励む。曲がヘヴィーローテーションになるには、リスナーからのリクエストに負うところが大きいだろう。もちろん、取っかかりはレーベルの宣伝スタッフが作る。だが、それを盛り上げてくれるのは、熱狂的なリスナーなのだ。頻繁にかかる曲もあれば、かからなくなる曲もあるのは、そのため。要は、宣伝マン達がいかにうまく番組ディレクターに取り入ることができるかである。ところでラジオ局にはいくつか種類があって、オールディーズから最新ロックまで、何でも揃っている。そして、各局におけるプレイリストの動きは、プロードキャストデータシステム(BDS)とアルバムネットワークが統計を取っている。契約していれば、1週間のチャートの動きや、最新の。アド(プレイリストに追加された曲)、ローテーション(かかった回数)といった内部情報を知らせてもらえる。プロモーションビデオに比べ、遅れているように思われがちなラジオ。だが、自分の曲がかかることの効果を見くびってはいけない。たいていラジオはビデオにとってプラスとなるし、ツアーやレコードの売り上げも伸ばしてくれる。コンサートプロモーターが興行を宣伝する際、地元のラジオ局への依存度が高い地方では、特に言えることだ。
2015年1月7日:ライブに役立つ便利グッズもある!
ライブコンサートというのは、何度も言っているように一発勝負。そのときになって、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった…なんてことがありがち。しかし、あらかじめ準備さえしておけば、いろんなケースに対応できることは確かだ。「備えあれば、憂いなし」つてわけだね。そんな場合に役立つものが、ライブ用の便利グッズとも言うべきものたちだ。ステージの上は、照明ライトの熱などで想像以上に熱い。これに弱いのが、ギターやベースなどの弦楽器だ。また、そうでなくても演奏が乗ってくると、ピッキングもアクションも激しくなりがち。また、エフェクターをいくつもつなげてたりすると、音が狂いやすくなるって知ってた?そんなとき頼りになるのが、チューナー(チューニングメーターともいう)。いくら耳に自信があっても、ステージ上では他の楽器の音にかき消されるなどして自分の音が聞き取りにくい。そんな時でもチューナーならメーターやインジケーターを目で見ながら素早く合わせられるわけだ。エフェクターと一緒につないでおくだけでいい。コンパクトエフェクターやマルチエフェクターを問わず、電源に電池を使っているのは非常に多い。本番前に電池の寿命をチェックしておくためのバッテリーチェッカーは、必需品だ。また、アダプターをつなげてAC電源も使えるタイプでも、エフェクターの数が増えてくるとやたらにジヤマ。そこで、いっぺんに数台分の電源を供給できるパワーサプライ(ACアダプター)を用意しておくと実に便利。各メーカーから市販されている。本番前は誰でも緊張するもの。例えば、楽屋でもただ出番を待ってるだけじゃなくて、指ならしなどをしていると結構落ち着くものだ。そんなときにあると便利なのが、今はやりの小型アンプ。実際に音出ししなくても、ヘッドフォンで音が聽けるものがほとんどで、フレーズの練習なんかにも最適。もちろん、家で練習するときにも使えるから一石二鳥ってわけだ。エフェクターをつないで鳴らしたような感じで弾ける。ディストーション(音を茎ませる効果)やコーラスを内蔵したものもあるから探してみよう。電池で鳴らせる超小型アンプなんてのもいいね。大きなホールなら心配ないけど、学校の講堂や教室でコンサートを開くときに困ってしまうのが、電源コンセント。特に最近は機材が増える傾向にあるから、なかなか璧のコンセントだけじゃ足りないよね。そこで、いわゆるテーブルタップ(略してタップともいう)を用意しておこう。ただし、家庭用のあんまりヤワなものは避けたほうが無難。 1500W ぐらいまで保証された、ぶっといコードの方が安全哇も高い。でされば、オーディオ用とかコンピューター用、工業用のヘヴィーデューティなヤツがオススメ。特にオーディオ用なら、ノイズにも強いし音質もいいのだ。だまされたと思って使ってごらん。これらの他にも、数本のギターをもってステージに上がるときに立てかけておくギタースタンドや、ドラマーなど両手がふさかつているプレーヤーのためのヘッドセット(ヘッドフォンとマイクが一体化したもの)とか、メモを張っておいたりコード類を留めたりするときに便利なガムテープもあるとちよっと助かる。
2015年1月3日:ツアー中に遭遇する文化
習慣の違いたいていのミュージシャンにとって、ロード生活は人生そのものとなる。スリルに満ちた楽しみの裏にあるのは、日々過酷な労働に追われる生活サイクルだ。地元の文化や習慣についての知識がないと、すっかり混乱してしまうだろう。私がまだ10代だった頃、ロックースターがホテルの部屋で暴れるといったような話を聞いては、楽しんでいた。大騒ぎのパーテーのように思えたからだ。だが、その向こう見ずな遊びの代償に、自分が一生懸命稼いだ金が充てられることを知り、その幻想はたちまち消えていった。言うまでもなく、テレビやマットレスを壊せば、不必要な経費が大量に増えるのだ。大半は、ホテルやモーテルで夜を過ごすわけだが、やはり行った先では歓迎されるに越したことはない。何か破壊的な行動をすれば、一行全員がほとんどのホテルチェーンヘ出入り禁止となってしまう。レストラン、レンタカー、航空会社といった他のサービス業全般においても、それは同じだ。こういった店や会社のサービスがあってこそ、快適なツアーができるのである。彼らを敵に回さない方がいい。ところでホテルに滞在する場合、一行全員の部屋代や税金は、ツアー費の一環として、普通はツアーマネージャーが払ってくれる。だが、使われているのは自分の金なのだ。それは肝に銘じておこう。それと、部屋に設置されたミニバー、ルームーサービス、レストランでの食事代、クリーニング代といった雑費は、各個人で支払う。そのため、日当と呼ばれる現金が、クルー全員に支給される。その現金の使い道の一部を占めるチップだが、アメリカにおける典型的な割合は、金額の15~20%。たいていは1回につき15%で、20%払うのは何か特別な場合。そこは自分で判断しよう。ただし、他の国ではまったく別。ヨーロッパでは、国によってはチップの習慣のないところもあるし、逆に失礼と受け止められる場合もある。特に食事の場合は、勘定書にチップを加えておくのが普通なんて国もあるので、事前のチェックが必要だ。初めて行った国では、旅行代理店やホテルのボーイなどに、その国の習慣などを聞いてみよう。アメリカドルをその国の通貨と両替しなければならない時、一番便利なのはホテルのキャッシャーだろう。両替率が地元の銀行ほど良くないかもしれないが、便利さには勝てない。ただし、せっかく両替しても余ってしまってはしょうがないので、一度に大量にしない方がいいかも。両替するたびに、たいてい損することになるし、国によっては、帰国してから両替できないところもある。また、価値が下がっている場合もあるだろう。私はこういうことに無頓着だったため、世界中の変わった(そして使いものにならない)、お金のコレクションができてしまった。もし頻繁にツアーをするのなら、同じ人と繰り返し接するようにした方がいい。そして前回の評判はついて回るから、「ローマではこういうことをした…」などと、その時の出来事を憶えおくようにしよう。
2015年1月3日:何はなくともプロモーション
ミュージックビデオネットワークが爆発的に成長したことで、プロモーションビデオの制作は、重要なポイントとなってきた。その制作資金の一部は、たいていレコード会社が負担してくれる。ちゃんとした契約を結んでいれば、そこそこの予算なら、約50%はレーベルが持つことになっているのだ。残りは、アドバンスとしてアーティスト印税からリクープされる。そして普通は、シングルとなった曲をビデオにする。必ずしもそうとは限らないが、プロモーションの成果をできるだけ反映させるには、その方が効果的だろう。ビデオのディレクターを決めるには、レーベル、アーティストマネージメント、そしてアーティスト本人とで話し合うことが多い。たいていのディレクターは、自分をアピールするためのデモンストレーション用ビデオを用意している。それを送ってもらい、描かれている創造性と自分達の音楽とが、うまく噛み合うかで、あたりを付けるのだ。そして候補者を選んだら実際に会って、うまくいきそうなのは誰かを判断しよう。この時、ディレクターから、シナリオを提示されることもある。もちろんストーリーは、ビデオになる曲に関連したものだ。ディレクターのコンセプトを把握し、ビデオの内容を検討するためにも、こういう話し合いの機会は設けた方がいいと思う。そのようにして、ディレクターとシナリオを決めたら、次はプリプロダクションだ。必要に応じたストーリーの手直し、撮影場所の決定、機材の調達、制作スタッフやその他関係者の手配などがされていく。そしていよいよ、撮影となるわけだ。撮影が終わったら、今度はポストプロダクション。編集、特殊効果、そして音楽と映像を合わせたり、といった作業である。この段階ならまだ、アーティスト側からアイディアを出すこともできる。だが、採用されなくても悩むことはない。ディレクターは単に、ビデオの手直しを嫌がっただけで、アイディアを否定したわけではないのだ。こうしてようやく完成すると、レーベルはそのビデオに合ったミュージックビデオネットワークに持ち込む。それが認められれば、番組のスケジュールに組み込まれるが、必ず認めてもらえるわけではない。そのため、ほとんどの大手レコード会社には、プロモーションビデオ制作宣伝スタッフが専門にいて対応している。本当は全体の進行管理が仕事なのに、実際は、オンエアーされるかどうかが最優先となっている。ミュージックビデオネットワークでのオンエアーはあくまでもプロモーション。そのため、放映されても印税は支払われない。ただし、それが市販用ビデオとしてリリースされ、レコード店などで売られた場合は、印税をもらうことができる。ところで、制作費用はどのぐらいかかるのだろう?これは、数十万円から数億円までとピンキリだ。このため、ビデオの予算は抑えめに設定しておいた方が無難。駆け出しの頃はなおさらだ。プロモーションビデオとは、基本的にはレコードのセールスを上げるための宣伝用アイテムに過ぎないのだから。
2015年1月3日:ラジオは、まだまだ重要な宣伝メディア
音楽のプロモーション手段として、いつの時代もラジオの効果は絶大だ。だが残念ながら、レコード契約なしに自分の曲をかけてもらうのは、非常に難しいだろう。ただ例外として、アマチュアでも才能ある地元のアーティストを紹介する局や、カレッジステーション向けの番組などがある。番組構成が非常に自由なため、そうできるのだろう。とにかくレコード会社にとってのラジオは、アーティストのプロモーション、およびCDの売り上げを増やすための、まだまだ重要なメディアだ。そのための売り込みは、普通はレーベルの宣伝部の者が行なう。その他、宣伝を専門に請け負う会社がレーベルに雇われて、特定のシングルを担当する場合もある。それでは、ラジオでかけてもらうまでの流れを追ってみよう。まず初めに、レーベルは推薦曲を選ぶ。そして、宣伝部の人間がラジオ局へと持っていって、各局の番組デイレクターに、その曲をプレイリストに加えてくれるよう頼む。その後も宣伝スタッフは毎週局に電話して、曲がどれくらいかかっているかチェックする。さらに、できるだけたくさんかけてもらえるよう、PDの説得にも励む。曲がヘヴィーローテーションになるには、リスナーからのリクエストに負うところが大きいだろう。もちろん、取っかかりはレーベルの宣伝スタッフが作る。だが、それを盛り上げてくれるのは、熱狂的なリスナーなのだ。頻繁にかかる曲もあれば、かからなくなる曲もあるのは、そのため。要は、宣伝マン達がいかにうまく番組ディレクターに取り入ることができるかである。ところでラジオ局にはいくつか種類があって、オールディーズから最新ロックまで、何でも揃っている。そして、各局におけるプレイリストの動きは、BDSとアルバムネットワークが統計を取っている。契約していれば、1週間のチャートの動きや、最新の。アド(プレイリストに追加された曲)、ローテーション(かかった回数)といった内部情報を知らせてもらえる。プロモーションビデオに比べ、遅れているように思われがちなラジオ。だが、自分の曲がかかることの効果を見くびってはいけない。たいていラジオはビデオにとってプラスとなるし、ツアーやレコードの売り上げも伸ばしてくれる。コンサートプロモーターが興行を宣伝する際、地元のラジオ局への依存度が高い地方では、特に言えることだ。
2014年12月27日:アーティスト印税が手に入る
アーティストは音楽という商品を生み、レーベルはその商品を市場に出して売る。これが根本的な関係だ。いいレーベルと契約を交わし、いい関係を築くことができれば、成功もするし、活動も長く続けていける。ただ、どうも最近のメジャーレーベルは、アーティストを長い目で見てくれない。どちらかと言うと、短期決戦的な展開を取っているようである。となると、アーティストとして自己を確立させるためのレコードを作るチャンスは決して多くないことがわかる。デビューしてすぐに成功できなければ、見放されてしまうだろう。私はこの原因の一つに、プロモーションビデオ全盛時に起こった音楽シーンの急激な変化というものを考えている。アーティストとして才能があるか、成功するかの判断は、早い段階でされてしまう。そのためにも契約を交わす前にしっかりと目標を定め、音楽ビジョンをはっきりさせておこう。いざレーベルにアプローチする場合コネがあると非常に楽だ。とりあえず、すぐに真剣に向き合ってもらえる。なければ、制作部の関心が得られるようなデモを送ることになる。私の経験からすると、いくらベストテイクでも3曲以上は入れない方がいいようだ。それと穴埋め的な曲、イントロの長い曲、独りよがりの曲も入れない方がいい。制作部の人間は、日々様々な音楽を聴いている。一度聴いて興味がわかなければ、それで終わり。二度目はないのだ。そのデモだが、レコーディングもCD制作も、もはや自分でやる時代。今はハイクオリティの宅録機器が手軽に入手できる。直接リスナーにCDを売ることもできてしまうぐらいだ。だがその一方で、この手の作品は自分達が思っているほど、メジャーレーベルの制作部にはウケないようである。それでも、ここまで頑張って形にしたのだ。次は何をしたらいいだろう?CDができたら、そのジャケットを作らなければいけないが、この時点ではまだ、それほどこだわる必要はない。完璧なジャケットを作らなきやと意気込み、曲作りがおろそかになったり、ミュージシャンとしてのカリスマを失ってしまっては逆効果。肝心なのは音楽そのものだ。ところでレコード会社は、制作、配給、宣伝をしてくれるだけでなく、それらのための資金を無利子で貸してくれる。そのため、若いミュージシャンは、レーベルのことを、何でも恵んでくれる神様みたいに思いがちだが、それは大きな間違いだ。確かにアーティストにアドバンスを渡してくれるが、これは前借りのようなもの。あとで印税収入の中から返済しなければならないのである。この関係をアドバンスリクープと呼ぶ。レコード業界は、こうやって回転していく。「レコードは売れたものの、ちっとも儲かってない」という話を聞く。これは、アドバンスはまず最初にアーティストへ払う印税から回収されるからだ。そのため、アーティストがレコードの売り上げから印税を得られるようになるのに、何年もかかるということが起こる。そうならないためにも、アドバンスを設定する時は、慎重に慎重を重ねよう。レコーディングの費用を、自己負担するアーティストもいる。もちろん、レコーディングセッションにかかる費用も、すべて自分達で持つのだ。そして、そのあとマスターテープをレーベルに持ち込めば、売り上げの見込みに対するアドバンスを、現金でもらうことができる。また、アドバンスをまったくもらわずに、アドバンスリクープを完全に避けることも可能だ。ただし、そのためには、かなりの大金を前もって用意することになるので、あまり現実的な話ではない。だが、最も理想的なやり方ではある。
2014年12月27日:金銭面はビジネスマネージャーヘ
キャリアが波に乗ると、あっと言う間に金の流れに巻き込まれてしまう。そうなると、ビジネスマネージャーを雇うのが得策だ。パーソナルマネージャーとは違い、ビジネスにおける金銭面の管理が仕事で、印税関係、ツアーの収支、資金繰りなどをしてくれる。もちろん、他にもいろいろだ。ふだんビジネスマネージャーが行なうのは、おもにアーティストの財政問題全般の監督である。そして、その下のスタッフが、請求書の支払い、給与計算、 保険対策、そして最も重要な問題である税金対策など、金銭面における日常業務をこなす。投資の相談にのる場合もあるが、私が見たところ、能力のある人は、それを専門とする会社に任せているようだ。優れたビジネスマネージャーは、リスクを伴う投資計画には関わらない。こちらが一生懸命に稼いだ金を、貯めようとするものである。このビジネスマネージメント料の支払いは、時給制か、総所得のパーセンテージかのいずれか。たいていは総所得からのパーセンテージだ。5%というのが標準だが、これにも例外はある。ところで、成功したアーティストの所得を平均すると、かなりの額に感じるかもしれない。だが、全キャリアで平均すると、それほどでもないのだ。一般的な最低週給レベルより、ほんのちょっとマシなだけ、なんて場合も。というわけで、金を節約するようアドバイスされたら、従っておいた方が賢明だ。正直なところ、私達の収入は実に不安定である。投資するにしても、せいぜい安全なものに少しだけ手を出す程度に留めておいた方が無難だ。もちろん、銀行に預金するのも大切なこと。貯めずに使ってしまえば、一生懸命やってきた仕事を証明するものがなくなってしまう。いつか日の目を見ると信じて、頑張るしかない。投資に失敗したり、ぜいたくをしたせいで、財産をなくした有名人の話は珍しくない。私にも苦い経験がある。若い頃は金に無頓着だったので、かなり頻繁に「金をくれ!」とせがんでいた。ビジネスマネージャーから、渋々ながらも現金を渡された時は、ありがたがっていたものだ。そんな歯止めのきかない浪費の結果、私の会計士は、州や連邦税などへの対策ができなくなってしまったのである。そのあとに待っていたのは。税金地獄。向こう数年間、そこから抜け出そうともがく羽目となった。しかし、失うばかりだったわけではない。この経験は貴重な教訓として残り、今の私の金の扱い方に間違いなく影響を及ぼしている。ビジネスマネージャーは、金の使い方をアドバイスしてくれるが責任はない。責任は自分にあるのだ。ニューヨークのベーシスト、ウイルリー(テレビ番組『デヴィッドレターマンーショウ』の(ウスーバンドを筆頭に、数々のセッションワークに参加)も、私と同じような経験をしている。彼の場合は、すべてを他人任せにしたために起こった出来事だった。「金銭面のことは、すべて会計会社に任せていたんだ。そしたら、そこの従業員の一人が、私の金を使い込んでしまってね。しかも1年半で、4万5千ドル(約5百万円)も。会計士達を責めるのは簡単だけど、もとはと言えば、そんな会社を雇ったのは自分なんだ…。私が彼らを雇わなかったら、こんなバカげた目に合わずに済んだんだからね。まあ、いい勉強になったよ。やっぱり、自分の方でもすべて把握してないとダメだよね」金のことに関する恐怖を植え付けたくて、こんな話をしたわけではない。他人がいつでも自分に良くしてくれると思い、任せっきりにしていると痛い目に遭うかも…と言いたかったのだ。こういった問題を防ぐためにも、資金の引き出しや請求書の支払いは、こちらが承認してからにさせるといい。そうすればビジネスマネージャーやそのスタッフが誤解することもない。コミュニケーション不足ほど悪いことはないのだ。特に、金が絡むことはなおさら面倒なことになりがち。お互いのためにも、常に綿密に連絡を取り合うようにしよう。金銭問題というものは、関係者全員に何かしら責任があるものなのだ。
2014年12月27日:音楽の法律の話
一見オイシく感じる契約も、いざ書類上に現れる法的な語句となると、とたんに難解なものになってしまう。自分達だけでは、何か書いてあるかを読み取るのに必死、という場合がほとんどだろう。そこで、弁護士が必要になるわけだ。バンドにおける弁護士の重要度は高い。法律の専門家を味方に付ければ、何かと有利になる。特に、契約交渉や訴訟ごとなどを弁護士なしで行なうのは、事実上不可能だ。ただし、現在の法律はかなり細分化されている。そのため弁護士は、音楽ビジネスに関する法律を専門としている人でないと困るだろう。では、そのような専門家はどこにいるのか?ロサンゼルスやニューヨーク、ナッシュビル、ロンドンといった大きなビジネス都市なら問題ない。また、たとえ地方に住んでいたとしても、弁護士同士でネットワークを結んでいるので、それほど心配する必要はない。すでに、別分野の弁護士と関係しているというのなら、音楽ビジネス専門の人を紹介してくれるよう頼めばいいだろう。また、『パフォーマンス』『イエロー・ページオブロック』他、各種ビルボードの出版物には、弁護士というディレクトリーが設けられている。それらを利用するのもいいと思う。活動したての時点でパーソナルマネージメントが見つからず、弁護士に臨時でマネージャーをやってもらうアーティストがいる。だが、これはできるだけ避けたい。何らかの契約で印税が発生した場合に、問題が生じる可能性があるからだ。例えば、弁護士兼マネージャーは、印税からのコミッションを得ることにして、その代わりに法的手数料を負けてくれるかもしれない。そして、これがそんな深刻なこととは、最初は思えないだろう。ところが、いざ専任のマネージメントが見つかった時に、印税の一部を両者が取り合うという事態を招く恐れがあるのだ。また別のケースとして、マネージメントが決まる前に、弁護士が様々な契約を交わしてしまうことがある。これも、その後マネージメントが見つかった時のトラブルの素だ。そもそも、契約を交わすというのはマネージャーの権利のひとつ。それなのに弁護士が契約を交わすと、オイシイ部分をさらってしまい、マネージャーとバンドにとって金銭的に不利になっていたりするかもしれない。弁護士に対して多額の負債を抱えることにもなりかねないので、きちんとしたマネージャーにとっては非常に面白くないだろう。マネージメントがないとか、弁護士と契約した時点での資金が少なかったりすると、こういったことが起こりやすい。だから、契約は慎重に行なうこと。知識や交渉の腕を見込んで人選をすれば、前述のような事態は避けられるはずだ。そして個人的意見となるが、パーソナルマネージャーと弁護士の兼任は避けよう。どちらもバンドの大事なメンバーだが、それぞれ別の人に任せる方がいい。さて、人を雇えば報酬を支払うのは当然のこと。まず依頼料だが、手腕によって数百ドルから数千ドルまでと様々だ。それプラス、時給換算額も請求される。そのため、レコード会社との交渉など大きな仕事の時は、あらかじめ額を決めておいた方がいい。この手の交渉は長引くことが多く、時給制だと高くつくかもしれないからだ。それと、こういった契約に弁護士への印税などは考えない方が良いだろう。とにかく、呼び出した時点から時計の針は動き出す時間分、すべて請求されるのだから、正確に、簡潔に話をしよう。自分に関わる人達には、問題を起こさず働いてもらいたいものだ。そのためには、それぞれの得意分野を任せるのが一番だと思う。中でも、重要な仕事を請け負う弁護士には、腕のいい人に、マネージメントごとではなく、法的ビジネスだけを見てもらうようにすること。法律という、退屈で面倒な部分の一切を任せられれば、自分は安心して音楽に専念できるのだから。
2014年12月27日:一大決心は慎重に
どれだけ多くの人がプロのミュージシャンになりたいと思っているか…、それを考えると、私がこれほどまでの成功を収められたのは、幸運だったとしか思えない。なにせ、アメリカ中西部の小さなクラブから始まり、世界でも指折りのレコーディングスタジオやアリーナクラスの会場でプレイするまでに登りつめたのである。これらの経験は測りしれないほど貴重なもので、学校では決して学べないことをたくさん教えてくれた。音楽について、そして音楽ビジネスに関しても、たくさんのことをだ。活動をする上で、どちらも永遠の課題となるものである。したがって、音楽ビジネスにおいて生存競争に必要な知恵を身に付けることは、優れたミュージシャンになるのと同じぐらい重要だ。この記事は、そのことについて述べている。音楽で成功するには、結局のところ、常識と忍耐がものを言う。心から好きな仕事を選び、しかもその思いを持ち続けられる人が、たいていの場合、成功を勝ち取るものなのだ。私がまだ情熱あふれる駆け出しのミュージシャンだった頃、「いつか音楽で生計を立てるんだ」などと言っても、笑われるのがオチだった。だが、それが運命だと感じていたのだ。高校を卒業したあと私は、大学生活を4年間などといったお決まりの道でなく、音楽ビジネスを身をもって学ぽうと決心した。しかもハードノック(厳しい試練)なハードロックの世界で。そんなわけで、私が故郷のミネソタをあとにして、ロサンゼルスへ向かったのは18歳の時だった。わずかばかりの現金と機材を持って、友達3人と旅立ったのである。ハリウッドでの唯一の。つては、住む所を確保してくれた下宿のおばさんだけだったが、私はこの時点ですでにプロとして5年間やっていたので(小金を稼いでいたという意味)、どんな形にしろライブをするチャンスくらい、いくらでもあると思っていた。ところがすぐに、それは身のほど知らずな考えだったと思い知らされたのだ。自分のような、地方の小都市から出てきたばかりの者がハリウッドという化物の中にいることに恐怖さえも感じた。成長しようと努力する苦しみも、これまでになく深刻なものだった。だが幸運にも、自分と同じように「成功したい」という思いを強く抱いている連中とすぐに出会えた。そのうち次から次へとことは運び、気が付いたら私の夢の大半は実現し始めていたのである。一方で、ロサンゼルスには、仕事に対する考え方が私とはまったく違うため、 極貧状態を余儀なくされているアーティストが多いことに気付かされた。また、プレイを教えてくれる学校、本、ビデオはたくさんあっても、音楽ビジネスのノウハウを教えてくれる授業や資料がないことにも気が付いた。そういった意味で、私達ミュージシャンはかなり孤独な存在だ。この浮き沈みの激しい業界を生き抜こうとすれば、手痛いケガやキズを負うことも多い。私にとっての貴重な教訓は、そうした中での試行錯誤によって身に付いたものがほとんどだ。そんなわけで、次の段階ヘステップアップしようともがいている、野心あふれる新人アーテ彳スト達から、ビジネス面に関する質問をよくされる。そこで、自分がこれまでに得た知識の一部を伝えることで、そういった多くの疑問に答えていきたい。できる限りお互い助け合いたい、それがこの記事を書いた理由なのだ。ところで、話に入る前に一言。この記事における代名詞の大半は男性で、簡潔にするために(文法的にも正しいことを祈る)、。彼または彼女ではなく。彼としている。これは徹底的な男女差別をしたかったわけでは決してなく、単にわかりやすく、流れを良くしようとしただけだ。この記事に述べてあるアイディア又考え方、そして経験は、性別、年齢、人種、民族、また音楽の嗜好に関係なく、誰にでも当てはまるものである。それは信じてほしい。それを念頭に置いてもらった上で、健闘を祈っている。「成功への一番の鍵は運である」と多くの人は言うし、それは本当なのかもしれない。でも私は、一生懸命やれぱやるほど、その運が増えると信じている。絶え間ない努力と知識の追求が、成功のチャンスを増やすのは間違いない。ただし、一生のことなのだから、慎重さは失わないように。
2014年12月26日:バンドの名前は大切に
バンドの名前というのも、新人発掘担当者の関心を引くには大切な要素だ。いい名前は、それだけでセンスを感じさせる。ライブハウスのスケジュール表で見かけて、名前が気になってそれだけで見にいってしまうこともある。ただ、いまの時代、バンドのいい名前を考えるのが以前に比べてむずかしくなってきているような気がする。単純に、英語で辞書を引いて考えてみようと思っても、なんとなく響きがカッコいい単語は使いつくされている感じだ。バンドの名前も時代の流行があって、レッドツェッペリンとかクィーンなんていうのも、一九七〇年代ならともかく二〇〇〇年代のいま、どこかおおげさすぎる。カーズとかプリテンダーズなんていう八〇年代ぽいのは、カッコいいか悪いかぎりぎりなところだ。記号や数字を使うとクラブ系かテクノ系みたいになるし、フランス語やドイツ語を使うととたんにビジュアル系になってしまう。アメリカのテキサスで毎年サウスバイサウスウェストという、アメリカじゅう世界じゅうから八百以上の新人アーティストが集まってライブをおこなうというイベントがあるのだが、その出演バンドのリストを見ても、アラバマサソダー・プッシーとかパチンコとか、こんなバンド名しか思いつかないのか!と情けなくなるものばかりで、英語圜のバンドですら、これはイケてると思うのはほんとうにない。全世界的にバンドの名前というのは、煮詰まってきているのだろうか。しかし、バンド名が平凡だろうが覚えにくかろうが、売れて浸透してしまえばカッコよく受け止められるようになるという考えもできる。ローリングストーンズだってそうだし、セックスピストルズ、ガソズアソドローゼズなんていうのもかなりベタだ。日本でもエレファントカシマシ、真心ブラザーズ、ゆず、といったバンド名からイメージされる彼らの音楽性がかなりかけ離れているように、売れてしまえば誰もそんなことは気にしなくなるものだ。最初は読み方もわからないし、発音も一回聞いただけではなかなか覚えられない、むずかしい名前だなと思ったが、いまでは誰もそんなことは言わない。とはいえ、彼らも名前で損をしたことはあると思う。私もあるバンドのことをデビューしてしばらくはB級グラムバソドと誤解していたし、真心ブラザーズも、たとえいい曲だなと思っても、基本的におちゃらけた音楽性のバンドだと思い込んでいた。とある私が出会い契約したバンドがあるが、ある外国人の女性DJから、「このバンド名は番組では言えない」と言われたことがある。これも名前で損をした例だろう。「村八分」といった放送禁止用語のバンド名なんてつけたが最後、永遠にメディアに登場できないのである。やはり、バンド名は覚えやすくて、その音楽性をイメージしやすいものをつけるに越したことはない。音楽性を感じさせる名前だと、サザンオールスターズならアメリカ南部の音楽性に影響を受けただろうと感じるし、アナーキーだとロソドンパンク、フリッパーズギターならアノラック系ギター・ポップ、コレクターズならブリティッシュービート、ギターウルフならガレージーパンク、というように、音楽性を類推できる。音楽性と関係なくても、はっぴいえんど、なんていうのは、語感や意味合いが洋服のブランドネームのようにどこかファッショナブルに響くいい名前だといえる。そのほか、センスを感じるネーミングは、よく使われていて意味も知られてい。る言葉を、意外な組み合わせにする、というやり方だ。たとえばオリジナルラバーズもそうだし、ナンバーガール、ゆらゆら帝国なんていうのもそんな部類に入るだろう。意味があるのかないのかわからないが、なんとなくバンド名だけでアーティストのセンスを感じさせる。最近の傾向として、コーネリアスのように、ソロユニッ卜名義で私のところにデモテープを送ってくれる人が増えている。クラブ系アーティストの場合、アーティストの匿名性が高いジャンルということもあり、理由もわかる。しかし、なんのためのソロ名義なのか、意図がよくわからないことも多い。ユニッ卜名で活動したいという人の気持ちとしては、コンセプトが優先で、ほんとうの私とは違うんだよといった言い訳や、自分と正直に向き合えないための照れ隠しの仮面、ごまかしといったことがあるのではないだろうか。だから、こういった、なんのためのソロ名義なのか意図が伝わらないアーティストには好感がもてない。デビューするときにつけた名前は、基本的には解散するまでついて回る。軽はずみなネーミングで後悔することのないように慎重に考えよう。
2014年12月26日:育成契約
これもアーティストのデビューへの可能性のレベルによってかなりの差があるが、一定の金銭的なサポートをはじめる。しかし、最初からバイトせずに暮ら せる額がもらえるなどと思ってもらっては困る。それは、生活費のためのバイトで練習もできない、という事態を多少回避する程度の額でしかない。そのかわり、レコード会社は契約に関する優先権を預かる。その契約期間中はいっさい、ほかのレコード会社、マネージメントとの相談なしの契約をしないという条件で、期間としては半年から一年というのが一般的だ。その育成契約期間終了前に本契約となればいちばん美しい。もしそうならずに期間が終了した場合でも私は、アーティストが成長する可能性ありと判断できれば育成契約期間を延長する。もう一度チャンスを提供するのである。育成契約ができたからといって、デビューが決まったと思ったら大きなまちがいだ。私は、このアーティストはデビューできるという確信に近いものが感じられるまで育成契約はしないが、場合によってはアマチュアアーティストを、とりあえず押さえておこうというぐらいの気持ちで育成契約をする場合もないわけではない。その場合、いつまでたってもデビューの話が進まない、いわゆる飼い殺しという状態になってしまったり、より条件のいい契約相手が現れた場合にも、育成契約が足かせになって身動きがとれなくなるケースもある。また、応援してくれていたスタッフがほかの部署に異動になってしまい、契約だけか残ってアーティストの立場が宙に浮いてしまったという悲惨な例もある。社会のすべての場面に共通することだが、契約書に判を押すのはあくまで慎重にという姿勢は大切だ。社会人として、契約関係と契約書は絶対に必要なものだが、それは足かせになり牢獄にもなる場合があるということを自覚しておこう。こういった作業をしながら、レコード会社ではデビューに向けて、担当ディレクターやマネージメントなどのセレクトを進めていく。私は、所属するEMI本部のディレクターの仕事のキャパシティー(ディレクターの担当できるアーティスト数。諸事情によって差はあるが、一人あたり三アーティストが限界といわれる)、音楽的趣味・嗜好、また探しているアーティストのタイプなどを把握して、適任と思われるディレクターにプレゼンする。アーティストを紹介し、担当してほしいというオファーをする。ここで、自分が制作担当をしたいと申し出があれば、それ以降は私の手を離れ現実的なデビューへのプロジェクトがスタートしていくのだ。また、マネージメントを探すこともある。マネージメントとレコード会社は、アーティストを売っていく車の両輪だ。メジャー・デビューの際、信頼と実績のあるマネージメントがウチで引き受ける、との内諾を出してくれれば、ディレクターも制作担当を引き受けやすく、正式契約もよりスムーズに進めることができる。しかし、デビュー前になんらかの色がついていることが嫌われるケースもあるので、絶対に必要で有利なものだといえるものではない。これらのいわば準備期間は、最短で一年、長い場合は三年というケースもある。よく感じるのだが、私がライブハウスやコンテストでアマチュアアーティストに名刺を渡すと、「ついに俺も念願のデビューだぜ!」などというような期待に輝く目で見られることがあるが、それは大きなまちがいだ。それは、装備を整えて、ヒマラヤ登頂の登山口のさらに入り口に着いた、くらいに思ってほしい。ほんとうに大変なのは、頂上に向けて登山をはじめる、そのときからなのだから。
2014年12月26日:マーケットの二極分化
最近、ポップーミュージックのマーケットの二極分化ということを強く感じる。一つのタイプは、メディアの露出は地上波のテレビの音楽番組や国内ヒットチャート中心の第一FM局、そして一般雑誌などでの話題づくりとグラビア記事、店頭展開も国内資本のレコード店。広告もテレビスポッ卜、ストリートボード、ビジョンを展開。まずはタイアップでメガビットのシングルを作り、アルバムにつなげる。ライブ活動はブレイク以降におこなう。これらのアーティストは、音楽的には誰が聞いてもすぐにでも口ずさめるメロディーで共感できる歌詞。 評論家的な評価の対象ではないが、普遍的にこれはいい曲だなと思わせる楽曲の力かある(つまりよくカラオケで歌われそうということでもある)。そしてキャラクターは、女性なら若い、かわいい、きれい。男はいわゆるカッコいいというもの。もうひとつは、地上波のテレビには出演せず、露出はスカパーなどの衛星波。ラジオも洋楽がメインの第二FM。雑誌露出も音楽専門誌中心。タイアップもあまり積極的ではないし、宣伝もはでなことはしない、ポリシーの合わない雑誌の取材は受けないこともある。外資系のレコード店では積極的にプッシュされている。ライブハウスでデビュー前から活動をつづけ、インディーズでのキャリアもある。FUJIROCKFESTIVALなどの洋楽アーティストも出演するフェスティバルにもステージに立てるような演奏力や存在感がある。海外進出も視野に入れた活動をする。音楽的には音楽評論家も納得するだけのクオリティーとオリジナリティーと先進性がある。ただし、音楽的にわかりやすかったり、親しみやすくはない。キャラクターもいわゆるカッコいいとかかわいいとかいったものではなく、アイドル性は低い。どっちがいい、悪いとかの問題ではなく、このどちらにも入らないアーティストは、いまの音楽シーンのなかでは中途半端で、マーケティングやプロモーションの戦略が立てにくいのだ。十五年前なら前者ようなアーティストがメインストリームで、後者のアーティストはマニアックと片づけられたら、セールスには結びつかない。メジャーのレコード会社でも好き者のディレクターが会社に迷惑をかけない程度に地味にやっていたものだったが、Hi-STANDARDなどのパンク、NEEBRAといったヒでフホップ、三木道三といったレゲエの大ブレイクと、かってマニアックとカテゴライズされたジャンルがヒッタービジネスになる可能性をもつようになった。こういった音楽的に強いバックボーンをもったアーティストは、一度売れると連続してミリオンセールスとはならなくてもコアーファンを獲得して、何年かにわたって長く売れる。そして、レコード会社にとって財産となるアーティストになり、さらに会社のイメージーアップにもなる。前者は、時流にのれば、ミリオンあるいはそれ以上のセールスを狙えるが、いわゆる一発屋になる可能性もある。自分の信じた音楽に強い情熱をもち、自分の信じた音楽を作りたいのなら、わき目もふらず自分だけの音楽を追求してほしい。逆に、自分は音楽的なポリシーかどうのこうのということに興味はない、ただ多くの人に親しまれるいい曲を作りたいというのなら、前者をめざしてほしい。
2014年12月26日:二匹目のドジョウを探せ
二匹目のドジョウはなぜいつもいるのか。時代をひっくり返す天才アーティストが出てくると、必ず二匹目、三匹目、まあ場合によっては十匹目くらいまで同じ柳の下からドジョウが出てくる。スケールが大きくなると二十匹目くらいまで現れ、そうなると「ブーム」というものになる。三年前のビジュアル系、二〇〇〇年の女性R&Bディーバ系とメロコアのブレイク以降、多くの類似アーティストがマーケットにあふれた。宇多田ヒカル、椎名林檎、Hi-STANDARD DragonAsh、最近のブレイクーアーティストをいくつかあげてみたが、彼らのフォロワーとなるアーティストについて考察してみよう。アーティストにとっていちばん大切なことはオリジナリティーとポピュラリティーという僕の自論とは矛盾するのだが、デビューしてプロになりたいというアーティストは、自分のやろうとしている音楽に時代性があるかどうかをつねに考えるべきだし、それはデビューしたあとにもつきまとうことである。いつの時代も、あるアーティストがブレイクすると、そのアーティストと音楽性はもちろん、イメージ、プロモーション戦略、マーケティングがきわめて類似したアーティストが現れてくる。J-POPやロックでブームと呼ばれたものには、古くは一九七〇年代はじめのグループサウンズ、七〇年代前半のフォーク、八〇年代後半のイカ天、ホコテン、九〇年代なかごろのビジュアル系バンド、最近の女性R&Bシンガーなどがあげられる。そしていま、女性R&Bの次は男性R&Bだとばかり、多くの男性R&Bシンガーがデビューしている。安直な発想だと思うかもしれないが、この音楽業界の発想力はそんなものだ。現在、大きな成功を収めているのは平井賢とCHEMISTRYだと思うが、さらなる成功を得たのは、ゴスペラーズだろう。彼らもキャリアは長く、デビューは一九九四年、それなりのセールスと評価は上げていたが、いまひとつブレイクというまでにはいたらなかった。彼らはこのブームを好機とみて、デビュー当時はポップコーラスーグループとしてのイメージが強かったが、楽曲をよりR&Bテイストに、および学生サークルのノリ(事実、学生サークル出身だが)のビジュアルーイメージを、スーツやサングラスといった大人っぽいイメージにシフトーチェンジした。その結果、アルバムをミリオンーセールスにした。R&Bとはいっても、本来の欧米に近いスタイルを日本にそのままもってこようとしても、大きなセールスは期待できないだろう。日本のマーケッ卜に向けて、エスニックレストランが日本人客向きに味をアレンジするように、欧米のR&Bに比べて全体のメロディーをわかりやすくしたり、しっかりしたサビを作るなどの、いわばカラオケーマーケットを意識した作品作りをしなければならない。そういう意味では、本来はポップスよりだったゴスペラーズは、無理なく日本のマーケッ卜にフィットしたR&Bスタイルの作品を作れたのだろう。その結果、大きな成功を手にしたといえる。なぜ、音楽業界では二匹目のドジョウかあふれるのだろうか。まず、パイオ二アとなったアーティストがなぜ売れたかというと、大きな理由には、そのアーティストがデビューしたとき、ユーザーにとって音楽性や存在がすごく新鮮だったということがあるといえる。つまり、「いまの音楽、なんかつまんないんだよね」といっていた大衆の無自覚な欲求を満たしたから爆発的に売れたのではないだろうか。レコード会社の多くの人間は、その音楽が新しいということはわかっていても、最初からそれが売れるとは自信をもっていえない。ブレイクしたアーティストが、デビューのときにはスタッフやメディアから酷評されていたというケースはいくらでもある。しかし、現在のシーンにない音楽性をもったアーティストが売れるかどうか判断しろというのは、ディレクターやマネージャーの個人の経験と直感でしかない。スナックの新製品なら女子高生百人の試食で判断できるかもしれないが、アーティストか売れるかどうかは、楽曲はもちろんだけれども、時代とのタイミング、ビジュアル、イメージ、キャラクター、大衆のヒステリアが起きるかどうかなど、さまざまな不確定要素が加味されて決まる。だから、ポッフミュージックをユーザーに試聴させて売れるか売れないかわかるのだったら、こんな楽な話はない。つまり、かつてなかったスタイルの音楽が売れると、「こういう音楽をいま、大衆は望んでいる。だから売れる」と音楽業界人ははじめて気づく。そして、それに近いイメージや音楽性をもつアーティストを探す、あるいは売れ筋への多少の路線変更をアーティストに説得して軌道修正させ、「あれが売れたのだから、これも売れるだろう」という理論を成り立たせていく。メディアやディーラーも「いまの流行だから」とばかりに、そのジャンルであれば、それを絶対的な音楽性で評価するのではなく、ジャンルに属しているという相対的な評価をして、メディアが広く紹介し、店頭ではうずたかく積まれたりする。その結果がブームということになり、同傾向の無数のアーティストが、音楽業界人にも区別がつかないほどデビューするしかし、大衆はそれが臨界点に達すると突然飽きてしまい、「あんなブームもあったよね」と歯牙にもかけない。そして才能のあるいく人かのアーティストだけが生き残っていくのだ。二匹目のドジョウを狙ってブームに便乗することのすべてを否定はしない。僕はそれは両刃の剣だと思っている。たとえブームへの便乗でデビューしたとしても、才能がなければ長くは活動できない。ブームが終わるとともにいっしょに消えてしまう。その逆に、才能があってもデビューできず、誰にも知られず消えていったかもしれないバンドに、ブームなればこそのスポッ卜があたる可能性もある。当時は音楽的に未完成であったにせよ、「イカ天」では各審査員に酷評され、一週も勝ち抜けなかった。しかしその何年かのち、ビジュアル系ブームによってデビューし、誰も予想しえなかったほどの国民的バンドとなった。ビジュアル系というムーブメントがなければどうなっていたかは神のみぞ知るだ。たまというユニークなバンドがある。「イカ天」以前に僕はそのデモテープを聴く機会があり、音楽性はおもしろいけれどもメジャーでやるにはマニアックすぎると思っていたところ、「イカ天」出演でブレイクした。自分の音楽的才能に自信かあるのなら、ブームに便乗して自分を売り出すこともけっしてうしろめたいことではない。
2014年12月26日:新人のマーケティングは不可能か
「Originalコンフィデンス」、通称「オリコン」のチャートを、音楽業界の人間はつねに見ている。けれども、新人発掘を仕事にする私にとって気になるのは、順位より推定売り上げ枚数である。オリコンというのは、それまで現場担当者の勘に頼っていた音楽業界の市場調査に、はじめて科学的な数量調査を持ち込んだマーケティングの手法で、信頼度はかなり高い。そのチエックも、売れて当然といったブレイクアーティストはあまり気にせず、ブレイク直前のアーティストや、話題の新人の推定売り上げ枚数、チャートランクーイン期間をチェックする。そして、ラジオやスカパーのミュージックチャンネル、音楽専門誌が、どの新人に注目しているかを知っておく。評論家や音楽ライターに会うときも、私は「最近、気になる新人いました?」とよく聞く。外資系のレコード店の担当者が押している新人があれば、これもチエックは欠かせない。そんな知識をもとに、オリコンの売り上げ枚数を分析してみるのだ。そうすると「ジャパニーズヒップホップは、新人ならばこれぐらいの枚数」とはじき出せたり、「女性R&Bの新人というだけでは、もう枚数は稼げない」とか、「メジャー・デビューで十万枚は当然といわれたビジュアル系ももうだめか」と、さまざまな分析が成り立ってくるのである。そして、楽曲の良し悪し、アーティストのキャラクターの魅力を考えてみる。音楽は、電化製品や車のように、「すぐ暖かくなる」とか「加速がいい」などといった商品のクオリティーをわかりやすく説明できない。ほかの商品との差異化が歴然としていないのだ。「これはすばらしい」とどんなに力説しても「自分にはピンとこない」といわれれば、ビートルズもモーツァルトも、リスナーにとってはなんの興味もなくなってしまうという、きわめてパーソナルな商品だ。だがそこで、だからどうしようもありません、といってしまえば、私たちの仕事は必要なくなってしまう。新人のアーティストに会うときも、私はこの曲が好きだからいい、嫌いだからよくないという好き嫌いや感想を話すだけなら、素人の無責任な仕事になってしまう。だから私は、音楽を売る仕事をしている人間として、つねに「ヒットソングの理由」とは何かという疑問の答えを出してみたい欲求にかられる。音楽評論家が、芸術として、その作品がどうすばらしいかはうまく書けたとしても、商品としてどうすぐれているのか表現できていることはあまりない。例外としては、近田春男の「考えるヒッ卜」(「週刊文春」連載のエッセイ)がそういった視点で書かれていると思うが、それでも、完全に客観的に、音楽を商品として分析することは不可能かもしれない。私は評論家ではないので、理論化したり人に説明したりできなくてもかまわないと思っている。自分の感覚としてだけ理解できて、それを才能の発掘に生かせれば十分だ。そして、分析しようと思ったアーティストの作品の評価とセールスにたいして、自分なりに分析し、教訓を引き出す行為を繰り返していく。そうすると、アーティストのアルバムか発売されたとき、オリコン発表の推定売り上げ枚数と私の分析が当たったりはずれたりを繰り返しながら、だいたいわかるようになってくる。前置きが少し長くなったけれど、こういった訓練で身につけたデータ半分勘半分の分析手法で新人のデモテープを聴いたりライブを見て、その可能性を探ってみる。そして、さらに音楽それ自体の魅力ではなく、時代の流れというのも、つねに気にしていなければならないファクターのひとつだ。なぜなら、ポップソングであるかぎり、どんなにいい作品であっても時代にのらないとヒットにはつながらないのだ。女性R&Bシンガーも、いまのシンガーと同等、むしろそれ以上の魅力と歌唱力をもったシンガーがこれまでもつねに存在した(たとえば吉田美奈子)が、あくまでマニアックな評価とセールスにしかならなかった。いまやブームとなっている硬派な日本語ヒップホップも七、八年前から存在し、そのクオリティーもいまと変わらないすばらしいものだったが、メジャーのレコード会社が手を出すようなジャンルではなかった。メロコアと呼ばれるバンドもそうだ。その代表格のようにいわれ、六十五万枚以上のアルバムを売ったHi-STANDARDですら雑誌「rockinonJAPAN」(一九九五年八月号)の対談で「(バンドで儲けることは)基本的には無理だと思う」と発言しているのだ。この発言は、時代とシンクロしていない音楽をやりながら、かつそれで生活することがいかにむずかしいかを如実に物語っている。日本のロックのメイソーストリームとなったビジュアル系のロックもじつは一九七〇年代から存在し、「お化粧バンド」と呼ばれたりしながら、いまと同じように黒いレースで着飾った女の子をライブハウスに集めていた。それらのバンドは、メジャーからはまるで相手にされなかったので音楽史に記録されることはほとんどないが、現在のビジュアル系につながる源流となっているのである。このように、何年か前はレコードービジネスとして、見向きもされなかったジャンルが、なんらかの理由によっていつのまにか時代の寵児として躍り出ることかある。この風向きが、いつ、どのように、そしてなぜ変わるのかを見とおすというのが、私のような新人開発担当のスタッフにとっては、その新人の音楽的才能を認めるのと同じくらい大切なことだといえる。逆に残念なのは、すばらしい音楽なのに時代とシンクロしていないという理由だけで、マーケットから認められないだろうと予測されるバンドに出会うことだ。そしてそのバンドが、やはり日の目を見ることなく解散したという話を聞くと、複雑な心境になる。ジンクというバンドがある。サーバントに昭和歌謡をミックスしたようなすばらしいバンドだったが、やはり解散してしまった。インディーズからアルバムが出ているのでその音楽性にふれることはできる。ぜひ聴いてみてほしい。ここまで書いてきて、われながらせこい考えのいやな業界人だなあと思う。こんなことを考えていながら、私が本心から望むのはまったく逆のことだ。こんな、ちまちましたマーケティングなんかぶっ飛ばしてしまうような革命児が、突然現れることなのだ。チャートおたくのような方法論ではマーケティング不可能なところから突然天才アーティストが現れ、メジャーの単純な方法論をぶち壊して突然ブレイクすることが、不思議なことだが一定の周期ごとに起こっているのである。それは、私の個人的な体験では、ザーブルーハーツとウルフルズである。たまたま札幌で、デビュー前のザーブル―ハーツを見た。へた、汚い、幼稚。一九八五年当時の価値観で、いい意味での形容詞はひとつも見つからなかった。だが、そのピュアなインパクトは私を打ちのめした。その後、契約獲得のため、ツア ーまで追つかけていったことを思い出す。デビュー後の大成功は、いうまでもない。ウルフルズは一九九二年、バンドブームが終わった直後にデビューしたため、「バンド」というだけで、ほとんどのメディアから相手にされなかった。しかし、バンドの魅力を信じて、私はプロモーションをつづけていた。やがて、ライブの魅力とビデオのおもしろさで大ブレイクすることになる。いまだに、客が五十人もいないライブハウスではじめて彼らを見て大笑いしたことを思い出す。ゆずも画期的だった。それまで古くさいと敬遠されていたフォークを、それをリアルタイムでは知らない若い世代に向かって発信し、大きな支持を得た。私は当時、彼らのインディーズのCDを聴いたのだが、フォーク時代を経験している世代の私にはまるでピンとくるものではなかった。ただ、彼らは若さ、ルックス、キャラクターという強力な武器があり、それをもって時代遅れと思われていたフォークを復活させた。ただ、冷静にディテールを聴いていくと、コード感などは音楽的才能や同時代性を感じさせるものになっているのだが。DragonAshもそうだ。アンダー・グラウンドではそれなりの支持があり、三万枚程度のセールスもあったが、メジャーが手を出すジャンルであるとはいえず、一般的にはまったく知られなかったジャパニーズーヒップホップを一気にメジャーなものにした。それまでは、コワそう、とっつきにくいというイメージ、そしてカラオケで歌われることがヒットーソングに必要な要因であるにもかかわらず、歌いにくいラップというスタイル……、あらゆるマイナス要素を逆手にとり、「いま、これがカッコいいんだ」といいきり大ヒットさせるとは、デビュー当時のDragonAshを知る人間は予想しただろうか。メロコアの筆頭、Hi-STANDARD、まさかこんな音楽がオリコン三位になるとは誰も予想しなかった。歌詞は英語で、タイアーフはもちろん、テレビ出演なし、雑誌でもそれほど見ない。けれどもデビュー前の彼らに出会ってその可能性を見抜けたかどうか、私に百パーセントの自信はない。しかし私は、ヒットチャートを分析しながら、そんな分析をぶっ壊してくれるアーティストに出会いたい、という自己矛盾にあふれた日々を過ごしているのである。
2014年12月26日:イベンターについて
コンサートの広告や告知に「主催」と書いてある会社のことだ。会場を押さえ、チケットを販売し、場内を整理し、といったコンサートの運営をおこなうことがイベンターのおもな業務だ。しかしそれ以上に、アーティストの育成やプロモーションにおいて、ライブ活動はますます重要視されてきている。マネージメントやレコード会社にとって、イベンターと連携をとってライブの時期や規模、宣伝といったアーティストの育成プロジェクトを進行させることはますます重要になってきているのだ。そのため、イベンターがテレビやラジオの番組制作をおこなっていることもある。また、レコード会社によっては、地方での宣伝をイベンターに任せているケースもある。この地方のコンサートはこのイベンターでおこなうとなったら、レコード会社やマネージメントと同じで、コンサートごとにコロコロ変わるということはない。このアーティストのこの地方のコンサートはA社というふうにある程度固定される。また、有望なアーティストは各地方ごとにイベンター同士で興行権をめぐって争奪戦になるため、イベンターは、新人アーティストのプロモーションのいい機会となるイベントへの出演、その地区でのプロモーションープランの組み立てをおこなうことなどによって、そのアーティストの興行権の獲得を進めることもある。そして、将来的な興行権を獲得するため、イベンターが地方のアマチュアアーティストを応援して育成する場合がある。九州のナンバーガールのイベンターは、彼らがまだ福岡のアマチュアバンドだった時代から、その主催するイベントへの出演やインフォメーション・ペーパーへの掲載などを通じて彼らの活動を支援し、彼らが東京に拠点を移したいまも、九州地区担当のイペンターとなっているのである。これなどは実績というよりは、人間的な付き合いや交流の蓄積といったほうがいいかもしれない。レコード会社のスタッフも、地方で有望なアーティストがいるという情報を得ると、その地区のイベンターに問い合わせることが少なくない。どのイベンターにも、アマチュアーバンド好きな人間が一人や二人いる。マーケッ卜のナマの反応を日常的に見ているイベンターのスタッフの見識はむろん軽視できないのである。なにかの機会にイベンターと知り合いになることができれば、君の音楽活動の大きな手助けになるかもしれない。
2014年12月26日:音楽出版社
CDのクレジットや楽譜で○という表記を見たことがあると思う。これはコピーライトの略で、このあとに書いてあるのがその曲の出版権を預かる音楽出版社だ。音楽出版社は、音楽雑誌や音楽の専門書を出版する出版社のことではない(出版活動をおこなう場合もあるかもしれないが、それは音楽出版社の主要業務ではない)。JASRACから支払われた著作権料の二分の一ないしは三分の一をプロモートの代価として受け取り、残りを作詞・作曲者に支払うという業務をおこなっている会社のことである。つまり権利ビジネスが主要な業務と思っていいだろう。現行では、前述のマネージメントないしはマネージメントの系列会社が音楽出版社を兼ねている場合が大半を占める。また、テレビラジオでプロモーションをおこなう場合、あるいはその局で放送されるドラマの主題歌などの場合、放送局系の音楽出版社である日音(TBS)やフジパシフィック音楽出版(フジテレビ)、日本テレビ音楽出版、テレビ朝日ミュージックなどが管理にかかわることも多い。最近は音楽出版社が、将来的な権利の獲得のために積極的にアーティストの発掘をおこなったり、育成のためのオーディションを開催したり、オーディション番組の制作や、あるいはインディーズレーベルの立ちあげなどをおこなっているケースも増えてきている。こういった会社が原盤制作の費用を負担する場合、その会社のスタッフが原盤ディレクターという肩書でレコーディングの現場にかかわることもある。ライブハウスやコンテストで「××出版社」という肩書の名刺をもらっても、「楽譜でも出してるんですか?」なんてたずねて恥をかかないように。
2014年12月24日:日本がダメならいっそ海外デビューを狙え!
ケンイシイが自分のデモテープをテクノの有名レーベルであるR&Sに送ったところ、それが認められ、日本より先に海外デビューを果たしたというのは有名な話だ。日本では知る人ぞ知る存在だった少年ナイフが、ソニックユースなどが参加したトリビュートアルバムがアメリカでリリースされ、業界関係者を驚かせた。ギターウルフもアメリカデビューが先だ。コーネリアスは、アメリカの大きなレコード店ならたいてい置いてある。日本のアーティストに興味を示す海外のリスナーやレーベルは増えてきており、海外のレーベルからリリースしたり、ツアーをおこなう日本のバンドも増えてきた。テキサスのオースティンで毎年三月におこなわれる、おもに新人アーティストのプレゼンテーションの場となっているサウスバイサウスウェストという音楽イベントがある。ベックやシェリルクロウなども出演した名門イベントだ。このイベントに、全世界から毎年約八百のバンドが集まるが、ここ二、三年、欧米のバンドに交じって日本のバンドが出演するようになっている。僕はナンバーガールとともに二回参加したが、そのスケールの大きさ、すぐれたオーガナイズに驚いた。注目度はさらに高くなっている。そのほか二十ほどの日本人バンドが出演している。もし君がこのイベントに出演したければ、事務局にコンタクトをとって審査を通ればテキサスでのライブを経験できるし、それを見にきたレコード会社のA&Rが気に入れば全米デビューも夢ではない(そんなに簡単ではないが)。ニューヨークでガレッジラジオがおこなうイベントにも、毎年いくつかの日本のアーティストが出演し、アメリカで認められるチャンスを狙っている。こういった、日本のアーティストの積極的な海外進出も、インターネットの発達によって海外とのコンタクトが信じられないほど簡単になったという背景によると思う。君の音楽性が日本はもちろん世界にも通用するという自信があるのなら、あるいはマニアックすぎて日本のレコード会社やマーケッ卜では受け入れられないのではないか、と感じるならば、日本をあとまわしにして、海外のレーベルに売り込むという手もある。以前は自分の好きなアーティストのいるレーベルにやみくもにデモを送るぐらいしか方法はなかったか、いまはインターネッ卜によってとても簡単になっている。英語力と、海外にアピールできるという音楽性に自信かあるのならぜひトライしてみてほしい。
2014年12月24日:デビューはあせらずに
夢みる未来のアーティストであるあなたは、音楽関係者に送ったデモがさっそく認められ、マネージメントやレコード会社と契約が決まり、即デビュー。デビュー・シングルは莫大な宣伝費を投入されて大ヒット、一夜明ければロックスターだ、なんて妄想を描いているかもしれない。しかし私は、そんなイージーなプロセスでデビューしたアーティストは、あっというまにつぶれると思っている。音楽業界ではアーティストの実力もないのに、メディアの操作によってそのアーティストが、さもすごいかのように大衆に思わせ、ブレイクさせようとすることがある。そのいちばん有名な例はセックスピストルズだろう。彼らはパンクブームのなかで過激な話題だけが先行し、音楽性が語られることはなかった(実際は初期では、ちゃんとしたバンドだった)。そして、その一人歩きしたイメージにバンド自身がやがてつぶされていく。日本でいえば、「イカ天」ブームがそれに当たる。高い音楽性をもち、それ以降も活動をつづげたバンドもあるが、その多くは一瞬チャートをにぎわしたものの、ブームの消滅とともにあっというまに消えていった。一九九〇年にあるバンドを手がけたことがある。彼らは当時、いまはなき原宿のホコ天を活動の拠点としていて、ビートパンクとバブルガムポップの中間のような音楽を演奏していた。親しみやすいキャラクターでアイドル性も高かったため、つねに五十人前後のファンが取り巻き、ホコ天では一歩抜けた存在だった。ざんげの意味で告白するが、このバンドに目をつけた私は必死になって、メディアにたいして仕掛けまくった。その結果、デビュー直前のホコ天には八千人ものティーンの女の子が集まってパニック寸前。デビューシングルはオリコン三位にチャートーインした。けれども、それが彼らのピークとなってしまった。私のもくろみとしては、極端な例でいえばビートルズがそうであるように、たとえデビューのときはアイドル的な要素が強かったとしても、活動するうちに成長してちゃんとしたロックバンドになればいいと思っていたのだが、残念ながら楽曲のストックのなさや、演奏力の欠如によるクリエイティブないきづまりが、デビューして半年もすると現れてきた。ハードなスケジュールのため、そういった音楽をやっていくために必要な根本的なことをトレーニングする時間もとれず、状況は悪いほうに転がりだした。やがて、芸能界志向とロック志向の違いによるメンバーの対立、そして脱退。とりあえず食いつきが早いティーンの女の子をターゲッ卜にした宣伝展開をおこなったため、狙ったとおり黄色い歓声が客席を埋めるのも早かったが、冷めるのもあっというまだった。作品もリリースごとにセールスは落ち、三年後には解散してしまった。この件で私はひどく反省した。それ以来、アーティストはデビュー前にちゃんとした実力がなければ、多少はラッキーで売れたとしても、本物のアーティストとして成長したり、五年あるいは十年というスパンで音楽活動をつづけられるようにはならないだろうと思っている。だから私は、バンドであれば完成されたパフォーマンスができる演奏力があり、東京でならライブで二百人は集客できることが必要だと思う。それに加えて、二十曲以上、できれば三十曲のストックがほしい。それぐらいの実力がつかなければデビューするのに十分ではない。十年ぐらい前ならレコード会社も、とりあえずデビューさせてプロモーションし、雑誌に記事でも出ればライブにも客が入るようになって、パフォーマンスも一人前にできるようになってくるだろう、そしていい曲ができるもできないも時の運だから、三年以内にセールスの結果を出してくれればいい、というような考え方もあったが、いまはそんなのんびりしたことでは通用しなくなってきた。レコード会社も、デビューして一年後には投資にたいしてどれだけの利益を上げたかという結果を判断する。ある程度のセールスを上げなければ二年目には制作費や宣伝費が大きくカットされるということもあり、そうなれば状況は悪循環。いい曲ができても、満足できる制作費・宣伝費はもらえずに、それは幻の名曲になってしまう。私も職業柄、どんな新人がデビューしているか、雑誌やスカパーなどでチェックすることは多いか、いい評判も聞かないし、自分がライブを見てもまだまだと感じるようなバンドがデビューしてしまっているのを目にすることがある。その後の、そのバンドの動向をチェックしてみても、活動が軌道にのっているという話はあまり聞いたことがない。つまり、実力不足のまま売り出されたというわけだ。ラジオで聞いた、ビデオを見た、雑誌でほめていた。以前なら、メディアがとりあげているのだからいいバンドにちがいない、とだまされるファンもいたのだけれど、これだけ豊富な音楽情報があふれかえっているいま、ユーザーも耳が肥えてきている。インターネッ卜携帯などもかつてのマスメディア並みの影響力をもっている。以前のようにユーザーがメディアに踊らされるようなことはもはやなくなってきた。レコード会社がアーティストの実力以上の宣伝をしてしまう。結局それはバンドをつぶすことになると私は思っている。実力以上の評価を受けたり宣伝をされたとしても、いずれメッキは簡単に剥がれてしまうのだ。そして一度良いイメージをもたれてしまったのなら、それを超えて評価を受けるのには、よりいっそうの時間がかかる。たとえば、イカ天への出演がきっかけとなって注目を浴びたあるバンドがあった。当時としては画期的なラテン、アフリカ音楽を取り入れた高い音楽性、そして年齢に似合わない高度な演奏力をもっていた。彼らは、たとえテレビ番組出演がなくても十分評価されたと思う。しかし、テレビというメディアは両刃の剣だ。知名度はたしかに上がったが、音楽性への評価はなく、若さ、ルックスというアイドル的な部分だけがフューチャーされて客席はティーンの女の子ばかりであり、最後まで正当な評価は得られないまま解散してしまった。デビューはアーティストにとって一度しかない。これに失敗すると取り返すことはすごくむずかしい。十分な実力がないままに、あるいは本来評価されるべき部分ではないことがクローズアップされてデビューし、失敗すると、マイナスからの再スタートをしなければならなくなる。あなたが、アーティストとしての人生を送りたいのならば、デビューというオイシイ話があったとしても実力が十分ではないと思っていたら、もう少し考えることは時間のむだではないはずだ。
2014年12月24日:デモテープの送り方
私よく就職のときに使うような履歴書を同封してくる人もいるが、あれはナンセンス。私が知りたいのは、まずは名前、連絡先、年齢、活動状況(ライブースヶジュールなど)、影響を受けたアーティストぐらいだ。さらに、どういう活動をしていきたいか、どういうアーティストになっていきたいかなど、それらを簡潔に書いてくれるとうれしい。写真は、全身とバストアップ(胸より上)のスナップでかまわない。たまにプロカメラマンにでも頼んだんじゃないかと思うようなポーズをキメた自意識過剰なものが入っているケースもあるが、デビューすることになれば、プロのクリエーターがいくらでもイメージを作ってくれる。アマチュアの段階では、できるだけ素なビジュアルを見たいと思っている。演出過多では素顔を見ることかできず、可能性を判断できないのだ。私たちはマーケッ卜ではなく、スタッフなのだから。余談だが、自分の部屋の機材やCDコレクションの前で撮った写真が送られてくることがある。その写り込んでいるもろもろから推理ができておもしろいことがある。連絡先は封筒やケースそしてインデックスにも、電話番号と名前だけはしつこいくらいに書き込むこと。うっかりプロフィールとデモテープを分けて置いてしまったら、そのテープはもう迷子だ。無記名のデモテープがどんなによくても連絡のとりようなし。あわれデモテープはしかたなく不燃ゴミと化すわけだ。そのあいだに君は、レコード会社からの連絡かないため意気消沈して音楽活動をやめてしまっているかも(ちょっとオーバーか)。歌詞をつけてこない人もいるが、ぜひつけるようにしてほしい。歌詞がどんなものか読みたくなることもあるし、歌詞にはその人のセンス、人間性、思想、音楽にたいする姿勢が、ごまかしがなくあらわれるので、そういった部分も歌詞でチェックしたいのだ。こまかいことだが、バンドの場合、作詞者・作曲者が誰かも忘れずに。送る封筒は、べつにこれといった決まりはないが、スポンジで内容物をガードできる封筒が市販されているので、そのほうがベターだろう。返信用の封筒や切手を同封して送られてくるものもあるが、これは必要ない。プロの感想を聞きたい、という気持ちはわかるけれども、私は才能ある新人を発掘するのが仕事であって、アマチュアのデモテープを添削するのが仕事ではないのだから、可能性や才能を感じなければ連絡はしない。逆に、ピンときたら速攻で電話する。私のところに送られてくるデモは一日約十通前後、一週間で五十通、一ヵ月百通で一年千二百通にもなる。せっかく送ってもらって申し訳ないとは思うのだけれども、可能性を感じないアーティストに手紙で感想を送るようなひまはないというのは理解してほしい。だから、一ヵ月もたって連絡がなければ不採用と心得てほしい。私たちは送られてきたデモをいちおう全部聴くには聴くが、ほとんどは1コーラスで、これ以上聴く価値はないと判断し、ストップを押す。もちろん、ひどいものだと一小節で終わりのものもある。敗者復活戦はない。入っている全曲を聴くのは、週に一本、あるかどうかだ。このなかでとりあえず電話をしてコンタクトをとるのが1ヵ月に三人。すぐにでも会おう、ライブを見に行こうというのが二ヵ月に一人。そして一定の育成期間をへてデビューできるのが年間3アーティストといったところだろうか。単純に計算して四百分の一の確率だ。デモを聴く作業というのは、精神的にも疲れる仕事だ。正直なところ、そのほとんどはクオリティーが低く、そういったデモを聴くのは、なまじ音楽好きなだけにひじょうに苦痛を感じる。それにデモというのは、作った人の怨念でもこもっているのか、たまったデモを一時間くらい聴きつづけていると、ずっしり肩が重くなってくる。それでもどこかに明日の音楽シーンをになう天才がいるはずだと思って、毎日封筒を開けている。お願いだから、私を狂喜乱舞させるようなデモを送ってくれ。イントロが終わり、歌がはじまる。ここがまた関門。歌のピッチが悪すぎるとここでストップ(ストップしてももう一度スタートすることはない。ストップということはデモテープとしては一巻の終わりということだ)。これがほんとうに人に聴かせるレベルなのか、人間というのはこうも自分を客観視できなくなるのか、と驚くこともしばしばだ。次は声質。こればかりは親を恨むしかない。歌のじょうずへたではない声質の魅力というのは生まれつきでどうしようもないが、自分の声質に合った音楽を選ぶということもできる。たとえば細野晴臣は自分の声と歌唱力に悩んでいたそうだが、ジェームステイラーを聴き、自分もこれならできると思ってボーカルスタイルを確立していき、名盤『HOSONOHOUSE』を作ったというのは有名な話だ。声はまるで融通かきかない楽器ではあるか、自分の声質や歌唱力を客観的に判断し、逆に誰にもまねできない表現の道具として、オリジナルなものにしていくことができた好例だと思う。
2014年12月23日:音楽業界でのディレクター
レコード会社でまず君のいちばん近くにいるのは、ディレクターないしはA&Rと呼ばれる人だ。コンテストで優勝しても、新人発掘セクションの人間やマネージメントがどんなに君の才能をほめてくれても、レコード会社の制作担当者であるディレクターが「こいつはイケる」と思わなければレコードデビューはできない。彼らが君の才能を認め、「こいつのレコードを作りたい」と思ったら、君とレコード会社やマネージメントのあいだに入って、アーティスト印税、原盤印税、契約期間、活動援助金といった契約の諸条件をまとめる。無事に契約が成立すれば、君をどんなアーティストとして育てるのかというコンセプトを考える。そのためには、どんな作品を作ればいいのかといったアイディアを出し、君自身のビジョンや作品のイメージを聞き、それを具現化するために、会社と交渉して必要な予算を獲得し、アレンジャー、プロデューサー、エンジニア、スタジオなどをセレクトし、スタッフのスケジューリングとギャラなどの交渉をする。その過程で、アーティストとはクリエイティブなやりとりをしていく。そしてレコード会社の社内では、君のデビューに向けた根回しをおこなう。会議を開き、宣伝・販売営業スタッフにアーティストや作品のコンセプトを説明して宣伝・販売の戦略を考える。以前はミュージシャンとしてのキャリアをもつディレクターも多く、へたな新人より楽器もうまく楽譜も読め、アーティストと徹底的に詞、曲、アレンジをやりとりする人もいたが、最近の傾向としては、おおまかな方向性は決めるが、こまかいスタジオワークはアーティストの意向を尊重し、プロデューサーを立てて任せるといった傾向のディレクターが増えているように思う。一九八〇年代まではレコード会社の担当ディレクターがレコーディングのあいだじゅうスタジオにいて、すべてにわたってディレクションするというのが日本のレコーディングの基本的な進め方だった。しかし、音楽のジャンルの細分化や、生演奏に代わってコンピューターによる打ち込みがトラック作りの主流になってきたこと、また九〇年代のプロデューサーブーム以降、レコーディングを任せられるフリーのプロデューサーも増えてきたことなどにより、レコーディングはプロデューサーに任せ、スタジオには必要なときしか行かないというディレクターも増えてきている。これはなにも手を抜いているのではない。欧米の場合、レコード会社の人間はスタジオにはめったにこないし、レコーディングを仕切ることも例外的だ。むしろアーティストの側が、スタジオにレコード会社の人間が来るのをいやがるという傾向もあるようだ。私自身、以前TOT0のレコーディング現場で、レコード会社の人間が来るのをメンバーがとてもいやがっているのを見たことがある。欧米でレコード会社の人がうとまれるのは、途中経過を聞きもせず、ミックスをやりなおせ、曲がよくないからシングル用の曲を新たに作れといった注文をつけたり、ひどい場合はできあがったアルバムをボツにしたりということもあるからだ。それはなにも新人アーティストに限ったことではない。カーペンターズのカレソカーペンターやビーチーボーイズのブライアンウィルソンなどの大物ですら、A&Rとのバトルを経験している。私もあるバンドのイギリスでリリースされるアルバムのレコーディングをしているときに、レコード会社のA&Rのいうとおりにしていると、レコーディングの予算がなくなるから気をつけろとマネージャーにいわれたことがある。いま、日本ではレコード会社のディレクターのあり方というのは、大きく変化しているさなかだといえるだろう。流れとしては、欧米式にスタジオワークはプロデューサーに任せ、自分はそれ以外のプロモーションや社内調整といった仕事をおこなうというふうになってきている。だが、そうはいっても、欧米のように十分にセレクトできるほどフリーランスのプロデューサーがいないというジレンマもかかえている。また、欧米的なビジネスとしてわりきったディレクターとアーティストの関係も日本の精神風土に合うかどうかは疑問である。現在のところ、日本ならではのディレクターシステムのあり方を、レコード会社自身が模索しているといったところだろうか。また、ビジュアルのイメージやジャケットのデザインもレコーディングと同じようにディレクターが仕切っていく(宣伝担当者か受け持つレコード会社もあるようだ)。ディレクターとの相性についてこれは、なかなかむずかしい問題だ。うちの会社でも、あるいは他社でも、実績はもちろんポリシーのとおった仕事の仕方で尊敬できるディレクターは何人もいる。この作品、この人のディレクションがアーティストに大きく反映されているなと感じられることもある。逆に、これはディレクターが手抜き仕事をしているなと感じてしまう場合もある。デビューから十年、同じディレクターというケースもあるが、作品ごとにディレクターが代わるというアーティストもいる。それは会社の人事異動で担当が代わってしまうこともあるし、アーティストとディレクターの相性が合わずに交代することも少なくない。極端な例では、あるアーティストが移籍したばかりのとき、自分のディレクターを決めるのに日替わりでディレクターをスタジオに呼んで、逆オーディションをしたというケースもあった。あるアーティストからあるいは半年ごとにディレクターがNGを出されてしまったため、そのセクションのディレクターが底をついてしまったというようなこともあった。アーティストとディレクターが強い信頼関係で結ばれていて、その関係性が外部にも伝わってくるアーティストも多い。インタビューなどでブレイクしたアーティストが、「いまの自分がいるのは、そのディレクターのおかげです」と言ってくれることは、ディレクター冥利につきる。逆に、ある新人バンドがディレクターと考え方が合わなかったため、レコーディングした音源はボツ、バンドは活動がいきづまり解散してしまったという話を聞いたこともある。では、どうすればいいのだろうか。音楽業界ではよく、性格のいいアーティストは売れないといわれている。むしろスタッフに厳しかったり、うるさいアーティストのほうが売れるという傾向もある。それは、売れるアーティストほど自分の作品はもちろん、その宣伝方法などにたいして強いこだわりをもっているからだ。そして、それが自分の意志や意図に反しておこなわれた場合は、見のがさないし、許さないという姿勢が徹底している。それが作品のすばらしさや説得力につながっているということだろう。そういったアーティストは当然、ディレクターを含むスタッフとつねに密なコミュニケーションをとっている。ディレクターとアーティストは馴れ合いの人間関係ではない。妥協のない徹底したコミュニケーションをもとう。作品のこと、レコーディングのこと、ビジュアルのことといったクリエイティブなことはもちろん、自分はどんな人間なのか、どんな価値観で生きているのかをできるかぎりディレクターに伝えなければならない。そういうことが、ディレクターといい関係をもつためには絶対に必要だ。それを繰り返すことでディレクターとアーティストに信頼関係が生まれていい人間関係が作られれば、それは成功への第一歩ともいえるのだ。
2014年12月23日:年齢と音楽的才能の相関性について
音楽をやる上でやはり年齢は重要なポイントとなる。なぜなら、音楽的な才能の成長、完成、円熟、衰退というのは、なぜか肉体の能力を要求されるスポーツ選手のキャリアと似ているからだ。スポーツと同じで若いときほど才能が伸びる可能性が高く、そのスピードも早い。十代のアーティストの場合、二年も付き合うと驚くほど音楽性が変化して成長する場合があるが、二十代なかばで出会ったアーティストの場合、たとえ作品がよくなってきたとしても、どこか自分の完成してしまった才能やスタイルの枠内で作品か作られるような気がする。それはすでにスタイルの完成を見て、円熟していくということなのかもしれない。十代で出会う「完成前の」アーティストは、数年をかけてスタイルの革新を経験し、その振幅も大きいというのが私の経験だ。だから、かりに同じようなレベルの曲であったとしても二十歳の人の作品と二十五歳の人の作品では、聴こえ方がまったく違う。絵画、文筆、演劇、映画といったほかの芸術のジャンルでは、晩年に入って才能が開花する例がいくらでもあるが、音楽の才能はなぜか肉体の成長と衰えがリンクしていると思う。これはスポーツ選手にあてはめるとするならば、野球選手に近いのではないだろうか。野球はサッカー、水泳、体操といったスポーツとは違い、肉体の衰えをある程度技術でカバーできる。すぐれた選手は、十代後半でぬきんでてくる。二十代なかばで肉体的にも技術的にも完成し、三十代なかばまでは肉体の衰えを技術の習得でカバーしてもちこたえるが、そのバランスが支えきれなくなる三十代後半に引退というパターンが多いのではないだろうか。ミュージシャンもクリエイティブなピークは二十代なかばから三十歳前後、才能のあるミュージシャンが三枚目、四枚目くらいに名盤、マスターピースとなるアルバムを作るというパターンが多いのも、年齢と関係があるだろう。したがって、三十代前半ではすでに円熟期に入っている。この時期も、自分の持ち味を生かした、その人でしかできない味のある作品を作るということはあるけれど、若いころのような感性が飛び散り、輝くような才能ではなくなっているケースか多いように感じる。一年に二枚、あるいは二年で三枚といったペースで作っていたアルバムのローテーションもしだいに長くなるといったぐあいで、つまりクリェイティビティーは徐々に低下している。そのうち、いつ新作が出るのかといったインフォメーションもなくなり、いつのまにか音信不通になるケースも多い。ミュージシャンは野球選手と違って、宣言して引退ということはない。そして、いつのまにかレコーディング契約はなくなり、裏方だったり、まったく別の生き方をするようになるのである。しかし、逆に松任谷由実や桑田佳祐のようにキャリアニ十年を超えて自己最高のセールスを生み出す怪物もいるし、スガシカオという三十歳でのデビューやクレイジーケンバソドと四十歳を超えて成功したアーティストもいて、この年齢と才能の相関関係がすべてにあてはまるわけではない。もうひとつ、私が年齢を気にする理由は、ジャズやクラシックではなく、ポップス、ロックであるかぎり、基本的なマーケットやファンのメインはミドルティーンから二十代なかばだという事実である。これはこの四十年間変わっていないし、今後も大きくは変わらないだろう。年齢が近いほうがファンはアーティストに親近感をおぼえるし、アイドルではないとしても、アーティストは異性リスナーの仮想恋愛の対象とならざるをえない。そうなることによってこそ作品を売ったり、ライブの集客をはかるのである。それはなにも姑息な手段でもなんでもなく、ビートルズ、ローリングーストーンズでさえそうだった。そういったマーケットヘのアプローチは、ポップミュージックとは切っても切り離せないし、無理に否定するほうがむしろ不自然だろう。それを考えると、そのアーティストとファンの年齢層の重なりはどうしても必要なことだといえる。同じ音楽をやっていたとしても、リスナーにとって近しい年齢層のアーティストのほうが、作品の聴こえ方やその存在感が違ってくる。小説家のルックスや画家の学歴は、作品の評価や魅力にはほとんど影響しないし、そんな些細なことをとくに気にする人はいない。まずは作品世界があるのだ。そもそも音楽業界のように、新人の作家をビジュアルで紹介するような雑誌もメディアも存在しない。ゴッホにしろ、三島由紀夫にしろ、まず作品世界、そして作家が一定のポピュラリティーを獲得してきてはじめて、そのパーソナリティーが広く知られることになるのである。しかし、ロックやホップミュージックは、どこの、どういった、何歳の人がやっているのかというのが、場合によっては音楽そのものと同じくらい重要なファクターになってくるのだ。かりに小沢健二が名家の出身で東大卒業、若さとルックスを兼ね備えたアーティストでなかったとしたら、音楽業界における彼のポジションはちょっと違ったものになったかもしれない。話が少し横にそれた。最近は、デビューしてから息切れしないように、作品のストック、ライブ活動など、デビュー前の育成期間を最長で三年とるケースがある。さらに、デビューしてからも、テレビの大型タイアップなどに頼らないアーティストの場合、ブレイクまで二年あるいは三、四年かかるケースもめずらしくない。もちろんブレイクしないまま消え去るアーティストのほうか圧倒的に多い。多くのアーティストがブレイクを夢みて下積みの音楽活動をおこなっているのだが。つまり、新人アーティストがスタッフに出会ってデビューするまで最短で一年半。ブレイクするまで二年とした場合、二十四歳で出会ったアーティストは、ブレイクしたときは二十八歳。三十歳前後のクリエイティブな頂点は目前になってしまうし、十代のファンからは距離を感じられるということにもなりかねない。日本人は、世界中でもとくに年齢を気にする人種なのだろうか。女性週刊誌、ゴシップ誌に書かれるタレントの名前の下には必ず年齢が書かれているし、仕事相手でも年齢を聞いてはじめてなにか安心できるような気がする。年齢を聞くのは欧米ではエチケッ卜に反するのかもしれないし、エイジズムといって人種差別などと同様に禁忌のひとつになっているのかもしれないが、アメリカでは、そもそも年齢のことなど、あまり気にしていないように感じる。ちなみに手元にアメリカのゴシップ誌があり、それは「あの人はいま」といった特集なのだが、それですら年齢は書かれていない。この日本の国民性はなんなのだろう。知っている人がいたらぜひ教えてほしいのだが。いまだにアーティストの年齢詐称が多いのは、こういった背景があるからではないだろうか。これを読んでくれている二十歳前後の君、時間というものはたっぷりあるようで、じつはない。ミュージシャンになりたいのなら、むだな時間を過ごすのは禁物だ。伸びるうちに自分の才能に磨きをかけよう。君が二十代後半でも、洋楽に負けないクオリティーのある作品を作れるアーティストなら、可能性はある。以前は二十代なかばを超えると音楽ファンは洋楽を聴くようになり邦楽は聴かなくなるといわれたものが、いまでは邦楽のクオリティー・アこフで、三十代でも邦楽を聴く層は広かっていて、マーケッ卜は成熟している。しかし、レコード会社の契約のハードルが年齢とともに倍、また倍と高くなることは承知しておこう。若者の可能性にかけたい気持ちは、どんな業界にも共通してあるものなのだ。
2014年12月23日:魅力的なボーカルとは
いうまでもないが、魅力的なボーカルと、技術的にうまいボーカルとは違う。「うまい」とは、声域が広い、声量がある、どの音域でも声量が変わらない、音程がいい、リズムがいい、フェイクが巧みに操れる、声質が美しい、ということになると思う。私のところにも、そういう意味で歌がうまいデモが送られてくることがある。しかし、聴いていて、なんのおもしろみもないことも多い。音楽はスポーツや工業製品ではない。数字でその良し悪しは計れない。歌手の魅力も同じだ。歌はへただが魅力的な歌手は多く存在する。たとえばカヒミカリイ。声量はない。音程、リズムも不安定なのは一聴すれば瞭然だ。けれども、そのウィスパーは空気の色やにおいまでもアンニュイなムードに変えてしまうほどの力がある。ちなみに彼女のボーカルースタイルのお手本の一つはジェーツバーキッだ。彼女の歌声も時代を超えて愛されているが、けっして音楽的にうまいわけではない。小山田圭吾、そして一時は彼とパートナーだった小沢健二も魅力的な歌手ではあるが、技術としての歌はうまいとはいえない。松任谷由実がデビューしてすぐの荒井由実時代、NHKのオーディションで落とされたのも有名な話だが、いわゆる技術の歌唱だけをチェックされたのだと思う。ルーリード、ニールヤング、Jマスキス、森高千里、ブライアンプエリー、ジョージハリソン、アストラッドジルベル卜など、異論もあるだろうが、技術としての歌唱力は優れていなくても、彼らはきわめて魅力的な歌手たちだ。声がきれいという点はロックの場合は、まったく関係がない。ボブディラン、ジャニスジョップリソ、ロッドスチュワート、ジョンライドン、カートコバーン、リアムギャラガー、忌野清志郎など、けっして美声とはいえない。さらに木村充揮、トムウェイツなど、極端なダミ声の名シンガーも存在する。もちろん歌唱力がなくても、声が悪くてもいい歌手かというと、そうではない。たとえばR&B、ハードーロックといったジャンルでは技術的な歌唱力は絶対に必要だ。アイドルポップスやオペラ、あるいはヒーリングミュージックでは悪声や、ダミ声は、あまり合わないと思う。では、どう考えればいいのだろうか。歌は当然、どんなジャンルであってもうまいほうがいいに決まっている。音域が広がれば歌える曲が増える。ピッチやリズムがはずれているのは音楽的にいいことではない。話は多少ずれるが、日本は歌の魅力よりも、かわいかったり、美男子だったりする、いわば「アイドル」であることがヒットを作るために重要だ、という悪しき伝統がある。以前に比べれば減った(あるいは機材の発達でごまかせるようになった)が、これでいいのかと思うようなへたな歌手の曲がヒットしていることがいまも多くある。欧米ではアイドルでも、歌えて踊れて当たり前だし、アジアのシンガーも歌がうまいのはまず大前提で、さらにルックスもよくなければ売れることはない。前述のアイドルの伝統、そして音楽を鑑賞するのではなく、カラオケで歌うために聴くというマーケットの構造があるからそれも許されるのかもしれないが、こんな歌手のレベルが低い国は世界中探しても日本だけなのではないか、と思ってむなしくなることがある。閑話休題。まず、声質に個性と魅力があるかということが重要ではないだろうか。前述の名ボーカリストたちは、好き嫌いはともかく、一度聞いたら忘れられないほど印象的な声の持ち主だ。これはやはり、先天的な要素がほとんどだと思う。努力で根本的に変わるものではないだろう。けれどもあきらめるのは早い。人は自分の声を客観的に聞くことができない。誰しもはじめて自分の歌を録音して聞いたときの違和感と、たまらない気恥ずかしさを経験したことがあると思う。ふだん聞いている自分の声は、空気をとおらず耳に直接響いているため、実際に他人が聞いているものとは大きく違っているのだ。事実、自分の声が嫌いだったり歌唱力に自信がなかったというシンガーは、椎名林檎やドナルドフェイゲン、エリッククラプトン、細野晴臣をはじめ少なくない。ある有名ボイストレーナーが生徒に最初に教えることは、自分で自分の声を好きになることだといっていた。自分では、ひどい声だと思っていても、第三者が聞くと魅力的であるということがあるのだ。さらに、声の好き嫌いは理屈ではない。嫌いだから嫌いだし、好きだから好きとしかいいようがない。私も人気があって音楽的にすばらしいのはわかるけれど声が好きではないのであまり聴く気がしないアーティストはいる。むしろ、中途半端にいい声といわれるより、好き嫌いがはっきり分かれるくらいのほうが大きく支持される可能性があると思う。だから、声に特徴があるというのは、中途半端に声がキレイだねといわれるよりも、いいことだと思うのだ。どんな曲を歌ったとしても、そのシンガーだとわかるような個性の強い声は絶対に強い武器になる。まずは自分の声を客観的に聞く耳をもってみたらどうだろうか。そこにいままで気づかなかったボーカリストとしての可能性が潜んでいるかもしれない。趣味で好きな音楽だけを歌っていたいのならべつだが、自分の声を客観的に聴いて、その声質にいちばんフィットし、歌唱力に適合した音楽性を志向することは、プロをめざすならば必要ではないだろうか。あるポップス系のシンガーが、自分がレッドツェッペリンのロバートプラントのように歌えたらハードーロックをやっていたのだけれど、声質がソフトなので、よりホップなものにシンガーとしての自分を見つけたというようなことを言っていた。自分の声質とやりたい音楽とがうまく折り合うポイントを見つけることも自分のオリジナリティーを作りあげることになっていくと思う。
2014年12月23日:音楽の為に映画を見よう
私は、アマチュアのアーティストに、映画を見るかどうかたずねてみることがよくある。全然見ないといわれると、べつに顔には出さないが、内心がっかりする。全然見ないと答えるアーティストが意外と多い。映画は、総合芸術といわれるように、映像、演劇、美術、音楽、すべてが凝縮されている芸術の一分野である。アーティストにとっても映画は、アイディア、イメージの宝庫といってもいいはずだ。それなのに、それにふれようとしない、興味がないというのは、感性や知的好奇心に欠けるのではないか、と思ってしまうのだ。映画だけでなく絵画や文学などにもまったく興味を示さない、狭い意味での音楽だけに没頭している人もいる。だが、プロのアーティストには意外と映画好きが多い。音楽の話はそんなにしないくせに、映画の話ならひと晩中でもできるというような人もいる。統計をとったわけではないが、映画好きを公言しているアーティストの作品は、イマジネーションに富んでいるような気がする。いわば絵画的というか、情景描写がビジュアライズされているのだ。映画フリークとして知られるアーティストとしては、ムーとフイダーズの鈴木慶一、小西康陽、特撮の大槻ケソヂなどが思い浮かぶ。椎名林檎は、ピータークリーナウェイというかなりマニアックでカルト的な監督を、尊敬してやまないクリエイターとしてあげている。石井竜也、小田和正、桑田佳祐、泉谷しげる、あがた森魚、意外なところではモッズの森山達也…、彼らは映画志向がこうじて映画監督まで務めた経験をもつアーティストだ。ナンバーガールの向井秀徳は、高校時代に映画監督をめざしたが、いまでも「男の野望として映画を撮りたい」と発言している。私は、アーティストというのは、自分の受けた感動をエネルギーにして自分の作品を作り、吐き出すものなのではないかと思っている。だから、感動を受けることにたいして貪欲であるべきだし、それで受けた心の芯の部分の感動をもとにして作品を作らなければ、それは小手先の手癖で作ったようなものになるのではないか、とも思う。そして、アーティストの才能とは、取り込んだ感動を、どう自分というフィルターで濾過して自分のオリジナルとして出せるかだと思うのだ。自分の作品を作り出すモトネタとして、ほかの芸術、あるいは実際の恋愛、そしてさまざまなできごとがベースになることはあるかもしれない。しかし映画はもっとも手軽に体験できる。見ない手はないはずだ。
2014年12月23日:イメージートレーニングをしよう
自分は音楽的にどういう資質をもっているのか、将来、どういうアーティストになりたいのかを考えてみたことがあるだろうか。松任谷由実、小沢健二、平井堅といった自然にオシャレなアーティスト。浅井健一、宮本浩司、甲本ヒロトといった、動き、言葉、すべてからカッコよさがにじみ出るアーティスト。吉井和哉、椎名林檎、清春といった、確信犯的に自己演出をしているアーティスト。草野正宗、奥田民生など、ふつうのまま、なんとなくカリスマになってしまったアーティスト。どういうアーティストになりたいかをイメージすることが、その音楽性を確立していくうえで重要になってくる場合がある。私にデモテープを送ってくれたことがきっかけになりデビューした人がいる。最初に聴いた印象では、クオリティーはあるが、耳障りがよすぎて、ラジオでかかったとしてもリスナーに印象を残せない、音楽性の高さに比べると楽曲がやや若年層向けなのではと感じた。私が彼らにしたアドバイスは、デビューして三年後、クリスマスに中野サンプラザでサラリーマンとOLのカップルがデートでこられるようなライブをやるグループになることをイメージする、ということだった。夜十時ごろのJ-WAVEで流れるような、車で聴くといい感じになる曲を書こう、とも言った。その結果、彼らの音楽は、少しアダルトに向けたものにシフトし、グループの個性も出てきたように思う。その後しばらくして、プレゼンテーションのライブを業界関係者向けにおこなって、三社のマネージメントが契約のオファーをしてきた。何をどうイメージするかは、アーティスト、バンドの音楽性によってさまざまなのでここでは一概にはいえないが、バンドだった場合、たとえば、半年後には百人の客を集められるようにしようと目標を決めてみるのはどうだろう。そうすれば、そのためにはどうしたらいいのか、どうなればいいのかというのが少しは見えてくると思う。それがクリアできたら、次は三百人を集めるにはどうしたらいいだろうと考えればいい。つまり目標とかコンセプトとか、そういったことをイメージに集約してみるのだ。○○のようなアーティストになりたい、というのもある。それを追い求めていくと、当然、別の人間なのだからなれるはずはないという結論に達する。それがわかったとき、自分がどういうアーティストになるべきか、ということもわかるのではないだろうか。音楽性ではなく、どのような活動をしていくアーティストになりたい、というのでもかまわない。自分のイメージがしっかりしているアーティストは、私たちスタッフもアドバイスやディレクションが具体的になってやりやすい。ビジョンがしっかりしていると言い換えてもいいかもしれない。メジャーデビューしても、ヒットを出すにはどうするか、ヒットを出しつづけるにはどうするか、そのころにはアイディアをスタッフが出してくれるという状況もあるだろうが、自分がどうしたいか、どうなりたいかという考えとビジョンのないアーティストは、お人形さんのアイドルならともかく、アーティストとしては失格だと思う。スタッフもアーティストに触発され、その相互作用でアイディアが出たり、ビジョンが見えてくるものなのだ。いまのうちから、そんなことも考えてみたらどうだろうか。多くのスターが無名時代からイメージトレーニングを積んでいたという事実はあちこちで耳にする。けっしてむだにはならず、そして簡単に、しかもタダでできるトレーエング法である。
2014年12月23日:音楽的才能を手に入れる
音楽的才能とは先天的なものなのか、あるいは後天的な努力で補えるものなのだろうか。先天的なものとしてあるとしたら、当然、アーティストの家系に生まれなければならないということになるだろう。才能は遺伝するかもしれない。しかし、私はこれはDNAレベルの問題というより、その環境のほうが大きいのではないかと思う。ミュージシャン、アーティストの家庭ならば、音楽はもちろん、文学、映画、美術といった文化的なもの全般に子どものころから自然にふれられる環境があり、その何かから大きな感動を与えられるといった経験がもてるだろう。ロック五十年の歴史のなかには、恵まれた環境で育っただろうと推測される多くの二世ミュージシャンが増えてきている。ジュリアンレノソ、ショーンレノンは、親があまりに偉大すぎるため、その才能や実績を超えるのはなかなかむずかしいが、ボブディランの息子ジェイコブディランが率いるウォールフラワーズは、音楽的にもセールス的にも、親が誰であるかなどもう関係ない域に達している。べックの父親は一九七〇年代ロサンゼルスではよく知られたアレッジャーだった。べック本人は、両親は幼いころに離婚したのでその影響はないと発言しているが、それにしても芸術家の家系で育った事実は有名である。ジェフ&ティムーバックレー父子は、才能だけでなく悲劇も遺伝したのかと、思うごとにいたたまれない気持ちになる。ジョンボーナムの息子が親そっくりのドラムスタイルなのはほほえましい。そのほかピートタウンゼソトの娘、スティーブンスティルスの息子なんていうのもデビューして話題になった。幼いころに音楽教育を受けさせられる場合も多いだろう。幸いにもこのケースにあてはまればラッキーだ。幼少時の音楽教育が君の魂に宿っているかもしれない。それをこじ開け、アーティストとして開花させればいい。逆に、君の生まれ育った境遇が、不幸にもこれらのケースにまったくあてはまらなくても落胆することはない。平凡というよりむしろ恵まれない環境から生まれ育ち、それをバネにするかのようにして作品を作り、アーティストとして歴史に名前を刻んだ人もいくらでもいる。それでは、意識的に後天的に音楽的才能を得ることができる方法はあるのか。まず、これまでにどれくらい知的好奇心をもって音楽を探り、聴き込み、理解していったかということが重要だろう。若いアーティストと話をしてがっかりするのは、自分が最初に影響を受けた日本のアーティストや、誰でも知っているビッグネームの音楽だけを、自分にとって最高だと信じ込み、それ以外のアーティストに興味をもたない人がいるときだ。そういう人の作品は、モトネタがわかりやすく、音楽的情報量が少ないので作品の奥行きがなくおもしろくないケースが多い。たとえば、街角でよく歌っているゆずもどきのほとんどが、ゆずを水で薄めたようなもので、まったくおもしろくない。あれと同じである。自分の好きなアーティストを、批評的視点もなく、ただ忠実になぞることがその人の音楽表現ならば、そのお手本を超えることはむずかしい。そういった状態は克服しなければならない。たとえば、自分の好きなアーティストから影響を受けた、あるいは最近気に入っている、と発言しているアルバムを聴いてみる。それがいいと感じたら、それと同じジャンルにくくられたものを横に広げていって聴いてみる。そこで、お気に入りが見つかったら、そのルーツと呼ばれるものにさかのぼり、時間軸を縦にとって聴いてみる。そうしていくうちに、聴き込んだアーティストもジャンルも広がり、豊かな音楽の感性の森が君の心に育つかもしれない。一九八〇年代後半からCDが普及し、外資系大型レコード店の進出とあいまって、過去の名盤や貴重盤が安価で手軽に手に入るようになった。その数年後の九〇年代はじめ、渋谷系と呼ばれるアーティストが多くデビューし、小沢健二のブレイクを頂点としてムーブメントとなった。これらの現象は明らかに相互にリンクしていると思う。過去の良質な音楽に出会い、そのすばらしさに目覚めた才能が十年分の情報を1ヵ月で吸収してしまうことも可能になった。それを乾いたスポンジのように取り込んで自分なりに消化し、時代感覚をフィッ卜させ、オシャレに演出することによって、これまで日本にはなかった、洋楽の最先端のものを聴くのと同じ耳で聴ける音楽を作り出したのである。DJ出身のプロデューサーの出現というのも同じことが要因になっているといえる。膨大な量のレコードを聴き込んだ彼らが、過去の音源をアイディアとして、いまの音を作る。これも多くのレコードを聴き込んでいればいるほど作品の幅が広がるわけだから、純粋に意識的な努力によって獲得した音楽の後天的才能だろう。だから私は新人のアーティストに会うとき、どんな音楽をどれだけ聴いてきたか、また聴いているかと必ず聞く。こちらが驚くような音楽やオリジナリティーをもった作品を作るアーティストは、すぐれた審美眼をもっていて、自身の快感原則に沿いながらも、へたな評論家よりよほど音楽を聴いているケースが多い。椎名林檎のデビュー時のリスニングリストは、クラシックから福岡のローカルーバンドまで書かれており、ほんとうに驚いた。アーティストの多くは十代後半でいちばん熱中した音楽を一生、身体のどこかにひきずりながら自分の音楽を作っていくケースが多い。なぜなら、それはその時期が人間にとっていちばん感受性が高く、音楽的感性の形成に大きな影響を与えるからだろう。そのいちばん大切な時期に、どれだけいい音楽に出会い、それを吸収するかが、その後のアーティストの一生を決めるといっても過言ではない。その時期、金がないのならレコード店の試聴機でもいいし、図書館に行けば、かなりのCDが最近はストックされている。食事を一回抜いてまで買ったCDは、必ず君の感性の育成に役立つだろう。昨今は、新譜と旧譜、現在と過去のいい音楽が並行して存在する。過去の名盤と呼ばれたものはもうほぼCD化しつくされたが、たとえば日本では紹介されることの少なかった一九七〇年代のブラジルのロック、あるいは当時、なんらかの理由によって発表されなかった音源など、二十一世紀の耳で聴かれるのを待っている音源が現れるだろう。多くの歴史的名盤も、さらにリマスターされ、ビートルズの『1』のように音質も驚くほど向上するだろう。インターネット上の空間も未知の音源との出会いに満ちている。いま私たちは、信じられないほどの音楽をセレクトできる時代に生きている。トップ40を聴くしかなかった一九七〇年代までとは、信じられない環境の変化だ。まもなく、この環境のなかで育ち、才能をはぐくんだアーティストが現れてくるのだろう。そして彼らははたして、どんな音楽を奏でるのだろうか。楽しみに待ちたい。
2014年12月23日:オリジナルもコピーから
送ってもらったデモーテープを聴いたとき、オリジナリティーを感じられるのと同様に、そのアーティストに影響を与えたアーティストか、しっかりとバックボーンとして感じられる、つまり軌跡のわかりやすいアーティストを私は信用する。なぜかというと、好きなアーティストを単純にパクるのではなく、それを自分の血肉として作品を作り、聴いた人間にたいしては、「これは、○○の影響を受けたオリジナルだな」と感じさせるのは、できそうでいて簡単にはできない芸当なのだ。たとえばオアシスを例にあげてみよう。ビートルズを聴いたことがあるリスナーであれば、オアシスがビートルズからかなりの影響を受けているということは簡単にわかる。アイディアの多くもビートルズかモトネタだなとわかる。けれども不思議とパクリという印象は与えないはずである。これは誰でもできそうでできないことなのだ。それが簡単にできるのならば、オアシス以前に誰かがやって、とっくに大ブレイクしていても不思議はないのだから。オアシスの曲の音楽的構造を分析すると、コード進行、メロディー、ボーカルースタイルはビートルズのパクリぎりぎりの線といっても過言ではない曲もある。けれど、パクリの作品が感じさせるうしろめたさや、表現のスケールが小さくなっているだけといった印象は不思議とない。彼らがビートルズを研究しつくしたためということはできるだろうが、それよりも大切な理由は、彼らがビートルズに大きな愛情をもっているためではないかと思う。事実、オアシスのメンバーの発言を耳にすると、ビートルズが好きで好きでたまらない、とことあるごとに公言してはばからない。一九七〇年代から何組も現れては消えたビートルズーフォロワーのうち、オアシスだけがなぜ、あれほどの成功を収められたのか。それは、オアシスがビートルズを消化して自分のものにしてしまう才能があったという事実だけでなく、ビートルズにたいするかぎりない愛情があったからではないだろうか。このように、一聴してルーツがそれとわかり、しかもそのアーティスト自身のオリジナリティーもすばらしいと評価できるものは、オアシス以外にもいくつもある。たとえば、ジャミロクワイとスティービー・ワンダー、ティーンネイジファンクラブとザバーズ、ランシドとザクラッシュ、ヨラテソゴとベルベッドアンダーグラウンドなど。日本ではサニーデイサービスとはっぴいえんど、ポリシックスとディーボ、クラムボンと矢野顕子、岡村靖幸とプリンス、ストリートスライダーズとローリングーストーソズ。PIZZICATOFIVEは、どう引用するかということをオリジナリティーにまで高めてしまったのではないかと思えるようなグループだ。これらのアーティストの楽曲は、国内外のアーティストの影響を受け、参考あるいは引用しているのが一聴してすぐわかる。しかし、日本のかつての歌謡曲のような、洋楽のパクリいやらしさ、不快感がないのはなぜだろう。それは、彼らが、その音楽を愛するがゆえに、スタイルが似てしまうからなのではないだろうか。ミュージシャンである以上、音楽を愛していなければ音楽活動をつづけてはいけない。音楽が、その人にとってどれだけ大切か、その人が音楽をどれだけ愛しているか、それは人それぞれ個人差があるだろう。だが、音楽的才能というのは、音楽にたいする愛情の量と正比例していると思う。そのスタイルの音楽をプレイする理由が、その音楽をこよなく愛しているためである場合、どんなに類似点か多くても音楽への愛情がパクリを乗り越えさせてしまうような気がするのである。そして、すぐれたアーティストは、影響を受けたアーティストに類似していること、そのアーティスト「そのもの」にはなれないこと、超えられないことを認識したうえで、自分にしかできないオリジナリティーを探るために悪戦苦闘しているはずだ。だからこそ、彼らの作品は、説得力のある、すばらしいものになるのだと思う。愛するがゆえの接近と類似、そしてそれにたいする煩悶と切磋琢磨が、彼らをアーティストとして鍛えあげるのではないだろうか。この逆のケースとして、送られてくるデモのなかには、8ビートのR&R、ゆず、あるいは尾崎豊あたりに影響を受けただろうフォークもどき(コードーストロークによるアコースティックーギター弾き語り)、あるいは安易なサンプリングと打ち込みの宅録(自宅録音)といったものが相当数ある。これらの三タイプの音楽は、コード、リズム、演奏、どれをとってもさほどむずかしいわけではない。サンプリング、打ち込み、DTMも、安くて操作も簡単な機材が増えてきたので、操作方法さえマスターすれば、まったくの素人でも次の瞬間からオリジナルらしき楽曲を作り出すことが可能だ。これらR&R、打ち込みといったジャンルの音楽は、歌詞もアレンジも一定の様式があり、それをなぞれば簡単になんとなく、それふうのオリジナルができあがる。そして、毎日多数送られてくるそれらのデモテープを聴いても、なんの可能性も感じることができない。デモテープを送った人は、表層のスタイルを安直にコピーするだけで、これが自分のオリジナルだなどといっている作品で通用するとでも思っているのだろうか。音楽への愛情の欠如と無能さが露見してしまうとは思わないのだろうか。それほどレコード会社のスタッフの目は節穴だと思われているのだろうか。ウルフルズのトータス松本が以前、こんなことを言っていた。「サムクック好き度では誰にも負けたくない」R&Bをルーツにもちながら、そのコピーだけには終わらないウルフルズの雑食な音楽性をもって、ウルフルズの世界としかいいようのない音楽を作る彼のクリエイティビティーは、じつはこんな気持ちに裏打ちされているのである。だから、私がアーティストに可能性を感じるのは、「このデモーテープの楽曲は××の影響を受けているが、それだけに収まらない、分析不能な不思議な要素が入っている」と思うときだ。なぜなら、その分析不能の不思議な要素にこそ、音楽にたいする深い愛情と大きな才能が同居していることを見いだせるからなのだ。
2014年12月23日:音楽のアイデンティティー
アイデンティティー。この必要性は、椎名林檎などのプロデューサーで知られる亀田誠治さんの発言でひらめいた。これには二つのパターンがあると思う。まず前者の例として、ビートルズ。「レットイットビー」「イェスタデイ」といった、聴く人、聴く時代を選ばないタイムレスなスタンダード。ハードーロック、ヘビーメタルの原形ともいえる「ヘルダー・スケルター」。サイケデリックミュージック「トゥモローネバーノーズ」。「レボリューション」はコラージュの現代音楽。彼らの音楽性は、基本的にR&B、ロックンーロールを下敷きにしながらも、いわゆる既存のジャンルではくくることができない。最高傑作と評価する人も多い『ホワイトアルバム』は、楽曲の表面的スタイルでいえばバラバラで、何をやりたいのかわからないといわれても仕方がないほどの幅の広さだ。しかしそこには、どんなに表面上の音楽性がバラバラでも、聴けばビートルズとわかるなにかがある。それは「ビートルズ」という、ひじょうに強いアイデンティティーがあるから、といえるのではないだろうか。似たように、音楽のスタイルを変えながらも、つねにすぐれた作品を作りあげたアーティストをいくつかあげてみよう。たとえば、デビッドボウイ。彼も、アルバムごとに作風とスタイルをコロコロと変えたが、どれも強力な彼のアイデンティティーが刻まれている。またマイルスデイビス、プライマルスクリーム、レディオヘッド、トッドラングレンなど、変化の振れ幅の差はあるが、みな、強力なアイデンティティーをもったアーティストたちである。日本のアーティストで、そういったアーティストの筆頭にあげられるのは細野晴臣だろう。彼は三十年間、アメリカンロックから、ソウルミュージック、テクノ、環境音楽へとその興味の対象を移してきた。これほど振れ幅の広い大物アーティストは世界的にもいないかもしれない。しかし彼は日本か生んだ、まちがいなく天才の一人なのである。若手では、なんといっても椎名林檎をはずすことはできない。ノイジーでバンキッシュなナンバーから、スタイリッシュで、せつなくて胸が痛くなるようなバラードまで、それをひとつの椎名林檎の世界として聴かせてしまう彼女の才能は、その限界を感じさせない。あるいはコーネリアス、布袋寅泰、サニーデイサービスなども、大胆な音楽的変化に取り組みながらも、たしかなアイデンティティーを感じさせる。このように、スタイルを変え、どんな音楽をやっても、その人だけのものとして聴かせてしまう。これは、そのアーティストがきわめて強いアイデンティティーをもっていることのあらわれだと思うのだ。だから、確固たるアイデンティティーをもっていないにもかかわらず、さまざまな音楽スタイルに手を出すと、何をやりたいのかよくわからないという評価を受けることになる。もうひとつ、強いアイデンティティーを感じさせるのは、芯となる音楽的様式を軸としてしっかり据えて活動していくアーティストだ。たとえばローリングストーソズ。R&Bスタイルの楽曲をツインーギター、ドラム、ベースという編成で演奏するという骨組みは、いつの時代も変わらない。R&Bのコピーバンドとしてスタートした彼らだが、アルバムごとにカントリーだったり、サイケデリックだったり、ヒップホップだったりと、つねに時代への目配せはおこたらない。このタイプのアーティストをあげるとすると、ボブディラン、スティービー・ワンダー、グリーンデイ、パールジャムといったところになるだろうか。日本では、奥田民生、忌野清志郎、などが思い浮かぶ。どのアーティストも軸となる音楽性がコロコロ変わるということはない。つねに芯となる音楽ジャンルへの愛情を深く感じさせる。しかし、そのルーツにだけ必要以上にこだわりすぎることなく、作品ごとに大幅な方向転換はないが、フレキシブルに、自分の音楽をより豊かにするための栄養素をつねに取り込もうとする。逆に、自分がバックボーンとしてもっている音楽性の吸収が不十分なままに、新しい音楽的要素を取り入れようとした場合、表面的にそのスタイルを安易にまねているだけという評価になってしまうのである。
2014年12月23日:ポピュラリティーとは
音楽全般についていえることだが、実験音楽ならいざしらず、西洋音階、コード、リズム、ハーモニー、これらを極端にはずれるわけにはいかない。音楽の表面上のスタイルが時代の変化・発展とともにいくら変わったといっても、基本的に人間の生理的快感に訴えるものという基本線は、あまり変わらないのではないだろうか。たとえば、四つ打ち(バスドラムが一小節に均等に四拍打たれる)のダンスビート。一九七〇年代のディスコから、八〇年代のユーロビート、九〇年代のダンスマニア、そして、パラパラーブームまで、生か打ち込みか、あるいはBPMの違いといった差はあるが、基本的な音楽構造は変わっていない。ニューシャッタースイング、ドラム・ベース、2ステップと時代ごとにいろいろなダンスビートが現れては消えているが、日本人はいかに時代がうつろい変化したとしても、この四つ打ちというダンスビートがつねに好きなようだ。ゆずのインディーズ盤をはじめて聴いたとき、あまりよくわからなかった。こんな、一九七〇年代フォークど真ん中といった調子の楽曲がなんでいまさら出てきたんだ、と。しかし、あっというまにブレイクしてしまった事実は動かしようがない。一九七〇年代の吉田拓郎から、長渕剛、現在のゆずにいたるアコースティックギターのストロークをバックに、男性ボーカリストが多少なりぎみに歌うフォークというスタイルの音楽も、考えてみればいつの時代も存在し、大衆の支持を得ていたのだ。サブカルの最先端にあった吉田拓郎、六〇年代のURCレーベル所属のアーティストたち。若者のカリスマ、あるいは兄貴となった長渕剛。そしてアイドル的な側面も強く併せもつ、ゆず。それぞれ時代のなかでの役割は違っても、音楽性は共通点が多いという事実を考えないではいられない。XJAPANがブレイクしたときの話だ。ドラムのテンポが倍になっているだけで、メロディーだけを聴くと、ハードロックというより谷村新司あたりの歌いあげる楽曲と共通したものがある、と評判になった。このあたりも、XJAPANがあれだけの支持を勝ち得た理由のひとつかもしれない。つまり、どんなに装いをこらしていても、人間の、あるいは日本人の底流に流れる好みや嗜好の限界を超えることはできないかもしれない。このエピソードはそのことを如実に語っている。ブレイクした各時代のアーティストからいくつかの共通点を拾いあげてみることによって、ヒットする要素を探し出すことも可能だろう。時代が変わり、音楽性やあるいは世の中での役割は変わっても、その本質は変わらない音楽が、じつは意外と多いのである。いつの時代も、人の心をとらえる本質的で普遍的な要素をどこかにもっていることが、そのアーティストがポピュラリティーをもっているということなのではないかといえる。
2014年12月23日:大切なものはオリジナリティー
「どんな新人に可能性を感じるのですか?」と聞かれたとき、「私の理想は音楽性としてはオリジナリティーとポピュラリティーを兼ね備え、アーティストとして強いアイデンティティーをもっていることです」と答えている。オリジナリティーとは、その人だけにしかできないものという意味だが、これが自分だけのオリジナルな音楽だといくら主張されても、人間が生理的に音楽的快感を感じられるリズムやメロディー、ハーモニーからあまりにはずれたものは、現代音楽・実験音楽としてはありうるかもしれないが、ポップスとしては成立しない。サンプラーもない時代に、犬の声を録音して「ジングルーベル」を作ったものとか、プレスリーのものまねでツェッペリンをレゲエのアレンジで歌うといった一発のアイディアだけでヒットしたものもあるにはある。これらはオリジナリティーに富んでいるといいうるか?私の考えでは、これらはオリジナリティーを追求したというよりも、ただたんに奇をねらっただけだ。そのアイディアは、ギャグやユーモアとして評価されても、根本の音楽性や才能の評価にはならないし、そのアイディアだけで音楽活動をつづけていくのは不可能である。そういう意味では音楽は制約の多い表現方法といえるかもしれない。音楽理論というルールをいちじるしく逸脱したものは、音楽的快感からも離れてしまうのである。なにかの音楽スタイル、たとえばソウル、フォーク、ラテン、パンク、なんでもいいけれど、完成された音楽スタイルやジャンルをコピーすることがコンセプトになっているだけ、というデモテープが送られてくることがある。そういうものには可能性を感じられない。こういったデモテープは、アーティストとして活動していくときに必要なオリジナリティーというものを最初から放棄していると思う。クラシック、ジャズ、民族音楽といった、ある意味で完成し固定してしまっていて、そのスタイルを踏みはずさず踏襲していくことが、まずは求められるジャンルの音楽がある。しかし、これらはいまの音楽業界のメインストリームになりえないことはいうまでもないだろう。ビートルズ以降、ポップスのメインストリームに躍り出たロックという音楽は、誕生から四十年近くたっても形式が決まったもの、たとえば伝統音楽といったようなものにはなっていない。なぜなら、変化していくことがロックという音楽のかたちである、というアンビバレントな構造をもっているからだ。転調、変拍子の多用、クラシカルなアレンジ、ファンタジーやSFに影響された歌詞といったスタイルで、一九七〇年代初期にもっとも先鋭的とされたジャンルがプログレッシブロックと呼ばれるようになると、それは本来の「プログレッシブ(進んだ)」という意味を離れて一気に形骸化してその意義を失ったのは、広くいわれている事実だ。だから私は、ロックというのは、アメーバのように、つねにさまざまな音楽との出会いとミックスによって変化と進化をしつづける音楽スタイルであると思っている。そして、リスナーは、その新鮮さや革新性に拍手を送り感動する、という構造をもっているのである。エルビスプレスリー、ボブディラン、ビートルズ、レッドツェッペリソ、セックスピストルズ、ニルヴァーナ、…、数えあげればきりがないが、そのオリジナリティーあふれる音楽性で、音楽シーンの流れを根底から変えてしまい、それ以前の音楽を急に色褪せてみせてしまう音楽がある。けれども、彼らの音楽は、なにもないところから突然現れたわけではない。最初は彼らもなにかの音楽に影響を受けて、音楽をはじめ、アーティストをめざしたのであり、過去に聴いてきたものをイマジネーションの源泉としていたはずだ。それは、音楽的快感の原則にしたがっていたにちがいないのだ。プレスリーは、カントリーのスタイルにソウルミュージックを取り入れた。ビートルズは、ロックンロールのサウンドにボーカルグループのスタイルを導入した。レッドツェッペリンはブルースのギター・フレーズを歪ませ、大音量で鳴らし、強力なパワーのドラムスをバックにハイトーンなボーカルをのせた。セックスピストルズは一九六〇年代のブリティッシユーロビートのテンポを上げ、ギターソロをやめ、タブーを歌った。ニルヴァーナはパンクのサウンドをFMラジオでオンエアしやすいサウンドプロダクションに仕上げ、絶望を絶望として肯定した歌詞を書いた。彼らすべてが、ある日、はたとひらめいて、そのオリジナルなスタイルとコンセプトを思いついたのか、あるいは、自分の音楽を創作していくうえで、単純に自分の快感原則に沿って作品を作った結果、オリジナルが生み出されたのかは、私にはわからない。けれども、時代を変えたアーティストは結果として、新しいコンセプト、みずからのオリジナリティーを生み出したひじょうにすぐれたアイディアマンでもあったのだと思う。アイディアとして有名な例として、YMOの結成当初の音楽的コンセプトを思い浮かべる。曲をコンピューターに演奏させるというもので、このアイディア、というか仕掛けを思いついたのは細野晴臣だった。いまでこそ、YMOの三人は世界的ミュージシャンとして評価されているが、私の彼らにたいする印象は、匿名性の高いスタジオミュージシャンでしかなかった。細野晴臣がかりにこのアイディアを思いつかなかったら、彼らの才能に強いオリジナリティーが与えられ、それに導かれて才能が開花し、商業的にもアーティストとしても評価と成功を得られたかどうかという気もする。君の音楽は、どうだろうか。ただ自分の好きなスタイルの音楽を、漫然となぞっているだけではないだろうか。自分だけにしかできない音楽ができないかぎり、音楽業界の人間は君の音楽に興味を持たない。
2014年12月23日:マネージメント会社、レコード会社に入る
業界に身を置いていると、その実力や人柄が買われてレコード会社の制作や、マネージメントに誘われるケースがある。業界のイロハを知らない新人社員を1から育てるよりも、業界に身を置いてそのつらさと厳しさを叩き込まれた人材を社員に登用したほうが社員教育の手間が省けるということもあるかもしれない。アーティストとしては大成しなかったが、新人を育てるほうが向いているという人材もいるかもしれない。野球選手が引退後に球団職員になるようなもの、と思えばいい。古くは、ランチャーズやジャックスといった一九六〇年代のころから、フリッパーズーギター、聖飢魔、バービーボーイズ、有頂天、横浜銀蝿といったバンドの元メンバーは、レコード会社に入社している。スパイダース、スペクトラム、四人囃子などのメンバーは、のちにマネージメント会社の経営者となっている。アーティスト活動をしながら、自分のマネージメント会社をもち、その経営にもかかおるというケースもあり、高橋幸宏や小田和正など、ベテランアーティストがこの二足のわらじを履いている。この職種では、自分がアーティストであったときの経験を生かし、スタッフサイドに入ってからはアーティストの気持ちがわかり、仕事に生かすことが可能だ。レコード会社、マネージメント会社といっても大企業から中小零細企業まで多種多様だが、会社に入るということはサラリーマンになるということである。収入的にはいちおう安定する。またアーティストとして活躍することができないまでも、音楽業界に身を置いて、側面から作品作りにたずさわることができる。
2014年12月23日:スタジオミュージシャン、サポートプレイヤーになる
プロデューサーへの転身は、いわばアッパー系と呼んでもいいと思う。音楽業界における地位は確固としたものであり、収入もアーティストと比べてかわりない。ある程度のクラスになれば、高額納税者の芸能人部門に名を連ねるようになる。次に、レコーディングやライブのサポートでプレイヤーとして活動する人たちを見てみよう。長年のプレイヤーとしての経験を生かして、スタジオミュージシャンやバックバンドの一員としてサポートするのである。これも当然のように多い。元Sheena&TheRokketsのベーシスト浅田孟が布袋寅泰のバックを務めるというのはわかるが、エブリリトルシングのバックをしていたのは意外だった。めんたいロック(福岡を中心として九州で活動するバンドをそう呼んだ)の代表格だったルーズダースは、ドラマーの池畑潤二は布袋寅泰や山下久美子、ベーシストの井上富雄は小沢健二やオリジナルラブ、花田裕之は山下久美子やUAのバックを務めるなど、当時のバンドのイメージとは違うジャンルでの活動をおこなっている。経験とテクニックに裏打ちされた器用ぶりというべきだろう。山本恭司は矢沢永吉のライブをサポートした。元ザーグでたのきんトリオの野村義男は、スタジオミュージシャンとしても売れっ子だし、テレビ出演などでは浜崎あゆみのバックを務めているのを見ることがあるだろう。何人か思いつくままにバンド出身のミュージシャンをあげていくと、藤井フミヤのバックにはレベッカのギターだった友森昭一がいる、同じくレベッカのドラマーだった小田原豊は、多くのアーティストのレコーディングからライブサポートまでをこなす売れっ子ドラマーの一人だ。ギタリストだったKEN福山雅治のライブのバックを務めていたり、GLAYのサポートドラマー、永井宏が元東京少年というのを知る人はあまりいないのではないだろうか。以上の例は、所属したバンドも人気があり、解散後はサポートミュージシャンというパターンだが、バンドとしてデビューしたが人に知られることもなく解散してバックミュージシャンになっているというケースはひじょうに多い。経験とテクニックがあればこのようなスタイルで仕事をつづけていくことが可能だ。売れないアーティストよりは売れっ子のスタジオミュージシャンのほうがもちろん生活は安定する。
2014年12月23日:アーティストの収入
アーティストをめざすということは、収入としてハイリスク、ロリターンの人生を選んだと思っておいたほうが、あとになって悔いが少ないだろう。つまり労多くして実り少なし。忌野清志郎がRCサクセション時代、はじめての武道館コンサートをおこなうほど売れても、風呂なしのアパートに住んでいたのは有名な話だ。納税者番付に誰が出たといっても、それはほんとうに百万枚以上のミリオンーセールスを出したごく一部のアーティストにすぎない。アーティスト=金持ちという幻想は捨てなければならない。では収入として、どういうお金が、どういう経緯でアーティストに入っていくのだろうか。レコードデビューするさい、マネージメントに所属すると君は、「それで、あなたに月々何円を払いましょう」というオファーを受けることになる。ただ、これはサラリーマンの給料とはまったく異なる。べつに君はマネージメントの社員ではないのだから。それには昇給もなければ、夏と冬のボーナスもない、有給休暇も、各種社会保険もまったくない。契約更新時に前年の成績によってで増額を求めることができるという点では、野球選手の「年棒」に近いといったほうが適切かもしれない。そして、当初のその額は東京で一人暮らしをするにはギリギリの額である。バイト時代よりも収入的には減ったという話もいくらでもある。そして、この報酬には前渡し金が含まれていることも多い。これは、いわばマネージメントからの借金ということなのだが、直接の返済は基本的に要求されない。しかし、これから君が稼いでいく各種の収入がいったんマネージメントに入った場合、そっくりそのアドバンスの返済に回される。だから君がいくら稼いでも、それがアドバンス額を超えて返済を終えないかぎり、まったく君の収入にはならないという事態も起こる。収入は低く、あらかじめ借金でがんじからめ。こんなことばかり書くと夢も希望もなくなってくるかもしれないが、いままで自己負担だったスタジオ代やライブハウスのノルマを払わなくてもよくなったり、せこい話だがレコーディングではスタジオで出前をとってもらえるようになったりもする。貧しいが、音楽活動をつづけるうえでの一定の保障は受けられる、と考えてみてはどうだろうか。なにはともあれ、音楽に専念できて、バイトで早起きしたりする苦痛からは解放されたのだ、とポジティブに考えよう。
2014年12月23日:デビューの三つの壁
おおざっぱな数字なのだが、二十代でアーティストとしてデビューしたとすると、同年代のサラリーマンと同じ年収を得るには、アルバム五万枚程度のセールスが必要といわれる。もちろんこの数字はバンドであればメンバーの数、またメンバーが自分たちで作詞・作曲をするかどうかで違ってくる。五万枚のセールスというとオリコンのチャートで二十位内へのチャートーインが必要だ。ライブの規模は、東京で二、三千人の集客、全国規模で十本から二十本のツアーができるということになるだろうか。こう考えると、かなり厳しい道のりだということがわかるだろう。しかし、それから安定した活動をつづけて、さらにこの世界で生き残っていくのは、より厳しいのが現実だ。音楽業界の大先輩である、ビクター・エンターテインメントのスピードスター・レコーズの高垣健さんは著書のなかで、「アーティストには三つの壁がある。デビューする壁、ヒットを出す壁、ヒットを出し続ける壁だ」とみごとに喝破しているが、まさにそのとおり。そして意外にもいちばん低いのはデビューする壁で、壁はそれから順番に高くなっている。いま、手元に東芝EMI所属邦楽アーティストの一覧があるが、演歌、学芸のうち、デビュー二年以内のアーティストが三十六を占めている。レコード会社はそれほど多くの新人をデビューさせる。なぜなら、残っていくアーティストがそれだけ少ないのだ。多くデビューして、生き残るのは少数。これはどのレコード会社でも同様である。そして、五年、十年と活動をつづけていくことができるのは、いうまでもなくごくひと握りのアーティストということになる。四、五年前、ミリオソーセールスのアルバムを出し、多くの賞を受賞したにもかかわらず、いまや思い出のなかでしか存在しないバンドやシンガーを思い浮かべることは、少しもむずかしくはない。これは三番目の壁、つまりヒットを出しつづける壁を越えられなかったということにほかならない。メジャー・レコード会社と契約して活動していくというのは、メジャーの野球選手にどこか似ている。いくらいいプレーをするといっても、チャンスに打てないバッターやピンチを抑えられないピッチャーを球団は必要としない。つまり決定力不足の選手はどんなに素材がよくてもいずれ戦力外となる。レコード会社も同じだ。いい音楽をやっているといっても、利益を上げられないミュージシャンとは契約を切らざるをえない。音楽産業といっても、企業であるかぎり、商社や銀行などとなにも変わらない。経営者がチェックするのは、その作品の良し悪しではなく、そのアーティストにいくら使ったかと、いくら儲かったか、その収支なのだ。その収支報告のなかで、評価とセールスを維持しつづけられるアーティストだけが、このレコード契約ミュージシャン、いわゆるブローアーティストとして活動をつづけられるのである。
2014年10月17日:お店で流れる音楽
私たちはが普段お世話になるお店ではおおよそBGMが流れています。お食事処となるとその割合はさらに高まります。皆さんが常日頃ひいきしているお店も何かしらの音楽がながれているのではないでしょうか。では、なぜお店では音楽が流れているのでしょう。それはただのBGM目的でもありますが、もっと合理的な理由もあるのです。私たちは、音楽の種類によって感情や行動が左右されるものです。たとえば、通勤途中に歩いているとき、聴いている音楽に歩幅や速度を合わせていませんか。音楽のビートにあわせて小気味良く歩いたりしませんか。これは無意識でも意識的にでも、聴覚に付随して自然と動きやすい歩幅になっているのです。音楽と違うテンポであるくとなるとなんだか違和感がありますよね。話を戻すとお店で音楽を流す目的はいくつかあるそうです。一つ目は、声のシャットアウトの効果です。レストランなどでは隣の会話は普通に聞こえますよね。でもそこに、BGMが入ることによって、隣の音へのちゅうもくが 薄れるのと同時に、音量という意味でも阻害され聞こえなくなります。もちろん聞き耳を立てれば聞こえるのですが、そんな意識を薄れさせる効果があります。聞こえないということは自分たちの会話も聴きとられずらくなっているということですね。二つ目は、音楽によってお店のイメージを決める効果です。音楽には時代や種類があります。音楽の種類で、客層やお店の高級感を演出することができます。三つ目はお客さんの行動を誘発させる効果です。最初に述べた歩幅がこの効果に近いです。ある実験で、回転ずしやで流す音楽を、ノリノリのハイテンポのBGMの時と、スローテンポのクラシックBGMの時の客の動き方の検証を行っていました。この結果はハイテンポBGMのほうがお客さんの注文ペース、回転率の両方で上回っていました。この結果から、お客さんは無意識的に食事のテンポまで音楽で変わっているということです。音楽には私たちが想像している以上の力があります。悲しい音楽だとか楽しい音楽だとか、言葉で説明するのは難しいような感覚的な要素もあります。ですが、その仕組みを理解することに急ぐ必要もないのだと思います。私たちは自分の好きな音楽をただ聴く、それ以上もそれ以下でもないのかなと思います。
2014年10月17日:音楽スタジオ居ぬきトラブル
先日私の知り合いが経験した音楽スタジオの居抜きトラブルをお伝えしたいと思います。私の知り合いは現在脱サラして音楽業界に身をおきながら、新たな道を模索中です。その中で演奏をするのが好きな彼は皆で演奏が出来る演奏バー形式の営業を始めようとしました。それは音楽を演奏する傍らでお酒を楽しんだり、会話を楽しんだりする空間を構想していたのです。そういった空間を作る場合、お店は通常のお店ではいけません。防音設備がしっかりしていて尚且つ、周りのお店の迷惑になってはいけないのです。彼が見つけた物件は以前シャンソンバーを営業されていて音だしが出来る空間と謳っていました。店内には大型のスピーカーもあり、グランドピアノもあったりと、なかなか本格的な音楽空間だったそうです。彼もそれで営業が出来るものだと思い、その物件に契約を結びました。少しずつ機材を運んでいよいよ開店となったときに、隣の店舗の方から音がうるさいとの苦情が入りました。それから何度も音の調節をしましたが一向に解決する余地はなく。どうにもこうにも演奏が出来る状態ではなかったことが判明。防音工事の専門業者を呼んで店舗の中の状態を確認してもらうと、以前防音工事を行ったといっていた店舗との壁が何もされていない通常の壁であると言われたそうです。不動産業者も音が出る場合は扉の防音工事くらいをやってもらえればそれで十分に済むだろうといっていましたが。防音業者曰く、「2000万円以上の工事をしないと音を遮断することは出来ない」と言ったそうです。これはもうここの物件を買ったほうが早いのではないかというくらいのレベルです。こんな悪質な業者はここだけではありません。私の音楽関係の仕事をしている仲間も今までに何回かこのような音のトラブルで音楽スタジオを開店出来ず、泣き寝入りする羽目になった方が何人かいます。私自身も音楽の仕事をしている人間としてとても悲しく思います。そういったトラブルにならないように、弁護士などに契約書を一度確認してもらって、内容を加味した上でサインし、契約に至るというのがベストだと思います。彼は今回多くのお金をロスしたようですが、これに懲りずにまた再度、音楽スタジオ開店に向けて努力していくようです。音楽スタジオを開店しようと考えている方は、音という特殊なトラブルを出来るだけ回避するように慎重に動いてください。
2014年10月16日:音楽家の定め
音楽家にはリスクが付き物。それはどんな人にも言えることだ。私はリスクを負わない行動に価値は無いと思っている。なにか新しいことをしようと思ったときに、必ず成功するといった保障はどこにも無い。それは音楽でこれから食べていこうと考えている方なら実感しているはずである。私はそんな音楽家の行動を後押ししたい。しかし、成功の見込みが無い方に音楽を勧めることはしない。私自身は何人もの音楽家の浮き沈みを見てきた。それは非常に勉強にもなった反面、見なくて済むような辛い現実もそこにはあった。私はこれからの音楽家に頑張ってもらいたいと思うが、それはあくまで理想である。成功する方々の何倍もの失敗する人間がいて成功者は成り立っているのだ。私はその辛い音楽界の現実もこれからの世代に伝えていきたいと考えている。踏まなくてもいい失敗は踏まないで欲しいからだ。そんなことでふと最近考えた音楽事情について書いてみた。それではこれからも音楽に盲目的に突っ走るのではなく、冷静な目線を持ちながら向き合っていってもらいたい。
2014年10月8日:音楽を奏でる場所
最近、新宿で路上ライブを行っていたアイドルグループが逮捕されたようですね。音楽に携わる仕事をしている私にとってそれはいろいろな意味でさみしく感じています。まずは、音楽を表現する場所が減ってしまっているということです。路上ライブは、今までにも数々の有名アーティストを生み出してきました。路上で演奏するということは精神力、技術力共に鍛えることができます。そのような場所がだんだんと規制されていきますと、生まれるであろう才能もうもれてしまうのです。もう一つの残念なことは、路上ライブをいちいち苦情をつける人がいるということです。新宿駅での路上ライブ活動で今年だけでも500件以上の苦情が寄せられているということです。路上ライブは確かに、聴きたい人だけでなく興味のない人にまで聞こえてしまいます。しかし、大半の人はそこで音楽をスルーすればいいのですが、世の中には何か起こる理由を探してまで怒りたい人種がいます。普段の社会生活で押さえつけられていて、なにかの憂さ晴らしがてらいちいち手間をかけて苦情をつけるのです。そのようなちょっとおかしな人たちのせいで音楽の場が失われるなど、無情すぎます。警察だって実際は止めたくなくても、法律上はだめなので注意せざるを得ないのでしょう。これからもどんどん規制されていくのかと思うとなんだかさみしいですね。
2014年9月30日:音楽を志す者
先日私はとても素敵な出会いをしました。彼は音楽を愛する青年です。めがねを掛けていて背はすらっとした方で今まで演奏の経験は無かったが、日々思いつくことを音楽にしたためようとする若きギタリストです。彼の本業は学生なのですが、その作詞能力は私自身脱帽せざるを得ない状態である。ギターは買ってまだ3週間ほどとの事だったが、彼は既に独学で演奏技術を身に着け、スキルは既に素人とはいえないレベルまで来ている。私はこれから彼を囲おうと考えている。このダイヤの原石を磨きぬいて、素晴らしいプレイヤーにさせることにしたのです。丁度私の事務所は現在、所属アーティストとのケンカのせいでメチャクチャになっていたところの彼の出現だったので、これはまさに運命だと考えている。これからの彼の成長に期待せざるを得ない。
2014年9月27日:音楽を上達するためには楽しみが必要
音楽を練習しているときに、飽きてしまって続かないと思ったことはありませんか?そんなときに大切なのが、楽しむということです。音楽の練習をしているときに、楽しく演奏できなければそれはとてもつまらなく、退屈なもになってしまいます。なんで楽しむための音楽に苦しみをともなわなければならないのかと疑問を持ってしまっては、音楽を続けたくなくなってしまいますよね。そこで音楽を上達するためには、今出来るスキルの中で楽しく出来る方法を編み出すのです。音楽はある程度上達しないと楽しめないと考えている人も少なくありませんが、そんなことはありません。音楽をするにあたって、上達をするためには楽観的な精神と優雅な気持ちで楽器の前に座り、ニコニコとした表情で楽器に語りかけてください。
2014年9月17日:新しい音楽拠点ができます
以前から社会人音楽サークルに出張講師として何度か教えることがありましたが、その社会人サークルの活動拠点が変わるそうなので、私の活動場所も変わります。場所は新宿3丁目駅から徒歩2分ととてもアクセスがいい場所みたいです。私としてはアクセスが非常によくなるので、出張講師として行きやすくなるので助かります。つまり、私のスパルタ音楽教室も今まで以上に気軽に受けることができるということです。楽器を本当にうまくなりたい方、なれ合いの音楽はもうやめにしようと思っている方、私が指導すればあなたの眠っている音楽力を引き出してやりますよ。私の指導スタイルはスパルタということはもちろん知っていると思います。時々、熱意の余りに怒り散らし狂って這いずりまわることもありますが、それはすべてあなたのことをおもって怒っているのです。もし、私と一緒に切磋琢磨したいとかいうやつはこれからは新宿で会いましょう。それではその日まで。アディオス。
2014年9月12日:楽しい演奏会、楽しくない演奏会
私は音楽大学出身で音楽についてはかなりの知識があり、演奏会のプロデュースも多く手がけてきました。その中で私自身が心がけている演奏会の信念といいますか、モットーといいますか、 それは「オリジナリィティ」です。音楽を人々に披露するわけですが、その演奏はただCDを聴くのと同じでは何の意味もありません。 音楽はその人それぞれの表現をもって、お客さんに聞いてもらわなくてはいけません。クラシックは堅苦しく厳粛なものだと、音楽をやっている方でも思っている人は少なくありません。 ただしかし、音楽をやる上で最も忘れてはいけないことは、音楽は楽しむためにあるということ、きっちりと襟を正してカチコチの七五三みたいな感覚で音楽を聴こうとしても疲れるだけです。 まずは音楽を皆さんに楽しんでもらうために、まずはトークでお客さんを和ませましょう。そうすることでお客さんは「あぁ、くつろいで観てもいいんだ」と分かってくれます。 そうすることが音楽に警戒されないポイントです。
2014年9月4日:音楽サークルビジネスの成功者たち
現在、社会人音楽サークルの主催者の方々と交流を持つ機会が多く、数名の方々とコネクションを持たせていただいております。その中で2名のサークル主催者の方に交流をさせていただいているのですが、大変ユーモアのあるかたがたです。一人の方は醤油面のニコニコ笑った顔の青年と、ゴリラのような男の2名です。彼らは音楽サークルを趣味で始めたのですが、現在は規模が日増しに拡大していき、すでに500名以上の参加者であふれかえっているそうです。さすがに1度の開催では500名は集まりませんが、一度で30人を超える開催も少なくないそうです。そんな彼らが今後音楽サークルの開催場所を家賃を払いながら新宿で開催を行うそうです。まさに私が構想を抱いていた音楽サークルビジネスの先を越された感じが否めませんが、音楽をビジネスとして考える私としては、なんともうれしくも、誇らしい活動かと思います。これからも彼らの活動から目が離せなそうです。
2014年8月29日:成功しない音楽家たち
先日仕事で様々なロックバンドのライブの視察に行きました。そこで感じた成功しない音楽家の共通点として、自分ばかりが目立つことに意識が行っていて、 全体の流れを理解し、引き立てようとしないメンバーの集まりのようなバンドが多くいることに気がつきました。 このようなスタイルは一見近道に見えて、成功に最も遠い演奏スタイルになります。どんなパートの楽器もサポートしている方に対しても、 誠意を持って接して、感謝の気持ちを持ちながらやっていくことによって、自然と成功に近づきやすい音楽家になれるはずです。
2014年8月19日:ビジネスとしての音楽サークル
私自身、音楽を仕事としても趣味としても楽しんでいる身でありますので、音楽サークルに参加して、楽しく音楽を演奏しながら人々との交流に時間を割く機会も多くあります。そんな中で音楽サークルというものはビジネスとして確立できるのではないかという考えが頭を離れなくなってきています。簡単な演奏を行いたい方が多くいらっしゃることに最近気が付きました。実際に巷には大きな楽器屋さんが乱立しており、お店にはギターを買いに来るお客さんも多くいらっしゃいます。そんな方々は音楽を演奏する場所を求めています。カラオケなら歌いたい人は直ぐに歌うことが出来ますが、皆で気軽に演奏が出来る場所というものは案外少ないものです。これからは音楽サークルにも目を向けてビジネスに取り組んでいこうと考えています。
2014年5月15日:音楽家にも5月病?
最近仕事で関係のある若い音楽家と話をする機会がありました。彼らは大学を卒業して、音楽家としての道を歩みだした、音楽界のひよっこです。音楽業界も普通のサラリーマン同様に5月病があるみたいです。彼らの場合、5月は様々なところで、休日に合わせたイベントが開催されていますので、音楽家派遣会社の方たちにとっては少し忙しい時期になります。その中で5月のゴールデンウィーク中に忙しかった仕事が連休明けにぱたりと止んでしまう音楽家も少なくありません。ですので厳密に言えば5月病とは逆の意味なってしまいますが、「このままで大丈夫か?」という不安に駆られるのが音楽家の宿命です。これからの将来に不安を抱える音楽家の方も少なくないはずですが、時間があるときにだからこそ出来る宣伝の準備や企画を備えておいて、これからの演奏会シーズンに備えるのも手段の一つです。
2014年5月8日:これから演奏会シーズン
4月も終わり、ゴールデンウィークを過ぎたこの時期、そろそろ演奏会を行うという方や、団体の方など多いのではないでしょうか。言ってみればこれから演奏会激戦期間となりますので、心してコンサートに挑まなくてはいけません。今まで演奏家で集客に失敗した方も以前行った集客方法に加えて、更に工夫を凝らした宣伝を行わなくては演奏会は成功できるとはいえません。このサイトで演奏会の成功の秘訣をご紹介していますので、是非ご覧になってみてください。
2014年5月4日:演奏会成功へのアドバイスサイトを設立いたしました
このたび私の音楽家としてのビジネスノウハウをまとめた情報サイトを公開いたしました。他では聞けない音楽業界の成功の道筋をこのサイトで発見して頂ければと考えております。随時コンテンツを追加してまいりますので、宜しければみてみてくださいね
異業種交流・婚活パーティー